コロナ禍においてでも、東京五輪・パラリンピックなどで盛り上がった2021年のスポーツ界。そのなかでも、スポルティーバはさまざまな記事を掲載。

今年、反響の大きかった人気記事を再公開します(2021年8月10日配信)。
※記事は配信日時当時の内容になります。

広島カープOB

高橋慶彦×正田耕三対談(前編)

―― 高橋慶彦さんと正田耕三さんの対談をやるので、聞き手をお願いできますか?

 スポルティーバ編集部のTさんから最初に連絡を受けた際、耳を疑った。高橋慶彦さんと正田耕三さんは、ともに広島東洋カープのスター内野手だった。スイッチヒッターで俊足という共通点を持ち、1980年代後半には二遊間を組んだ名コンビでもあった。

 だが、高橋さんが「(正田さんに)飛び蹴りをお見舞いしてやった」と証言するように、現役時代は犬猿の仲と言われた。
そんな二人が対談をするとなれば、歴史的和解の場になるのではないか。

 5月に高橋さんはスポルティーバの企画「高橋慶彦が選ぶスイッチヒッターベスト5。『オレは実験台だった』」の取材に答えた際、こんなことを言っていた。

「まあ、若いころはお互いに尖っていたから。今は普通の関係だし、この間も電話で話しましたよ」

 その言葉を鵜呑みにしたTさんが高橋さんと正田さんの双方にオファーし、東京都内での対談が実現したのだった。

 対談当日は気温33度。
拭いても拭いても汗が噴き出てくる暑い日だった。まず会場に現れたのは正田さん。ハーフパンツにTシャツというラフな格好である。

 その場に居合わせた旧知の関係者から「ジャケットじゃないんですか?」と聞かれた正田さんは、こう答えた。

「え、あかん? でも、高橋さんも絶対にジャケットで来ないよ」

 ほどなくして、高橋さんも登場。やはりTシャツ姿で、正田さんの「ほら、ジャケット着てへんやろ?」という言葉にその場は爆笑に包まれた。
高橋さんは「今の時期に着たらアカンやん」と応じる。

 すると、正田さんは高橋さんが杖をついて対談場所に現れたことに触れた。

正田 杖、どうしたんですか?

高橋 (手術をして)股関節に人工骨頭を入れたんよ。1ヶ月前に。もう歩けんから。

正田 お元気なんですか。


高橋 元気、元気。元気じゃないのここ(股関節)だけ。それもあと1ヶ月くらいリハビリすれば大丈夫だから。ショウ(正田)と会うのはいつ以来やったかな。

正田 僕、韓国に行ってましたからね。

高橋 知ってる、知ってる。
ショウが韓国のどこかのチームのコーチをしていた時に、会わなかったっけ?

正田 キャンプの時でしたよね。

高橋 そうそう。何年行ってた?

正田 トータルで6年ですね。

高橋 じゃあ、韓国語はケンチャナヨ(大丈夫)?

正田 もう、ケンチャナヨ(笑)。

高橋 じゃあ韓国語でやろうか。

正田 高橋さんも昔、少しだけ行ってましたよね。


高橋 そう、3ヶ月くらい。だから、ケンチャナヨ(笑)。

 二人はまるで4・6・3のダブルプレーを完成させるように、軽やかに言葉のキャッチボールを重ねていく。遺恨ムードは微塵も感じられなかった。

 それでも、いきなり「本丸」に切り込むのはためらわれたため、対談はお互いの現役時代の話題からスタートした。

「犬猿の仲」高橋慶彦×正田耕三、禁断の対談が実現。「天才やも...の画像はこちら >>

元広島カープの高橋慶彦(左)と正田耕三(右)による奇跡の対談が実現した

―― まずはお互いに「相手にあって、自分になかったもの」からお聞きしたいと思います。

高橋 ショウは全部持っていたもんな。

正田 持ってないですよ(笑)。それは高橋さんでしょ。

高橋 俺はショウよりホームランがちょっと多かったくらいよ。

正田 僕がカープに入った時(1985年)には、高橋さんはもうスーパースター。守備も打撃も走塁も「これがプロか」というプレーをしているわけですよ。高橋さんは覚えていないと思いますけど、横浜スタジアムで一塁にヘッドスライディングした時のスピードは衝撃を受けました。だから高橋さんには学ばせてもらうことばかりでした。......野球でね(笑)。

高橋 なかなかキツイことを言うな(笑)。まあでも、あの頃のカープは一番強かった時期やからね。

正田 そうですね。

高橋 俺は古葉さん(竹識/当時広島監督)の実験台でスイッチヒッターにさせられたけど、後で聞いたらショウもそんなノリでスイッチにさせられたらしいね。

正田 僕も(打撃コーチの)内田順三さんの実験台みたいなもんでしたから(笑)。

高橋 そうか。俺の時はコーチが山本一義さんやった。まさに実験台やったな。300球入るケースを3箱連続で打たされたり。

正田 それを試合前にやらされますからね。

高橋 俺も「すごく練習した」と言われたけど、ショウもすごかったからね。

正田 高橋さんなんて、試合が終わった後に合宿所まで練習しに来るんですもん。「こんな実績のある人でも、こんなに練習するんや......」と目の当たりにしていたら、自然と練習するようになりますよ。「カープは練習が厳しい」と言われますけど、先輩(高橋)が練習するからそれが伝統になったんやと思うんです。

高橋 一番、頭にきたのは山崎隆造よ。

正田 なんでですか?

