1966年、5人も入れば満杯になるわずか4.5坪の店舗からスタートして、今や日本を代表する立ち食いそば店に成長した「名代(なだい) 富士そば」。
創業者である丹道夫(たん・みちお)会長の長男で、2代目の丹有樹社長が、富士そばのこれまでと、これからを語り尽くす!
* * *
【立ち食いそば界を牽引する関東の雄!】――創業60周年、おめでとうございます!
丹 ありがとうございます。
――まずは、名代 富士そば創業の経緯を教えてください。
丹 創業者で私の父親でもある丹道夫は愛媛県の出身で、16歳で上京。でも、仕事がなかなかうまくいかず、故郷に戻って、また出てというのを繰り返します。
それで、4回目の上京のときに始めた弁当屋がようやく軌道に乗って、1960年代には知人と共同で経営した不動産業で大成功します。ひと月の売り上げは30億円にもなったそうです。
丹道夫会長。一代で富士そばを繁栄させた立志伝中の人物。第一線は退いたものの、90歳になる今もご健在だ
――すごい!
丹 とはいえ、不動産業は水物なので、今は調子が良くても、いつダメになるかわからない。じゃあ、地道に日銭が稼げる商売をということで、立ち食いそば店を始めたんです。
それが富士そばの前身である「そば清(せい)」で、66年に渋谷の現在の109の向かいに開店しました。わずか4.5坪の小さい店で、かけそばが1杯45円からのスタートです。
――当時はまだメジャーではなかった立ち食いそばに目をつけたのはさすがですね。しかも、何百万円、何千万円という大金を動かす不動産業から、1杯45円の飲食業へシフトしていくわけですから。
丹 それが店名の由来にもなっています。創業者が立ち食いそば一本でやっていこうと決めた頃は、なかなか事業がうまくいかず、大変な時期だったそうです。そんな折、名古屋から帰る新幹線の中で、夕日に照らされる雄大な富士山を見て、「いつか富士山のように立派で、日本一の立ち食いそば店にする!」と。
――60年の歴史で一番大変だったことはなんですか。
丹 直近ではコロナ禍は本当に大変でした。24時間営業がひとつのウリでもあるのに、20時には閉めなくてはいけない。当然、売り上げは減りますが、従業員を辞めさせるわけにもいかないという、非常にしんどい時期でした。
渋谷の一等地にあった1号店。2016年に惜しまれながら閉店した
――コンビニよりもかなり早い70年代初頭に、24時間営業に踏み切っていますよね。
丹 東京は24時間、人が動いているんだから店を開けようという創業者の考えからです。
――今でこそ24時間営業は当たり前ですが、それを時代に先駆けて始めた先見の明に驚きです。
丹 実は、24時間営業にした理由は、もうひとつあります。
創業者がまだ若かった頃に上野のそば屋で電車を待っていると、閉店だからと追い出されたことがありました。そのときの寂しさや冷たい対応がずっと心の中にあって、「深夜でもゆっくりくつろげるそば屋にしたい」と。
――ドラマ『北の国から』の「子供がまだ食ってる途中でしょうが!」の名場面を彷彿(ほうふつ)とさせるお話です(涙)。富士そばはアルバイトにもボーナスや退職金を出すことで有名ですが、これはなぜですか。
丹 創業者が苦労人なので、いい仕事をしてもらった方にはしっかり対価を払うという思いがとても強かったんですね。それで始めたのですが、難しいところもあります。ボーナスの分を時給として早く還元したほうが、喜んでもらえたりしますので。
――富士そばはアルバイト出身の社員が多いそうですね。
丹 そうですね。
「名代(なだい) 富士そばの名代とは、有名とか評判がいいという意味で、創業者の思いです」(丹社長)
――夢がありますねえ。ちなみに、店長さんの年収は?
