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8月25日放送後記

「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

今週評論した映画は、『リボルバー・リリー』(2023年8月11日公開)です。

(この日の放送は金曜日パートナーのTBSアナウンサー山本匠晃さんが欠席。宇多丸のひとり喋りでオープニングトーク)

宇多丸:(オープニングのフリートークのあと)……さてこのあとは『リボルバー・リリー』、綾瀬はるかさん主演のアクションエンターテイメント大作……日本では非常に珍しいですよね。これが公開されているということで、このあとムービーウォッチメンをやりたいんですが、今日は時間もありますんでね。さっさと前哨戦と言いますか、中で入りきらない件を始めちゃおうと思うんですよ。

まず、銃器の話をしておきたいんですよね。『リボルバー・リリー』っていうぐらいで、主人公の小曽根百合というですね、美しき暗殺者と言いましょうか、『ニキータ』とかそういうラインの感じかな、小さい時から暗殺者として育てられて……みたいな。で、リボルバー・リリーと言われているぐらいなんで、銃の使い手。リボルバー……それもスミス&ウェッソンのM1917というものを使うと。しかも、ただのM1917じゃないですね。劇中で使われているのは、非常に美しい彫刻が入った……パールグリップなんですかね、白いグリップで。非常に綾瀬はるかさんの美しさというか、お召し物も素敵ですから、そんなものも含めて、ある種フィクショナルな感じも含めて、合っていたと思いますし。

で、対する悪役たち、追っ手は、帝国陸軍なわけですけども。1924年の時点で──関東大震災の一年後という設定です──そこで使っているのは、二十六式拳銃というリボルバー。こちらもまたリボルバーなんですけども。えっと、これ、トイガンとしては、ハートフォードというところがですね……ここ、凄く変わったモデル、他社がモデルアップしないような、非常に歴史的意義を持つような……最近もパームピストルって、『イングロリアス・バスターズ』に出てきたね、手の内側に入れて殴るようにバーン!って撃つようなパームピストルなんかをね、モデルアップしていたりもしますけども。非常に意欲的というかな、歴史的価値のあるようなトイガン、モデルガンをモデルアップしているハートフォードさんが、何年か前にですね、この二十六式拳銃というのを出していて(現物を持ちながら)。

で、私、ガンマニアというか、特に小火器が好きなんですね。ピストルとか、せいぜいライフルぐらいまでですかね。子供の頃から興味を持ってきたんですけど。でも、この二十六式拳銃っていうのがどういうものかっていうのは、(ハートフォードによって)モデルアップされるまで、全然知らなかった。これ、非常に(珍しくて)、完全に日本独自発想の設計によるリボルバーって、たぶん後にも先にもないんじゃないですかね。戦後、いわゆるお巡りさんが持っていたニューナンブって、あれはもちろんスミス&ウェッソンのチーフスペシャルがモデルになっておりますし。これ(二十六式拳銃)、本当に変わった銃で。

中折式っていうのかな、こうやってガチャッとする(銃身とシリンダー、フレームの一部を前に折るように倒す)やつなんですけど、優れている点、変わっている点はね、機具を使わずに分解できる。トリガーガードをパカッを外すと横がパカッと開いたりして、こう、凄く変わってるし、面白い。ユニークな機構を持っている。あと、ダブルアクションオンリーなんですね。要するに、カチッて撃鉄を起こして撃つ方式はなくて、全部(引き金を引いて)バンバンと撃つ、ダブルアクションになっていると。

ただ、欠陥としては、いわゆるシリンダーストップがないんですよ。つまり、弾を込めておく弾倉がありますよね。これが、回っちゃうんですよ(笑)。一方向にはストップがかかるんだけど、逆方向にはいくらでも回っちゃうの。だから、そんな細かい描写をやってる時間はないだろうけど、僕、この映画の最初のアクションシーン……この列車内のアクションシーンは凄くいんですけど、ここで主人公の小曽根百合が、陸軍の追っ手にバッ!と二十六式拳銃を突きつけられて。彼女は、後ほども言いますけど合気道の使い手、という設定がこの映画のアクションの構築の中ではなされているんで、要するに腕をねじり上げるような感じで、銃を取るんですけど。ここで、それこそ一発撃ったあととか、二十六式特有の機構を使って、撃てないようにする……みたいなのがあんのかなー?って、一瞬期待してしまいましたが、まあそんな細かいことやるわけないか、みたいな感じで観ておりました(笑)。

でも、ちゃんと「ああ、二十六式だ!」みたいな感じで。印象的なシルエットだし、「オレも持ってる!」って感じで、凄く嬉しかったです。(銃を握りながら)このグリップとか、完全に左右非対称なの、珍しいですよね。こんな銃なかなかない、っていう感じで。ええ。

