巨人のライバルだった名選手の連続インタビュー「巨人が恐れた男たち」。第6回は“世界の盗塁王”こと元阪急の福本豊さん(77)=スポーツ報知評論家=だ。

通算1065盗塁の元世界記録保持者は、最強のリードオフマンとして打倒・巨人の目標のもと、日本シリーズで激闘を繰り広げてきた。6月3日に逝去した長嶋茂雄さんとの思い出や、当時の世界記録達成のほろ苦い瞬間まで、「喜怒哀楽」を語った。(取材・構成=太田 倫、表 洋介)

 子供の頃は巨人、中でも長嶋さんのファン。絵になるところで、しっかり期待に応えてくれる。出てくるだけで空気が変わるのが分かった。

 ミスターに初めて会えたのは、1969年3月29日、プロ1年生のときの姫路でのオープン戦。僕は途中から代打で出て、ヒットも打った。一塁に王さんがおって。三塁に進んだらミスターが「福本くん、足速いんだね」。もうアタマ真っ白や。

 その年の巨人との日本シリーズでベンチ入りしてたけど、ミスターの試合前の練習見て衝撃やったよ。右にも左にもカパーンってスタンドに放り込む。

芯に当たる確率も、打球音も、すごかった。この年は6試合で4本塁打を打って、MVP。「すごいわぁ…」ばっかりやった。76年に阪急が勝った日本シリーズでは監督になっとったからね。打線にONがそろっていない巨人は、何か迫力が違ってました。やっぱりね、現役でいてる時に勝ちたかったいうのはあるよね。

 日本シリーズや球宴でお会いしたら「フクちゃん」って声かけてくれるようになって、僕も「ミスター」って呼ぶようになった。会ったらあいさつ代わりに「フクちゃん、行ってる?」って。何の話かと言うたら、釣り。「行ってるでしょ」「行ってませんよ~」みたいなやり取りをしてると、野球の話が全く進まへんのよ(笑)。

 92年秋に巨人の監督に復帰したときに、コーチで誘ってもらった。本音の部分では、お客さんがあんだけ入るところでやりたいなと言う気持ちもあったけど、巨人のユニホームを着たら僕はつぶれるなと思った。

すごいメンバーがいっぱいおるやん。その伝統の中に自分が入るなんて無理やと思って、要請からは逃げてた。でも、名球会の野球教室で地方行ったときかな、ホテルにまで電話がかかってきた。「あちゃ~」ってなったよ。「東京は遠いから勘弁してください」とか言うてね。「臨時コーチやったら…」と、92年秋と93年春の宮崎キャンプに行きました。

 松井秀喜がルーキーで、内野から外野にコンバートされる時でした。「三塁から外野に行くんやったらセンターから練習させたらいいですよ。打球もよう見えるから」とミスターに勧めた。ノックも、薄暮でボールが見えにくい時にやった方が練習になりますよ、と。そっちの方が集中して守るからや。

 訃報(ふほう)に接して、今も喪失感は大きいよ。

声をかけてくれるだけで、みんなが喜びや明るさをもらえる。そういう人やったね。

 ◆福本 豊(ふくもと・ゆたか)1947年11月7日、大阪生まれ。77歳。大鉄高(現阪南大高)、松下電器を経て、68年のドラフト7位で阪急(現オリックス)に入団。2年目から13年連続盗塁王。72年は当時の“世界記録”となる106盗塁。通算1065盗塁、115三塁打はNPB記録。外野手部門でダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)も歴代最多の12度受賞。88年に引退し、2002年に殿堂入り。左投左打。

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