丹 現在は、約520万円です。そこに、手当、ボーナス、お年玉がプラスされます。
――意外ともらっている印象ですが、日々の勤務時間が気になります(笑)。
丹 やはり飲食業なので、多少は無理をしていただく時期があることも事実です。ただ、ひと昔前に比べて、8時間働いて帰るという勤務形態に、かなり近づいてきているとは思います。
――富士そばは各店舗ごとに新商品を出していますね。
丹 店長には、お店の売り上げやメニュー構成に責任を持って働いてもらっています。ですので、「うちのお客さんにはこういうメニューが合う」というのを一番わかっているのが店長なんですね。
わかりやすく言えば、若者の多い渋谷であればヘビーなものが好まれるし、年配の方が多い巣鴨ではサッパリしたものが好まれます。
ポテトフライを豪快にのせた大ヒット作・ポテそば。初登場は2015年(当時440円)。あまりの評判の良さに、たびたび復活している
――これまで「エスカルゴ天そば」や「丸ごとトマトそば」など、斬新すぎる新商品がありましたが、印象深いのは?
丹 一番は「ポテそば」ですね。そばの上にポテトフライをのせたものなんですが、見た目のインパクトが強烈なんです(笑)。それでいて、味もちゃんとおいしい。そばつゆとポテトがとても合うんですよ。これは大ヒットして、ほかの店舗でも展開しました。
――ほぉほぉ。
丹 もうひとつ、タピオカブームの折に出した「タピオカ丼」も印象深いですね(笑)。醤油漬けのタピオカをイクラに見立てて丼にしたんです。
こんなの絶対に売れないだろうと思っていましたが、SNSで話題になったのをきっかけに、どかんと売れ出したんです。
19年に発売したタピオカ丼。タピオカを漬けにして、イクラ丼に見立てた逸品。かけそばとのセットで560円(当時)で大ヒット!
――へぇ~!
丹 立ち食いそばは日常食なので、お客さまは10円でも20円でも安く食べたい。その一方で、SNSにアップする写真映えするものには、割とお金を出したりします。
ですから、これからは富士そばも、面白いとか楽しいとかのエンタメ要素も大事になってくるのではないかと思います。
――現在、国内に104店舗、国外に2店舗、従業員は1000人以上。ここまで発展した原動力はなんでしょうか。
丹 富士そばは、時代に合わせて常に変化をし続けているんですね。味を良くするための努力も惜しみません。例えば、去年6月から全店で導入している「ウルトラファインバブル」という機械があります。これは、水に空気を混ぜて細かい泡にすることで、だしがまろやかになり、うまみがよりしっかり出るんです。
ほかにも、取れたてのだしが24時間提供できる「スープサーバー」や、そばをより冷たい水で締められる「冷凍シンク」などを導入し、味の進化を遂げています。
ウルトラファインバブル。水に空気を混ぜて、だしのうまみをアップさせる画期的なマシン
――ところで、海外に進出されたのはなぜですか。
丹 飛び地の管理は大変だという理由から、富士そばは1都3県(東京、埼玉、千葉、神奈川)で展開しています。あるとき、大阪などの他エリアに出店をするという話が持ち上がりまして、どうせなら市場の大きい海外で勝負したいと僕が提案したんです。それで、13年にインドネシアのジャカルタに、海外1号店をオープンさせました。
――おおっ、素晴らしい!
丹 とはいえ、翌年に閉店してしまうんですけどね。今は、フィリピンにフランチャイズのお店が2店舗だけ残っている状況です。
――今後はもう海外には出さない方向ですか。
丹 いや、そば自体はラーメンやうどんと同じように、いつの日か世界に広がっていく食べ物だと思っています。健康食ですし、国内の富士そばにも外国人のお客さまが着実に増えていますからね。
そんな世界的なそばブームが到来したときに、その先頭を走るのは富士そばだという思いは強くあります。なので、機が熟したときには、もう一度チャレンジしたいですね。
――最後に、ひと言メッセージをお願いします。
丹 富士そばが60周年を迎えられたのは、お客さまが日々食べてくださっているおかげです。だからこそ、遊び心とともに毎日の生活にちょっとした彩りが提供できる富士そばであり続けたいと思います。週刊プレイボーイさんも今年が創刊60周年ということで、また10年後に70周年のお祝いを一緒にできたらうれしいですね。
●丹有樹(Yuuki TAN)
1974年生まれ。慶應義塾大学卒業後、テニスコーチをしながら日本のテニスツアーに参戦。2004年、「名代 富士そば」を運営するダイタングループに入社し、15年に代表取締役に就任。テニスで培った粘り強さと、父親から受け継いだ現場重視の経営センスで、富士そばを牽引する2代目
取材・文/浜野きよぞう 撮影/内山一也(丹 有樹氏)
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