あと、銃器周りで言いますと、清水尋也さん演じる南という、要はより(組織の)高いところから送られてきてるっぽい、能力的には主人公・小曽根百合と同等の力を持つ、特殊兵士というか、特殊スパイですよね。私、清水尋也さんの大ファンで、どの作品を観ても「清水尋也さんはイイ!」っていうふうになりがちなんでございますが。今回の作品も、清水尋也さん、死神的な存在感を見事に体現されていて、めちゃくちゃ良かった。あと、綾瀬はるかさんとのタイマンでのバトル、これも後ほど言いますが、凄く良かったんですが。そこで彼が持っている銃が、南部十四式というやつで、これ、正式配備が1925年なんで、(彼は)配備される前に持っている。で、南っていうのは、原作小説を読むとさらに出てきますけど、まだ配備されていない試作銃だとかカスタム銃みたいなものを持っている、という。だから、より上の立場だ、っていう設定になっている。

ああ、これはなかなか面白いな、と思ったんです。

ただですね、これ……今回の映画だって、銃器の専門家がいっぱい入ってる作品なんで、僕ごときが感じる疑問なんて、とっくに答えがあるのかもしれないけど。観ていて「それにしても……?」と思ったのは、南が持っている十四式って、いわゆる後期型と呼ばれる、トリガーガードが、手袋をした指で寒冷地等でも使えるように、卵形に広げられたやつなんですね。どう見ても形が。それね、配備されるの、昭和入ってからなんですよ。全然、後なの。なので、試作品を持っているっていう設定だったら、いわゆる前期型、真ん丸のトリガーガードのものを持っているべきじゃないの?……ってことを思いながら観ている人が、たぶん全国で、千人以上はいたと思う、絶対(笑)。みたいな感じでございました。

でもまあそんな感じで、日本映画では普通あんまり出てこないような銃も出てきますんでね(※宇多丸補足:慎太が父から譲り受けたベレッタM1915に至っては、世界的にもトイガンは製造されていないので、今回イチから作ったそうです……原作にも印象的に出てくる銃だとは言え、そこまでちゃんとこだわったのは偉い!と思います)。そのへんも楽しめるあたりだったんじゃないでしょうか。……あ、こんな話をしていたら、(6時台前半のフリートークゾーンが)もう終わってしまいましたね。

(メニュー紹介など挟んでコーナースタート)

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し、そして二十六式拳銃を片手に評論する(笑)、週刊映画時評ムービーウォッチメン。

今夜扱うのは、8月11日から劇場公開されているこの作品、『リボルバー・リリー』。

(曲が流れる)

作家・長浦京の同名小説を映画化したガンアクション。大正末期の1924年、元敏腕スパイの小曽根百合は、日本の未来を左右する秘密を握る少年と出会ったことで、陸軍に追われる身となる。主演の綾瀬はるかの他、長谷川博己、豊川悦司、シシド・カフカ、清水尋也さん、阿部サダヲさん……阿部サダヲさんの山本五十六役は、結構新鮮っていうか、「ああ、こういう解釈もありかな」なんて思ったりしましたけどね。あと、野村萬斎さんなどが出演しております。監督は、『窮鼠はチーズの夢を見る』『劇場』などの行定勲さんが務めていらっしゃいます。

ということで、この『リボルバー・リリー』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「普通」……まあでもどうだろうな、こういう邦画で言えば、健闘している方なのかな? 賛否の比率は、「褒める意見が4割」。主な褒める意見は、「綾瀬はるかがかっこいい。格闘やドレス姿が様になっていた」「シシド・カフカ、古川琴音といった女性陣や長谷川博己も良かった」「大正ロマンを感じさせる美術がいい」などございました。一方、否定的な意見は、「アクションシーンの出来がひどい。

今の時代にこれはない」「ドラマとしても退屈。今年ワースト」など。こういう意見もありました、ということです。

「『東映時代劇』のリアリティラインで観るのが正解!」(リスナーメール)

ということで、代表的なところを要約しつつご紹介しましょう。ラジオネーム「武蔵の守」さんです。「綾瀬はるか、こんだけアクションの出来る女優は、そうはいないでしょう。重ねて、歴史モノの中に完璧にハマっている佇まいが、良いです。戦前の大正の雰囲気も大好きです。行定勲監督は、主人公が女性でなければ自分のところに話はこなかったろう、とどっかのラジオで語っておられましたが、これは綾瀬はるかあってこその傑作だと思います。正直、ストーリーに多少の無理があるのは、これは「東映時代劇」なんだから、こういうもんでしょう。これはたぶん『柳生一族の陰謀』とか『魔界転生』とかと同じジャンルの映画だと思ったほうがいい。歴史モノではなく時代劇のリアリティラインで見ればいいと思うんです。

