日米のプロレス界でトップレスラーとして活躍した元NWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアさんが亡くなった。85歳だった。

 ドリーさんは、ジャイアント馬場さんが1972年10月に旗揚げした全日本プロレスを救った。

 72年7月に馬場さんは日本プロレスを退団し新団体の設立に動いた。日本テレビが全面バックアップした旗揚げだったが、外国人レスラーを招聘(しょうへい)する窓口が不在だった。

 当時は、大物外国人レスラーの来日が観客を動員する源だった。世界最大の団体「NWA」は、日本プロレスが抑えており、八方ふさがりの窮地に援助を名乗り出たのが、ドリーさんの父・ドリー・ファンク・シニアさんだった。

 スター選手だった息子のドリーさん、テリーさんを全日本プロレスへの参戦を確約。プロモーターでもあったシニアさんは「NWA」に働きかけ馬場さんの全日本プロレスは「NWA」加盟が実現。外国人を招聘するルートを確保した。

 シニアさんは旗揚げ翌年となる73年6月3日に54歳の若さで急逝。その後、ドリーさんとテリーさんが外国人レスラーを招聘する担当を担い、81年12月にスタン・ハンセンを「新日本プロレス」から引き抜くなど数多くの人気レスラーを全日本マットに呼んだ。さらに亡くなるまでPWF会長として王道マットを支えた。

 1974年に入団した和田京平名誉レフェリーは、リング外でのドリーさんの功績を「シニアがいたからこそ全日本は誕生した。

その後、ドリーとテリーが引き継いで全日本を支えてくれた。今の全日本があるのはファンク一家が救ってくれたおかげなんです」と明かしていた。(福留 崇広)

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