第107回全国高校野球選手権北北海道大会 ▽決勝 旭川志峯4―3白樺学園(22日・エスコン)

 下克上Vだ。北北海道大会の決勝が行われ、旭川志峯が4―3で白樺学園に勝利。

3年ぶり11度目、現校名では初の全国高校野球選手権大会(8月5日から18日間・甲子園)出場を決めた。先発したエース右腕・河合悠希(3年)は9回13安打を浴びながらも、184球の熱投で3失点完投。春は地区初戦敗退で、夏はノーシードから頂点まで駆け上がった。

 昨夏王者の猛追をしのぎ切り、旭川志峯が3年ぶりの頂点に立った。1点差に追い上げられ、一発出れば逆転の9回2死一塁。河合は184球目で最後の打者を一ゴロに仕留めた。「仲間を信じて、低め低めを意識して投げられた。(最後は)無我夢中で意識していなかったけど、ガッツポーズが出ました」。一塁手がベースを踏むと、その場で高く跳びはねて喜びを爆発させた。

 1点リードの3回は死球、内野安打でピンチを迎え、適時打とスクイズ(記録は内野安打)で2失点。逆転を許した。その裏に味方打線が再逆転したものの、5回終了時点で球数は115球。

序盤から控え投手がベンチ前でキャッチボールを続けていたが、山本博幸監督(45)は「スタミナは心配していない。(完投は)最初から考えていました」と明かした。交代の選択肢はなかった。

 冬場に1日最大220球の投げ込みを積んできた。「誰よりも投げたい気持ちはあった」と9回の173球目に、この日の最速140キロに迫る139キロをマークし、公式戦9回初完投。指揮官は18年の北大会決勝で完投勝利を挙げたヤクルト・沼田翔平(25)の姿を重ね合わせ「沼田も勝ち切ったところでエースになったと思いましたので、今回も勝ち切った結果を見てエースなんだろうなという気がしてます」と目を細めた。

 栗山町出身。世界一の名将から伝授された練習で制球力を磨いてきた。野球を始めた小学3年生のころ栗の樹ファームを訪れ、同町在住の日本ハム・栗山英樹CBO(チーフ・ベースボール・オフィサー、64)に練習法を尋ねた。母・かおりさんによると「とにかく狭い場所、壁に囲まれたところでするのがいい」と助言を受けたという。それからは両親が営む酒店内でマウンドからホームベースまでの距離をとり、父と投球練習。基礎を磨き、北北海道大会の優勝投手に上り詰めた。

 学校としては3年ぶり、新校名では初めて立つ夏の聖地。過去10度出場を果たしているが、勝利は1993年を最後に遠ざかる。「甲子園球場でもやるべきことは変わらない。きょうみたいに勝ちにつながる投球をしたい」。32年ぶりの白星奪取へ。鉄腕エースが全国の強者に立ち向かう。(島山 知房)

 〇…打線では逆転された直後の3回1死一、二塁から石田健心三塁手(3年)が再逆転の右中間2点三塁打。「河合が頑張って投げてくれていて、何とか逆転し返そうと思った。(手応えは)ありました」と振り返った。2年生が4人スタメンで出場する中で、3本のタイムリーは全て3年生が放った。それでも石田は「ゲッツーを(2年生の)村田と億貞で取ってくれたり、キャッチャーもよかったんで、チーム全員で勝った1勝だと思います」と強調した。

 ◆旭川志峯(旭川市)1898年に旭川裁縫専門学校として開校した私立校。

1968年に北日本学院大高、70年に旭川大高に校名変更され、2023年から現校名に。生徒数420人。野球部は64年創部で部員は51人。夏の甲子園は過去10度出場し、80年の3回戦が最高。主なOBはヤクルト・沼田翔平、広島・持丸泰輝、西武・オケム、08年北京五輪陸上男子400メートルリレー銀メダルの高平慎士。

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