クライマックスの、日比谷公園の海軍省の前に陸軍部隊が展開している、それをガンガン銃を撃ちながら突破していく、という「いくらなんでも」という展開、日本でこんなことあるかい、と言いたいところですが。私が思い出したのは『激突 将軍家光の乱心』、幼い竹千代を守って緒形拳が突破につぐ突破で江戸城をめざす、という往年の東映映画でした。あれを、主人公を女性にすれば「もっと面白い」、これが成立するのも、綾瀬はるかならでは、でしょう。アクションはいいがドラマパートがどうもタルイ、という評を見かけますが、大正ロマンっぽい道具立ても、とても好みでしたし、このバランスでいいんじゃないか、と私は思いました」という武蔵の守さんです。ありがとうございます。

一方、ちょっとダメだという方もご紹介しますね。「サン・ペキングー」さん。「『リボルバー・リリー』、面白くなかったです…。本作の予告編を見て感じたガンアクションへの不安は、やはり映画本編を観ていても気になるところで、「リボルバー」とタイトルについている作品なのに、出てくる銃がすべておもちゃに見えてしまい、もう開始30分くらいで「早く終わらないかな…」と思ってしまいました。あれだけ細い体の人間が片手でリボルバーを撃って反動がないことに始まり、せっかくセットで街を作っているのに全然それを活かさない「隠れて撃つ」だけの鈍重で単調なアクション設計、「あぁこの人に殴られたら気絶するな~」とまったく思えない"凄腕スパイ"というキャラクターへの説得力不足などなど…徹頭徹尾ぬるい、ダサい、間違いない!

6年前に『アトミック・ブロンド』が存在するこの現代に、強い"テイ"で見せるアクション映画は通用しないでしょ…と劇場で頭を抱えました。また、長谷川博己さん演じる岩見がある施設から脱走する場面では、一度脱走シークエンスを省略して見せたかと思えば、ビンで頭を殴るだけの面白くもないカットを後から差し込むなど、いくらなんでも全編通して映画的運動神経が悪すぎます。倍速視聴は絶対にしない派の私ですが、もし配信で本作を観ていたら4倍速にすると思います。面白くなる要素はたくさんあったし、俳優陣はとても魅力的だったので、これは大変失礼な言い方とは重々承知の上ですが、他の監督が撮っていたらあるいは、、、と、どうしても思ってしまう映画でした」ということでございます。

長谷川博己さんが、あるところから脱出する時に、これは原作にもある描写ではあるんですが、瓶で殴ると。で、それを、省略描写なのかな?と思わせながら、またその場面に戻って、「こういうことをしました」ってわざわざ見せる、というね。まあ、そのちょっと戻ることも含めて、ギャグっぽく見せてる、っていうことではあるんだろうけど……というあたりでございましたね。はい。ということで皆さん、賛否両方の意見ね、拝読しております。皆さん、ありがとうございました。

メイキング本などから伝わってくる作り手たちの気合い

『リボルバー・リリー』、私もバルト9、そしてやっぱりですね、これ最初、昔の、フィルム時代の東映ロゴがバーン!と出る作品なので、やっぱり東映本社のお膝元で観たいなということで、丸の内TOEIに行ってまいりました……丸の内TOEI、でもちょっと、上映スクリーンが暗かったのが気になりましたけどね。割と(お客さんの)年齢層は高め。女性で、年齢層高め、って感じだった。入りは正直パラパラ、という感じでしたね。私が行った感じではね。

ちなみに今回ですね、なかなか力の入った劇場パンフの他に、報知新聞社から出ている「映画『リボルバー・リリー』は何を撃ち抜くのか? 大正・パンデミック・戦争──日本映画の現場を伝える行定勲と80人の闘い」という、メイキングインタビュー本ですね、これが数日前に発売されまして。これ、原作小説と並んで、私も読み込みまして。非常に参考にさせていただきました。

とにかくここから伝わってくるのはですね、いろいろと大変な状況、条件を乗り越えて、演者もスタッフも皆さん全力で、これまで日本になかったような、そして世界に出して恥ずかしくないような、アクションエンターテイメント的なものを目指された、ということ。その志や努力そのものは、心から、本当に敬意を払いますし、実際うまくいってるところも……なくはない。基本、めちゃくちゃ応援していきたい方向なんです。

なのに……という塩梅の時評になってしまうこと、本作の関係者およびファンの皆様には、先にお断りしておきたいと思います。ご気分を害されるかもしれないんでね、聴かない方がいいかもしれません、ということですね。まあ、(本音を言えばそれでも)聴いてほしいけどね。

