開幕直前にもかかわらず、静まり返るアメリカの街
オリンピックを上回る世界最大のスポーツイベント、サッカーのワールドカップ(W杯)が6月11日から始まる。23回目となる今回はアメリカ、メキシコ、カナダの3カ国の共催で、出場国が48にのぼる過去最大の大会となる。世界一の経済力を誇るアメリカでのサッカー人気を高め、大会100周年となる次回につなげるという国際サッカー連盟(FIFA)にとっては極めて重要な大会だ。2014年のブラジル大会を、開催の2年ほど前から取材した。今も鮮明に覚えているのは、リオデジャネイロのコパカバーナビーチや広場、繁華街がワールドカップ一色で彩られていたことだ。熱気にあふれ、市民の会話のほとんどがワールドカップのことだった。
子供も大人も、男性も女性も、富裕層も貧困層も、分け隔てなくサッカー談義に花を咲かせていた。開幕に向けた期待感が日に日に高まる様子を見て「ワールドカップとはこういうものなのか」と、試合を待たずして実感した。
今回は、ニューヨークを中心に開幕までの様子を見ているが、’2014年との違いには驚くばかりだ。直前になっても脈動が感じられない。カウントダウンを刻む告知板はごく一部にしかなく、街全体がワールドカップに染まるなどという様子は見て取れない。サッカー人気が高いブラジルと、他のスポーツの方が人気があるアメリカとの差を鑑みたとしても、あまりにも「静まり返って」いる。
ブラジル大会を共に取材したアメリカ人のスポーツジャーナリストは「これほどまでによそよそしい雰囲気を感じたことがない」とため息をついていた。
大会は6月11日から7月19日まで開かれる。今年、アメリカは建国250年となる。この記念すべき独立記念日(7月4日)はW杯の只中で迎える。試合はアメリカ11、メキシコ3、カナダ2の計16都市で行われる。複数の国での開催は20‘02年の日韓共催以来のことだ。1998年以降、出場枠は32だったが、今回は48に増えた。試合数は64から104に劇的に増えた。これほどまでの大規模開催でありながら、開催地が盛り上がらないのは異常事態といってもいい。
最も高いものは約524万2230ドル ……素人は到底手に入れられないW杯チケット
しらけムードの原因の1つにチケット価格の高騰がある。「天文学的な数字」まで跳ね上がり、地元市民の観戦はかなわぬ夢で、大会が身近なものとは思えないのだ。今回の大会でFIFAは、ホテルや航空券同様、需要によって価格が変わる「ダイナミック・プライシング」という制度を導入しチケットを販売している。これによりチケット価格が桁違いに高騰した。グループリーグのチケット価格は60ドル(約9540円)から始まったが、600ドル(約9万5400円)以上にまで上昇した。
前回のカタール大会での最も高いチケットが約1600ドル(現行レートで換算すると約25万円)だったことを考えると、高騰ぶりは従来とは比較にならない水準だ。
決勝はニューヨークからハドソン川を渡ったニュージャージー州イースト・ラザフォードの「メットライフスタジアム」で開かれるが、あまりの高騰ぶりにニューヨーク州とニュージャージー州の司法長官が5月27日、FIFAのチケット販売について調査を開始したことを明らかにした。
ニューヨーク市民のもうひとつの懸念は、観戦に訪れたサッカーファンが交通混乱でスタジアムにたどり着けない事態に陥り、暴れ出すのではないかということだ。
「メットライフスタジアム」では決勝を含め8試合が行われる。海外などから訪れたファンのほとんどはニューヨーク市内に宿泊する。ニューヨークからの観客輸送の中核を担うのは鉄道だが、この鉄道は「運休・遅延の常習」として悪名高い。
「メットライフスタジアム」はプロフットボールのニューヨーク・ジェッツとニューヨーク・ジャイアンツの本拠地で、フットボールの試合のほかコンサートなどが開かれる。ニューヨークからスタジアムに行く場合、ファンは通常はニュージャージー・トランジットに乗り、最初の駅で乗り換え、スタジアムの最寄り駅に向かうのだが、ワールドカップの試合がある日は、試合開始の4時間前から特別直通列車が運行される。
特別直通列車の往復乗車券の金額は一時、1人150ドル(約2万3850円)と発表されたが、「乗車して30分もしない距離なのに高額過ぎる」という批判を浴び98ドル(約1万5600円)まで引き下げられた。それでも通常時の7.5倍だ。
そのニュージャージー・トランジットは運休や遅延が多く、公表されている年間の運休数は、ここ数年3000本を超えている。
ワールドカップは招かざる客
特別直通列車が運行される時間帯は、通常のダイヤによる列車運行はストップすることから、一般住民の反発も予想され、試合日の鉄道網は混乱しそうだ。この話だけでも「ワールドカップは招かざる客」と思っているニューヨーク市民が少なくないことが理解できるだろう。
共催国の中で最もサッカー熱が高いメキシコも思いは複雑だ。1970年と86年に単独で開催した経験があり、今回は開幕試合がメキシコシティで開かれるものの、市民は陽気に待ち望むことができないでいる。
第1次政権時を含めトランプ政権は移民や不法薬物問題など何かとかこつけて隣国メキシコをいじめてきた。メキシコ産の農作物がアメリカ人の食を支えているにもかかわらず重い関税をかけ、メキシコの経済を揺さぶっている。
以前、別の取材で世話になったメキシコのプロサッカー関係者は「トランプに花を持たせるような大会になるのはごめんだ」と話してはばからない。
戦争状態にあるイランの代表選手団のトレーニングキャンプ地について、トランプ政権は米国内に置くことを拒否した。これに代わってメキシコがイラン代表選手団を受け入れ、アメリカ・サンディエゴの隣接都市ティファナをキャンプ地とすることを決めた。開幕直前になってもスポーツの祭典に政治を持ち込むトランプ政権に、サッカーを愛して止まないメキシコ国民の不満は一段と高まっている。
FIFAは決勝戦のハーフタイムに、アメリカンフットボールの試合のような「ハーフタイムショー」を実施することを決めた。マドンナやシャキーラ、BTSという超豪華歌手が出演予定だが、メキシコをはじめとするラテンアメリカやヨーロッパのサッカーファンからすれば、タレントのショーなどサッカーには「邪魔者」だ。メキシコの市民からは「開いた口がふさがらない」との嘆き節が聞こえる。<文/谷中太郎>
【谷中太郎】
ニューヨークを拠点に活動するフリージャーナリスト。業界紙、地方紙、全国紙、テレビ、雑誌を渡り歩いたたたき上げ。専門は経済だが、事件・事故、政治、行政、スポーツ、文化芸能など守備範囲は幅広い。
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