優勝マジックを「1」としていた阪神が12度目(1リーグ時代の4度を含む)の優勝を決め、球団史上初のセ・リーグ連覇を成し遂げた。1リーグ時代を含めても、連続優勝は1937年秋、38年春以来、88年ぶり2度目の快挙。

藤川球児監督(46)は亡き友人の思いを胸に、グラウンドに立ち続けていた。

 「松ちゃん、あしたからも一緒に戦うぞ」―。阪神・藤川監督は冷たくなった手を握り、別れのあいさつを済ませて部屋を出た。元デイリースポーツ記者でライターの松下雄一郎さんが大腸がんのため、6月8日未明に55歳で死去。指揮官にとっては、故障を繰り返した若かりし頃から、苦楽をともにしてきた“戦友”だった。

 7日の午後11時半頃。藤川監督は知人から「もしかしたら…」と連絡を受け、急いで兵庫県内の松下さんの自宅に向かった。松下さんは「球児には言わないでくれ。心配させたくない」と、最期まで気遣っていた。だから、だろうか。「もう到着する」という一報を聞き、悟ったかのように息を引き取った。藤川監督は紙一重で死に目に会えなかった。

「最後に家を隣の建物と間違えて。神様がそうさせたのかな…」。さすった手はまだ温かかった。

 昨年4月に松下さんのがんが発覚して以降も、球場内外で顔を合わせた。今年6月には家族水入らずの観戦を希望していることを伝え聞いてサプライズ。球団の協力を得て、甲子園のロイヤルスイートに招待した。それが3日の西武戦、亡くなる5日前。ベンチ裏の監督室での会話が最後になった。

 帰りの深夜のタクシー。スエット姿の藤川監督は静かに言葉を紡いだ。「きょう試合(6月7日の楽天戦)が雨で中止になったから会いに来ることができたんよね。それも不思議な縁というか。

勝つしかないね」。涙はなかった。一度は外した監督の仮面をかぶり直した。あれから約4か月。亡き友と一緒に頂点に立った。(小松 真也)

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