紀伊宗之Pが目指した「東映アクションヒロイン物」の復興

まず簡単に、作品の成り立ちを整理しておきますと、企画・プロデュースの紀伊宗之さんという方がおりまして。この方、元々は東映映画興行というところから、我々が知っているあのTジョイに出向して、ご存知「オレたちの新宿バルト9」の開業を統括した……だから、ある意味この方がいて、あの「オレたちのバルト9」がある、という。で、その後、映画の製作・配給に携わったりとか、あとバルト9はまさにその先駆けですけども、ライブビューイング興行をすごく成功させたりとかした方で。特に、2014年に東映株式会社にまた改めて移ってからは、同社の文化的遺産たるヤクザ映画ジャンルを現代に復興させてみせた、『孤狼の血』シリーズ、これを企画・制作したりとか。

その意味で今回の『リボルバー・リリー』もですね、この紀伊さんがですね、長浦京さんの、2017年、大藪春彦賞を取ったその原作小説を読んでですね、さっき言ったそのメイキング本によりますと、「『リボルバー・リリー』は言うなれば、僕にとっての『緋牡丹博徒』だ」と。当時の藤純子さん、後の富司純子さん主演の『緋牡丹博徒』だ、ということで。「僕自身、ダークヒーローは最も得意とするところ。この時代ならではのダークヒロインを誕生させてやろう」という。

つまり、まずこの『緋牡丹博徒』もそうだし、「女囚さそり』シリーズとか、東映アウトローヒロインの系譜っていうのは、かつてはやっぱりありましたし。あと、もっと肉弾系アクションでもですね、志穂美悦子さんの「女必殺拳』シリーズとか、「華麗なる追跡』とか、そういった傑作群があるわけで。とにかく、今度はそっちの東映レガシー、すなわちダークヒロイン、女性アクション物、っていうのを、現代に復興させる!というコンセプトが、紀伊さんにはおありだったんだろうなということで。それ、すごくわかりますよね。「なるほど!」っていう感じだし、どんどんそういうの、作ればいいと思います。私もね。

メイキング本で赤裸々に明かされる製作過程の紆余曲折

で、先ほど言ったメイキング本、かなり赤裸々な事情までガッツリ書かれていてですね。最初は他の4人の有名監督に当たって、特にその4人目の方とは、シナリオハンティングまでしたんだけど、結局ちょっとなんかビジョンが合わずに、降板となり。そこで、今までアクション映画のイメージがない監督に、あえてやってもらうのが面白いんじゃないか、という発想から、ついに行定勲さんに白羽の矢が立った、ということですね。当映画時評コーナーでは、2010年3月6日に『パレード』という作品と、2016年1月23日に『ピンクとグレー』を扱いましたね。近年だと、2020年の『劇場』はね、番組でも話して……あれはすごいよかったですね。

まあ行定勲さん、アクションはやったことないにしても、たとえば2005年の『北の零年』のようにですね、やはり東映で、何よりスター女優を立てつつ、一定の格調高さを醸す文芸大作を仕上げてみせる腕、というか。そういうところでたぶん、信頼感もあったんだろうなって……こういう大きいプロジェクトで、ちゃんと女優をきっちり立てた作りにできる、みたいなところで、信頼があったのかもしれませんね。

で、行定さんがですね、これは脚本専門の人よりも、要するにたぶん、映像的な表現というのかな、演出込みの表現がメインになってくるので、監督としての発想がある人がいいだろうということで、小林達夫さんっていう方を呼んできて、原作小説を脚色していくわけですね。

で、当然のごとく様々な展開、描写とかキャラクターが、大幅に整理されていたりするわけですけど……原作小説の描写をそのままやっていったら、それはそれはすごいことになりそうな場面が、いっぱいあるんです。たとえば、クライマックス。今回の映画だと、シンプルに、だだっ広い道があって、A地点からB地点にたどり着くか?っていうことになってる、ああいうところもですね、結構その前のくだりも含めて……なんというか大正東京巡りっていうか、ちょっとロードムービーじゃないけど、その逃避行そのものがひとつの見せ場になってたりするところがあって、原作だと。ただ、それをやりだしたらね、もう大変な……いくつセットを作ればいいんだ、みたいなことで、大変なことなっちゃう。

まあ、いろいろと整理されてるんですけども、一番大胆にして、「ああなるほど、一本の長編映画にするならこれは妙案!」という改変部分……特に私が原作と読み比べて、「ああ、ここをこうしたんだ! それは上手いかも」って思ったのは、ある重要な二人のキャラクターを、「実は同一人物だった」ということにして、途中でその種明かし的盛り上がりも作り……みたいな。あと、その人物のちょっとヒロイックみも増してる、みたいな感じで。そのアイディアは、メイキング本によれば、さっき言った紀伊さんが出したアイディアだった、ということらしいんですね。はい。

