フリーアナウンサーの唐橋ユミがパーソナリティをつとめるTOKYO FMのラジオ番組「NOEVIR Color of Life」(毎週土曜9:00~9:30)。“生きること、輝くこと、そして人生を楽しむこと”をテーマにした、トークと音楽が満載のプログラムです。
各界を代表して活躍する女性ゲストが、自らの言葉でメッセージを伝えます。

4月のマンスリーゲストは、シンガーソングライターの中村あゆみさん。この日の放送は、長年共に歩み続けるマネージャーとの出会い、衝撃的ともいえるデビューまでの道のりなどについて語ってくれました。

中村あゆみ“泥棒被害がきっかけでデビュー!?「頼れるところが...の画像はこちら >>

中村あゆみさん



1966年に大阪府で生まれ、福岡県で育った中村さん。1984年にシングル「Midnight Kids」でデビュー。翌1985年には、3枚目のシングル「翼の折れたエンジェル」がCMソングに起用され、大ヒットを記録。ハスキーボイスと力強いロックサウンドで全国的な人気を得ました。その後も「ONE HEART」「BROTHER」「風になれ」などを発表し、シングル35枚、ベスト盤4枚を含む計30枚のアルバムをリリース。出産を機に一時活動を休止しましたが、2004年に活動再開。以降はライブを中心に精力的に活動を続け、2021年からは女性アーティストによるフェスティバル「ママホリ」を主催しています。

◆長年共に歩むマネージャーとの出会い

唐橋:今日はまず、中村あゆみさんの音楽人生の原点から伺いたいと思います。中村さんは大阪生まれで、高校1年の時に福岡へ引っ越されたのですか?

中村:大阪で生まれて、厳密に言うとすぐに福岡なんです。


唐橋:その頃は、ご自身のハスキーボイスの魅力というのは?

中村:まだ全然、自分では気がついていないです。どちらかというと、小さい時はコンプレックスがすごくて。男の子とかまず寄ってこなかったし、追いかけられても「キャー」とか出ないし。ヘルメット型のおカッパで、半ズボン・半袖。男の子に混じって遊んでいるような子でした。歌を歌うというよりは、「叫んでいる」みたいな。そんな幼少期だったので、自分の声は歌に適していないと思っていて。学校でのみんなの合唱とかでも、進んでカスタネットとかトライアングルを、「歌に混じらないでいいように」持って行っていたんです。

唐橋:ええー! そうなんですか。

中村:でも、うちの母親は、福岡の中洲でけっこう有名なママさんだったんですね。そこにいらっしゃるお客様のなかに、平尾昌晃先生がいらして。それで、「あゆみちゃん、本当におもしろい声してるね。
俺、聞いたことないタイプの声だなぁ。お嬢さん、うちで預かってもいいよ、歌を習いに来させたら?」みたいな話になって。

「私ちょっと歌とか……」と思っていたのですが、その前にうれしい出来事があって。私の小学校5、6年生の時はピンク・レディーが全盛期だったんです。そうすると、あのケイちゃん(増田惠子さん)の声が、私にはできるんです。「UFO」とか「ウォンテッド」とか、まさしくケイちゃんの声。八代亜紀さんの声、葛城ユキさんの声、(もんたよしのりさんの)「DANCIN' ALL NIGHT」とか、あの辺のハスキー(ボイス)はもう全部私の担当みたいな感じになって。

それで、ちょっとだけ自分の声に自信がついてきたところに、(作曲家の)平尾(昌晃)先生が「すごくおもしろい」と言ってくださったので、なんかやる気満々になって。でも、その時は歌手になるなんて、まったく思っていなくて、どちらかというと女優さんを目指したいと思っていたんです。桃井かおりさんとか、秋吉久美子さんとか、「癖があってかっこいい系のお姉さん」みたいな。

唐橋:わかる気がします!

中村:そっちの方に行きたいなと思っていて。でも、とりあえず歌手になると言えば親も出してくれるから、夢と希望を抱いて飛行機に乗ったことを覚えていますね。


唐橋:平尾先生のところでの生活というのは?

