サッカー日本代表の森保一監督らを育て、Jリーグ広島の総監督を務めた今西和男さんが16日未明、肺炎のため死去したとJ1広島が同日発表した。85歳だった。

広島市出身の今西さんは総監督として広島で1994年Jリーグ第1ステージを制した。

 今西氏の訃報に接し、日本サッカー協会・田嶋幸三名誉会長が協会を通じて、コメントを発表した。

 ▼日本サッカー協会・田嶋幸三名誉会長「今西さんのご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。

今西さんは東京教育大学(現、筑波大)の先輩で、私はそのときから今西さんの薫陶を受けてきました。サンフレッチェ広島では総監督として手腕を発揮され、1994年、Jリーグ1stステージ優勝に導かれました。その後、JFAの強化委員会の副委員長に就任され、私は委員として今西さんの下で、西野朗監督率いるU―23日本代表と加茂周監督の日本代表のサポートに携わりました。高所大所から判断される方で、特に監督人事のことについて多くを学びました。1997年、加茂監督の続投を巡って議論が紛糾し、強化委員会の提案がJFA理事会で却下されたとき、委員会を解散して全員で辞めようという流れになりました。しかし、育成の改革が道半ばだったことから今西さんと小野剛氏が残ることになり、今西さんは多くの批判を受け止めながら育成改革を進めてくださいました。今、こうして多くの選手が欧州のトップリーグで活躍するまでになったのは、あのときの改革があったからこそでしょう。マツダSC時代に長崎日大高校の一プレーヤーだった森保一選手を見いだし、日本代表選手へと育てた今西さん。彼は今、日本代表監督として優勝を目標に6月のW杯に臨みます。

今西さんの存在なくして今の日本サッカー、日本代表はありません。森保監督2度目のW杯を見ていただけなかったことが残念でなりません。どうか、天国で森保ジャパンを見守ってください。ありがとうございました」

 ◆今西 和男(いまにし・かずお)1941年1月12日、広島市生まれ。4歳時に広島市で被爆。市舟入高から東京教育大(現筑波大)へ進み、63年にJ1広島の前身でもある東洋工業蹴球部に入る。69年に腰のけがで現役引退。DFとして活躍し、日本代表としても3試合出場。82年、マツダの総監督に就任し、ゼネラルマネジャー(GM)の草分けとなる。森保一や久保竜彦ら無名の選手を発掘。日本協会の技術部副委員長、岐阜の社長なども歴任した。吉備国際大の客員教授も務めた。

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