ということで、ただでさえハードルが高い企画であったわけですけども、途中でコロナパンデミックがあったりとか、あとはですね、1年半前にロシアによるウクライナ侵攻が始まって。特に行定さんの中に、今こういうドンパチをエンタメとして扱うということに対する、ちょっと葛藤が湧いてきて……で、それにシンクロしてと言うべきか、一人、あるメインキャストが降板して、役柄ごとなくなったりとか。挙句の果てには、まあまあギリギリになって、衣装担当の方が完全に抜けることになって。衣装が全然ない状態になっちゃって、みたいな。結果、大御所の黒澤和子さんが入って、なんとかして乗り切った、みたいな。

とにかくですね、さっき言ったメイキング本、かなり突っ込んだ事情まで明らかにしてくれていて。この「映画『リボルバー・リリー』は何を撃ち抜くのか?」を読むと、やっぱりすごい応援したい!という気持ちは間違いなく高まります。はい。「うわっ、頑張ったんだな……」みたいなのはあったりしますね。

細見家襲撃シーン、汽車客室内アクションなど、序盤は「いいじゃんいいじゃん」!

では実際、出来上がった『リボルバー・リリー』という映画はどうだったかといいますと……まず先に、わたくし的に良かったところから言っていきますね。「ちゃんとうまくいってるじゃん!」というところを言っていきますね。とにかくですね、序盤は結構……要するにちょっと私、悪い世評の方も先に何となく入ってきちゃってたんだけど、「えっ、そんなに言われるほど悪いかな……というか、結構いい感じすらしますけど。結構いいんじゃない?」みたいな感じで、ワクワクしながら全然観ていました。序盤は。

綾瀬はるかさん演じる小曾根百合がですね、野村萬斎さん演じる洋裁店……ここでその、オーダーメイドで服を作ってるんで。1924年のモボ・モガの時代にしても、それにしても、ちょっと進んだ格好をしているんですよね。「これが日本で流行るのは、もうちょっと後だろう」っていう感じなんだけども。それぐらい進んだ、超ファッショナブルな格好で。で、野村萬斎さんの洋裁店は、あんな感じで思わせぶりに出るんだったら……原作ではあんな感じのキャラクターじゃないんで。はっきり言って『ジョン・ウィック』寄りですよね。だから、もういっそのことあのドレスに、『ジョン・ウィック』でもやっているんだから、防弾機能がついてる!ぐらいのことにしちゃえば?(笑)、みたいに思いながら観てましたけど。

でね、それはともかく、洋裁店を出て……冒頭のところです。銀座の、(看板で)松坂屋って見えるんですね。あれはたぶんVFXなんでしょうけど、その方向に向かって歩いていく、街のショット。これが、すごいスケール感を持って見せられる……まあ、こういう映画なら、もうちょっとそのタイトルの出し方を、ケレン味をつけて出したっていいだろう?とは思ったけど。まあともあれ、大正、1924年の東京の街、というのを、しっかりリッチに感じさせてくれている、っていう。これは本当にいいところだと思うし。

それに続く、細見っていう家のね、襲撃シーンっていうのがあるんですね。あるところを襲撃する。まず、夏空の下、なぜか全員白い麦わらハットとベストで、妙に爽やかに、ハイカラに決めた男たち。これが実は帝国陸軍で……この扮装が後からは出てこなくなっちゃうのがちょっともったいないんだけど。妙に決めてるのが、スタイリッシュだけどキモい、みたいな感じで、いいんですけどね(※宇多丸補足:ベルトルッチの映画に出てくるファシストみたい、と個人的には感じました)。それで、相島一之さんという役者さん、皆さん顔見ればわかる相島さん演じる使用人が、倒れたまま、首を刺される。で、溢れた血が床下に垂れていく。で、その床下に垂れていく血にしたがって、カメラが下に降りていくと、実はその床下には、羽村仁成さん演じる細見慎太という男の子が隠れている、っていう。これ、たぶん『イングロリアス・バスターズ』の冒頭ですね。あれを彷彿とさせるカメラワーク。これも「おお、いいじゃん、いいじゃん!」っていう感じですし。

さらには、原作よりあえて表面上軽めに、洒脱に演じているバランスがまた、非常に色気があっていい長谷川博己さん演じる、その岩見というのが歩いていく、玉の井の路地のセットの密度とか、艶やかさとかも、すごくワクワクさせられる。「ああ、本当にこういう世界をちゃんと作っていて偉いな」と思いますし。