中村:平尾先生にお世話になった時は、一学年下の女の子と2人で、平尾先生のご自宅下の事務所の奥の六畳間で暮らして。

唐橋:そこから数々の偶然の出会いからの歌手デビュー、そして大ヒット曲「翼の折れたエンジェル」へとつながるという事で、偶然に知り合ったマネージャーの石岡さん、そして、音楽プロデューサーの高橋研さんとの出会いがあったそうですね。

中村:偶然というよりも……実は、居づらくなってしまって平尾先生のところを出るんですね。私、一人暮らしがしたくって母親に「仕送りしてほしい」とお願いしたら自由を一挙に手に入れて。そこから生活が楽しくなって、彼氏もできたんです。それから六本木でギターでガンガン歌っているときに、カーディガンを袖通さずに肩に掛けた、眼鏡の女性が歩いてきて「あなたの声、すごく面白い。顔とのギャップがすごい」と言われたんです(笑)。

唐橋:いきなり声をかけられたのですね。

中村:「私はこういう者なんだけど、ここに住所とか電話番号とか書いてくれる?」って。「私、一人暮らしで親とも離れているんで」と答えたら、「じゃあ住所でいいわ」ということで、書いて渡しました。よく見たら(もらった名刺には)プロダクションって書いてあるけど、そんなものに興味はない状態です。とにかく今の遊びのほうが楽しかったんですよ。
そうこうしていたら1週間ぐらい経って、家に「こちらまで連絡ください。石岡」と張り紙が貼ってあったんです。それが今のマネージャーですね。

唐橋:今日いらっしゃっている方ですか?

中村:そうです。もう42年ぐらいの付き合いになります。後々わかることなんですけど、声をかけてくださったのはホリプロダクションで有名なスカウトの方だったんです。「うちの事務所では無理だけど、面白い子がいる。石岡、会ってみない?」と紹介されたことで、(石岡さんが)張り紙を貼ってくれたんです。

◆ピンチをチャンスに変えたカラオケ歌唱

中村:そこから石岡さんに一度お会いして、とはいえ自分の生活もあるし、「何かあったらよろしくね」みたいな感じになったんです。ところが、学校と遊びの日々を送っていたある日、家に泥棒が入っちゃって。

唐橋:ええ~!

中村:そのときに頼れるところがなくて、「そういえば、石岡さんの電話番号あったな」と思い、泣きながら「実は……」とお話ししたんです。そうしたら「危ないから中野にあるうちのお店に来なさい」と言ってくれて、行くことになりました。


唐橋:そのお店で出会ったのが、音楽プロデューサーの高橋研さんですね?

中村:そうなんです。「翼の折れたエンジェル」を書いたプロデューサーです。当時はTHE ALFEEさんの「メリーアン」を作詞されていて、少しずつ表舞台に出ている頃でお金がなかったそうです。それで石岡さんのお母さんがやっているお店に、安いお酒を飲ませてもらいに来ていた、みたいな時代でした。それこそ、そのあと私がお世話になる加山雄三さんや和田アキ子さんがいらっしゃるような、知る人ぞ知るお店でした。

唐橋:なるほど。

中村:そこで私はしょんぼりしていたんですけど、「君は歌をやってるの? いいから歌ってみてよ」と言われて、そのときに歌ったのが杏里さんの曲でした。で、一節歌った瞬間に、「この子、僕に預けてくれない? 僕がプロデュースしたい」と言い出したんです。最初は佐野元春さんの「ガラスのジェネレーション」と「SOMEDAY」を歌えるようにしてきてって言われて。それで歌ったものが、のちのちレコード会社に配られて、デビューが決まりました。そして、石岡さんのお兄さんが、加山雄三さんのプロダクションに所属していたのでご紹介いただいて、私は加山雄三さんのところにお世話になる形となりました。

唐橋:高橋研さんにお会いして、それからレッスンを受けられたのですか?

中村:いえ、速攻デビューでした。
ほぼ半年、1年かからないぐらいです。



中村あゆみさんがオーガナイザーをつとめる音楽フェスティバル「ママホリ」が、愛と情熱あふれる女性アーティストが集結する大人女子フェスへと進化! 今回は「Super Lady Festival 2026」として5月10日(日)にNHKホールで開催されます。出演アーティストに大黒摩季さん、一青窈さん、小柳ゆきさん、相川七瀬さん、hitomiさん、土屋アンナさんと、日本の音楽シーンを長年牽引してきた実力派アーティストが名を連ねています。詳細は公式サイトまで。

<番組概要>
番組名:NOEVIR Color of Life
放送日時:毎週土曜 9:00~9:30
パーソナリティ:唐橋ユミ
番組Webサイト: https://www.tfm.co.jp/color/
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