高橋 天才やもん、あいつ。練習せんでも打てちゃうんだから。俺たち二人は一生懸命練習しているのに、隆造だけはいきなりポンと打っちゃうんだから。こいつ、どうなってるんやと思ったよ。

正田 まあでも、今のプロ野球で1番から3番までスイッチヒッターが並んでるなんて考えられませんよね。みんな足が速くて、打てて。

高橋 古葉さんの計算通りやろうね。俺たちは3人とも完璧に作られたスイッチヒッターだった。スイッチが3人並んでいたら、代打も代走も守備固めもいらんやん。3人で9人分の仕事をしているわけやから。

―― 高橋さんは以前、「スイッチヒッターになると、右と左の感覚がピタッとつながる瞬間がくる」と言っています。正田さんもその感覚は理解できるでしょうか。

正田 わかります。左で打っていて、「右もこうやって打ったらええんやな」と。

高橋 ショウも子どもの頃は右打席だけやってたやろ? だから感覚がわかるんじゃない。よく「右で打てないヤツが左で打てるはずがない」と言われるけど、あれはウソやもんな。左で打っていたら、右ももっと打てるようになる。

正田 左打席での打ち方を一つひとつ作っていくと、バッティングというものがわかってくる。すると、今まで我流でやってきた右も「この部分はこうしたほうがええな」と見えてくる。

高橋 右のほうが雑だもんな。ショウが言うように左のほうが一つひとつ組み立てていくから、ムダがないもんな。

正田 内田さんにこんな練習をさせられましたよ。キャッチャー道具を身につけ、手には剣道で使う小手をつけた上でバットを持つんです。その状態で近い距離にセットしたピッチングマシンから、体に当たるようなボールを投げられる。当然ボールが体に当たるから、バットを払うようにして守るんです。そうやってインコースのバットの出し方を覚えましたよ。

高橋 ひどいことするね(笑)。今だったらありえん練習をしていたからね。俺もマシンを半分の距離に出して打たされたから。

正田 それ、聞いたことありました(笑)。それだけ近かったら、体の反応で打つしかないですよね。

高橋 山内一弘さんに教わった時にさ、ボールをポンッと軽く投げられたんよ。パッて捕ったら、「なんで捕るん?」と言われて。「は?」と思っていたら、山内さんは「バットはそう出さなあかん」と。要は、バットはボールの来たところに、無意識で出せるようにならないといけない。それくらい練習しないといけないということなんよね。

正田 打ち終わってから、「今のどうやって打ったのかな?」と思うような打席もありました。飛んでいった場所すらわからないような。

高橋 あるある。長嶋茂雄さんがヒットを打った後に、明らかにカーブを打っているのに「ストレートを打った」と答えるような。あの感覚やと思うね。

―― 高橋さんは左右の感覚がつながってから、左手で箸を持てるようになるなど、能力が開発されたと話しています。正田さんもその感覚は理解できますか?

正田 わかります。でも、もちろん最初はわかりませんでしたよ。最初なんて、ボールのよけ方すらわからないんだから。(右投手の)スライダーが体に向かってきた時に、よけるんじゃなくて腕が出ましたから(笑)。

高橋 わかるわかる(笑)。別世界やったな。

正田 ほんま怖かったです。

高橋 でも、俺はよく言うんやけど、スイッチヒッターは誰でもできるよな。

正田 できます、できます。なんでしないんですかね?

高橋 必要ないんよ。足の速いやつはみんな小さい頃に左に変えられて。

正田 あぁ~。逆に左から右って聞かないですもんね。

高橋 俺たちの頃は右打者のまま大人になって、柴田勲さん(元巨人)という先駆者がいてスイッチになるやつが多かった。今はその必要がないから。

―― 高橋さんは、「スイッチヒッターになると、視野が広がる」という説も唱えていました。

高橋 守備でも周りがよく見えて、状況判断が早くなるね。右脳と左脳が両方きれいに使えているからじゃないかなぁ。

正田 故障も少ないですよ。

高橋 ああ、バランスがな。確かに、腰を悪くしたことなんか1回もないから。

正田 普通、あれだけ振っていれば腰を悪くしますよね。

高橋 今の子はちゃんとそれを知っているから、スイッチヒッターじゃなくても逆振り(反対の打席での素振り)をするんよ。

正田 僕ら1日1000球も1500球も振っていて、逆でも同じだけ振ったら丸1日かかりますよ。

高橋 でも、数の勝負だよな。よく「無駄な練習をしたくない」という声を聞くけど、無駄な練習なんかないから。

正田 それは僕も思います。

高橋 体に覚えさせるしかないやろと。まあでも、俺たちの頃とは今は違う野球になってるから。大谷(翔平/エンゼルス)なんて、もう次元が違うだろ。「もうええ」って思っちゃうもん。最近、俺飽きてきたよ。「またホームランかよ」って(笑)。

正田 すごいですよね。

 二人の濃密な思い出話は、よりディープさを増していく。話題は広島の猛練習や人間関係、そして「飛び蹴り事件」へと向かっていった。

(中編につづく)

【Profile】
高橋慶彦(たかはし・よしひこ)
1957年、北海道生まれ。1974年ドラフト3位で広島東洋カープに入団し、1978年からレギュラーとして定着。赤ヘル黄金時代の「1番ショート」として活躍し、1989年までカープでプレー。1990年にロッテ、1991年に阪神に移籍し、1992年に現役を引退。ダイエー、ロッテでコーチを務め、多くの選手を育て上げた。現在は指導者、解説者として活躍しながら、YouTubeでの活動も展開中。

正田耕三(しょうだ・こうぞう)
1962年、和歌山県生まれ。1984年ドラフト2位で広島東洋カープに入団。1987年、スイッチヒッターとして初の首位打者(2年連続)に輝くなど、攻守にわたり活躍した。引退後は広島、近鉄、オリックス、阪神で多くの選手を指導。韓国リーグでもコーチを務めた。