なんと言ってもですね、百合が初めてその能力を劇中で発揮する、要するに「なめてた相手が殺人マシーンでした」シーン(Byギンティ小林さん)ですね、汽車の客席内でのファイトシークエンス。これ、原作にはないオリジナルのアクションシーンなんですけども。まず、アクションチームによって、合気道の超達人という設定をされた百合。これによって要するに、非力な女性でもガンガンガンガン男性を倒していく、ということのロジックが、この作品内では一応ある。で、非常にメリハリの効いた格闘と、勝利ロジック……たとえば私がいま手に持っております、二十六式拳銃をねじり上げていくところ。単なる腕力勝負ではない百合の「強さ」というものの、劇中内、映画内ロジックっていうのが、ちゃんと見えてくるし。

あと、『イコライザー』ばりに、その場にある日常用具を使って行われるアクション。しかもそれがキセルとか、かんざしとか、大正期日本ならではの小道具だっていうのも、すごく楽しいあたりですよね。このあたりは「えっ、全然いいじゃん! この調子で行ってくれるなら、最高なんだけど!」みたいな。なので、この最初の汽車客室内ファイトは、かなり満足度が高い出来と言えると思います。

あと、ファイトシークエンスで言えばですね、私がずっとファンだと先ほどから言っている清水尋也さんが、見事に死神的な存在感で演じてみせる南、というね。要は百合と互角の力を持つ特殊スパイとの、いわば同門対決。川の上の幅の狭い板の上から始まる、同門対決。要するに、ほぼ同じ手を繰り出し合う……がゆえにですね、ザッザッザッ!と一連の動きの流れがあってから、ピタッ!と膠着状態になる。だから、ザッザッザッザッ! ピタッ! ザッザッザッザッ! ピタッ!ていう、このある種、息の合った者同士というか、息が合いすぎている者同士の、リズム感ある対決が、非常に心地いい。コマ落としとかも部分的に使ってるようですが、とにかく綾瀬はるかさんの動きのさすがさとかもあってですね、こういうところもすごくいいし。

あとは、中盤の大見せ場、玉の井での大銃撃性も、特にシシド・カフカさん演じる奈加っていうののね、ウィンチェスター使い。非常にサマになりすぎていて、めっちゃかっこいいし。あの、『ブラックパンサー』のソウルでの闇カジノでの乱闘シークエンスばりに、ワイヤーを使って、2階から飛び降りるその背中を「追っかけていく」カメラワーク。これも、「おお、やるじゃん! 『ブラックパンサー』みたいじゃん!」みたいな感じで……ただ『ブラックパンサー』を観た身からすると、そこで(2階から)下りたまま、そのひと続きでもうワンアクション、ぐらい本当はほしいところなんですけども。でもまあまあ、「やるじゃんやるじゃん!」みたいな感じがあったりする。

まあ、そんなこんなでですね、「いいじゃんいいじゃん!」ってなるところも結構ある作品ですし。最終決戦手前のね、一面真っ白、霧に包まれた中、音と、時折ガンファイアの閃光が明滅する、という銃撃戦のシーン。まあ、ここは賛否がわかれてるみたいですけど、言ってみれば鈴木清順監督の日活アクションであるとか、後にはジョニー・トーなどがやっていく、「極度に様式化、抽象化されたガンファイト描写」の系譜として、もちろんアイディアとしてナシではない。やりようによっては、非常にフレッシュにもなり得たアイディアだと思う。だから、「霧でよく見えないからダメ」とか「リアリティがないからダメ」とか、そんなことは言ってないんだけど……っていうことですね。

テンポが悪く筋が通らない展開の連発、どんどん気持ちが離れてゆく……

ただですね、いま挙げた「まあまあ、うまくいってるんじゃない?」というところ……以外も含めた、映画全体としてはですね。これほど皆さんが総力を尽くした作品に、それでもこう感じてしまうのが本当に心苦しいんだけど……正直、少なくとも現代基準のアクションエンターテイメントとしては、なかなか厳しいものがあると言わざるを得ない一本に、結果としてなっちゃっているんじゃないですかね。

まず一番大きな問題は、全編にわたって、テンポが悪すぎます! アクション映画というのは基本、直線的にやっぱり進んでいってほしいもの……それでどんどんドライブしていくものだと私は思うんですが、本作はですね、それこそ「文芸作品的な」ということなのかもしれませんが、回想シーンとか、あるいはたっぷりめに間をとった、まあ「芝居を見せる」シーンとかがですね、ちょいちょい挟み込まれて。その都度、アクション映画なら欲しい、さっきから言っているドライブしてく加速感みたいなものが、いちいち止まるんですね。「映画として止まる」んですよ、いちいち。そもそも、回想シーンっていうのは、映画全般であんまり無造作に使うべきでない、と私は思っておりますが。

また、主人公たちの行動……少なくともこの映画内では、不可解、もしくは単にバカにしか見えないところが多すぎて、観客として気持ちが、すぐに離れていってしまう。ちょっとね、もう挙げていくときりがないので大幅に省略しますね。あの工場に行くくだりとか(※宇多丸補足:この映画内だと、逃避行中の森の中に“たまたま”あった……それもほとんど廃工場のような建物のなかに、さらに“たまたま”あったようにしか見えない薬品をゲットするに当たり、百合がなぜか最初から100パー確信を持ってる風に、理由も言わずに慎太を残してズンズン入っていく、という展開がとても不自然だし、清水尋也さん演じる工員に「あんたもついてきなさい」となるのも「え、なんで?(笑)」としか言いようがなかったりで)、もう、ちょっと杜撰すぎる!みたいなこととか、いろいろあるんですけど、ちょっと省略します。もうね、きりがないから。

一番わかりやすいところ。たとえば、追手の中に、顔見知りの佐藤二朗演じる平岡という男がいるのを、視認しているわけですよ。「あいつ、なんでいるんだ?」ってなっているんです。つまり、陸軍側にも身元は割れてるわけですよね、百合はね。ところがその後、逃亡する百合と慎太くんはですね、そのまま玉の井の百合の店に戻り。あまつさえ、全く無警戒の状態のままいる慎太くんは、案の定、捕らえられてしまい……「えっ、バカなの?!」みたいな(笑)。だし、その後も、その玉の井でのその対陸軍の大見せ場、銃撃戦。ここもですね、『戦艦ポチョムキン』ばりに、赤ん坊がよちよち歩いてきて……みたいなのを出してきている割に、全然盛り上がらない。「活かされねえー!」(笑)みたいなのも驚きましたし。その活かされなさに。

で、百合が完全に弾切れして棒立ち状態になっているという、しかしまさにそのタイミングで、(陸軍は)「撤退!」って言うんですよ。「いや今、チャンスだろう?」みたいな(笑)。なんかよくわかんない、「お前、何しに来たの?」みたいな感じに見えちゃうし。そもそも、主人公たち側の勝利ロジックが全くない戦闘である件ももちろんそうですし……異化効果を狙ったのはわかるけど、百合みたいに、さっきから言ってる最先端西洋ファッションに身を包んでるような人が、わざわざあそこでかけるレコードが、当時にしたって、エノケン(『パイのパイ節』)はねえだろ? あれ、コミックソングだから。あれ、百合ならなんか西洋の、そういう粋な音楽、ジャズかなんかをかけるんじゃないの?っていう感じも……言い出したらきりがないんですけど(※宇多丸補足:各所のインタビューで行定さんは、コーエン兄弟の“オフピートな”アクションの描き方が好きで、というようなことをおっしゃっていて、たしかにこの銃撃戦の火蓋を切る奈加と百合のやりとりや、おそらく前述の瓶のくだりなども、そういったある種の脱力テイストを目指したもの、と言えるのかもしれませんが……その狙いが本作の物語に相応しく結実しているかは大いに疑問ですし、そもそもコーエン兄弟は、必要なときには恐ろしくタイトでシャープなアクション~サスペンス演出もバッチリできる人たちでもあるので、念のため)。

で、とにかく陸軍相手に大立ち回りをしたわけですよ。陸軍をもうバッタバッタと倒したわけですね。でもその後も、やっぱり百合と慎太は、変装も潜伏もしないまま、フラフラ縁日かなんかに来ちゃって。で、あまつさえ百合は錯乱状態で、その縁日のど真ん中で発砲して、パニックを起こしちゃったりしているんですよ……「お前ら、のんびりしすぎだぞ?!」って(笑)。この映画ね、全体的に、のんびりしすぎね!

「耽美的アクション」を狙うにしても……

一事が万事、テンポも悪いし、筋も通ってないところが多すぎる……そんなこんなも、フレッシュなアクション表現があれば、大した問題には感じられなかったかもしれませんが。まず、銃器の発砲描写。先ほどメールにもありましたけど、全て、完全無反動にしか見えないわけですね。この時点でもう、日活アクションから全く進歩してない、っていうことになりますよね。全く反動がない。まず僕、いまガンアクションをやるなら、実弾訓練は絶対にやるべきだと思います。それは、銃の恐ろしさっていうのを演者が知る意味でも、絶対に必要だと思います。

五億歩譲って、さっき言ったように鈴木清順やジョニー・トー的な、様式的、抽象的ガンアクションの方向にこそ、本作のオリジナリティを込めたのだとしても……実際、『ダ・ヴィンチ』の行定さんと原作者の対談で、行定さんは、「耽美的アクションを目指した」とおっしゃっている。で、「何かの真似事だったら、三度の飯よりアクション映画が好きだという人が撮った方がいい。でもそういう人たちの撮るアクション映画は大概、何かの真似事になる。それはそうですよね、目指すものがあるのだから」と、なかなかビッグなマウスをね、叩かれているわけですけども。

問題はですね、その鈴木清順的な、様式美的、抽象美的なアクションっていうのを取り入れた最新アクションというのも、すでに(世界レベルでの)成功例が、いっぱいあるんですよ! 「鈴木清順っぽい」っていうだけだって、『スカイフォール』とか『ドライヴ』とかあるし。もっと言えば、さらにそこに現代的タクティカル戦術を取り入れて……つまり「リアル」と「アート性」の両方を高めちゃった、『ジョン・ウィック』シリーズとか、全然あるんですよ。

つまり、ぶっちゃけ本作の試みって、全然新しくないんです。で、それはアクションに限らず、何か新しいことをやろうと思ったら、いま最先端が何であるかをちゃんと研究し尽くして、それとどうやって戦うかを考えなければ、新しいことなんかできるわけがないんですよ(※宇多丸補足:特に映画におけるアクションというのは、技術や経験の地道な積み重ねによって作られ革新されてゆくものであるうえ、その領域で日本は圧倒的劣性にあるのが現実なのだから、“独自の戦い方”をするにしてもやはり、全体の情勢を研究し尽くした上で戦略を立てる必要が絶対にあるのは言うまでもないでしょう)。それはだから、行定さんのこの発言は、ちょっと思い上がりに聞こえるっていうか……実際、研究に研究を尽くして、予算をかけなくても、『ベイビーわるきゅーれ』とかは立派にフレッシュな表現をやってるわけですからね。

あとですね、こちらのメイキング本の中でですね……途中で緑魔子さん演じる謎の老婆が出てきて、これがすごく、なんか中途半端な唐突さっていうか、変だなーって感じがするんですけど、(前述メイキング本のなかでの行定さんの発言によれば)「見た人に『あの老婆、なんですか?』と聞かれれば聞かれるほど僕は嬉しい。今、わからんかったという人がすぐ続出しますよね。モンタージュやメタファーがわからない。今の映画は全部セリフで教えてくれるものだと思っている」って……うん、ええと、「モンタージュやメタファー」。なるほど……だとしても、うまくないと思います(笑)。ということで、なんかねー。

あと、一部にやっぱり時代劇的大芝居みたいなのものが……「卑怯者めぇー!」みたいなの、どうなんですかね。そんなことを思ったりしますね。で、最終的にね、もちろんね、非戦メッセージみたいなものっていうのをやること自体は悪くないですが、そこまでのアクションみたいなものが、非常に空回りしてるために、やっぱりその大上段のメッセージみたいなものが、浮き上がっていってしまったりする、ということだと思いますね。キャスト陣はすごく頑張っていていいと思うし、素材も別に悪いわけじゃないのに……まあ、いろいろ条件も悪かったんだろうとは思うんですが。

ただその、なんていうか、「アクションとかを研究しなくていいんだ」みたいな風に(行定さんの発言は)聞こえちゃってるから。それは本当に、だとしたらよくないですよ、みたいな感じがしますね。

終わり方は超最高! そしてさらに、ちょっとだけ補足

ただね、終わり方! 超最高なんです! だからもう、「あ~あ、なんだかなぁ」みたいに思うんだけど。「おおっ、終わり方は最高やん!」みたいな。だから最後、またグイーン!って加速して終わるんで、この加速の曲線のまま続編なりなんなりやるんだったら、それは観てみたいですし。僕、この全体の試みとかトライそのものを、絶対に否定したくはないんです。もちろんね。めちゃくちゃ応援したい気持ちがあるからこその、なんて言うかちょっと厳しめのことを言ってしまいましたが……とお思いいただければ幸いでございます。ぜひぜひ劇場でウォッチしてください、応援する意味で!

(中略)

ちなみに『リボルバー・リリー』。ちょっと主人公の「強い女性」像みたいなところの描き方に関しても、ちょっとだけ補足をね、したいんで……たぶん公式書き起こしの時にちょっと補足すると思いますんで、そっちも読んでみてくださいね(※宇多丸補足:要は主人公百合の「強さ」の基盤にあるものが、とは言え「女性主人公にとっての想い人であるカリスマ的男性キャラクター」と、そこから派生した「母性」であるという点において、「強い女性」像としても、昨今の世界的潮流からすればやや保守性を残したもの、と言えるとは思います)。

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