2022年はサッカーW杯など様々な競技で盛り上がったスポーツ界。スポルティーバではどんな記事が多くの方に読まれたのか。

今年、反響の大きかった人気記事を再公開します(2022年2月14日配信)。
※記事内容は配信日当時のものになります。

平石洋介インタビュー(後編)

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 1980年生まれの平石洋介にとって、埼玉西武ライオンズと言えば「絶対王者」だった。

 85年から10年間でリーグ優勝9回、日本一6回。工藤公康や渡辺久信、郭泰源らで固められた投手陣は盤石で、秋山幸二清原和博が中軸に座る打線の破壊力は圧巻だった。

 それでいながら、87年の巨人との日本シリーズ第6戦で辻発彦(現・監督)がセンターのウォーレン・クロマティの緩慢な守備を突き、単打でありながら一塁から一気にホームに生還した走塁を象徴するように、小技も洗練されていた。

隙がない。まさにそんなチームだった。

平石洋介は西武からのオファーを一度は断るも受諾。松井稼頭央の...の画像はこちら >>

今シーズンから西武の一軍打撃コーチとしてチームを支える平石洋介

【心動かされた松井稼頭央の言葉】

 獅子の脅威は、平石が指導者になっても変わらなかった。とりわけ楽天で監督を務めた2019年は中村剛也秋山翔吾山川穂高森友哉ら生え抜き中心の強力打線が黄金期を彷彿とさせ、課題とされていた投手力をカバーして余りあるほどの爆発力があった。

 まさか、そんなチームに自分が──。

 昨年11月に西武の一軍打撃コーチに就任した平石に、そんな感情が去来した。

「ずっと楽天でやらせてもらって、ホークスに移ってからも、まさかライオンズに行くなんて思ってもいなかったですから」

 西武のコーチを引き受けた最たる理由。

それはPL学園の先輩であり、楽天でも選手、指導者として同じ時間を共有した西武のヘッドコーチ、松井稼頭央の存在である。

 最初に連絡をくれたのも松井だった。これは平石が後日知ることとなるのだが、「稼頭央となら腹を割って話ができるだろう」という渡辺久信GMの配慮があったのだという。

 昨年のシーズンオフ、松井から電話を受けた平石は一度オファーを断っている。というのも、ちょうどこの時期にソフトバンクと22年シーズンの契約交渉をしており、球団からの要請を受けるか否か逡巡していた。結果的にチームを離れると決断をする平石は、いきさつを説明したうえで松井に伝えた。

「ホークスを正式に退団したら、1年間、現場を離れようと思うんです」

 それでも松井は食い下がった。

「それやったら、なおさらうちに来てくれへんか? なにがなんでもヨウ(平石)の力を貸してほしい。これはライオンズの総意や。また一緒に野球をやろう」

 胸を打たれた平石は、松井の人間味を再確認する。楽天時代からそうだった。

 平石が二軍監督だった時のことだ。

再調整のためファームに来た松井に「ウォーミングアップに入る前の準備を徹底させています。カズさん(松井)もそこを大事にしているのはわかっていますが、二軍でもお願いします」と伝えると、松井は「わかりました」とうなずいた。

 それだけではない。5歳年上であっても、現場では「監督と選手」の立場を誰よりもわきまえ、必ず敬語で話すなど平石が指導しやすい環境をつくってくれたという。

 そんな松井の頼みだからこそ、最終的にコーチの打診を承諾した。

「一番の決め手はカズさんの人間性です。

そこって結構、大きな要素だと思うんですよ。前から『また一緒に野球をやりたいな』っていう想いがありましたし、一度断ってもね、『力を貸してほしい』とか、熱い言葉を何度もいただきましたし。そら心揺れますよね」

【まさか平石が西武に来るとは...】

 松井の導きによって、平石はまさかの西武入団を果たしたわけだが、そこにはもうひとつ、大きな「まさか」も込められていた。

 西武のコーチを引き受けた平石は、ある人物に報告の連絡を入れた。

「まさか、平石がライオンズに来るとは思ってなかったよ」

 同年代である松坂大輔は平石のコーチ就任を喜んでくれた。昨年のシーズン中、二軍監督だった松井と「いつか稼頭央さんと僕と平石で、一緒に野球するのも楽しそうですね」と盛り上がった話をその時に聞かされ、平石も胸を躍らせた。

 松坂という縁も自身を西武に引き寄せたのではないか? そう問うと、認めるように「うん」と首肯し、噛みしめながら話した。

「最後にライオンズに戻った大輔に対して、特別な感情はもちろんありました。現役の終盤は故障で苦しい思いをしながら頑張ってきたから、1回リフレッシュしたい気持ちもわかります。大輔が言ってくれたように、いつか一緒にやれたらうれしいですけどね」

 想いを紡ぎ、ひと息つく。表情を引き締めながらも、平石は笑みを浮かべて言った。

「1年、1年の積み重ねですから。いつか大輔がライオンズに戻ってきた時に、球団が僕を必要としてくれているかどうか......ですからね」

 今は西武という新たな挑戦の舞台で、指導者としての土台をまたイチから築いて行かなければならないのである。

【影響力のある選手にこそ苦言】

 平石が実際にチームを指導したのは、昨年11月の秋季練習での2週間のみであり、まだ全体を把握しきれていなかった。

 ただ、楽しみな素材は多いと感じた。平石が真っ先に名前を挙げたのが、今年2年目のブランドンだ。昨シーズン32試合で3本塁打を記録した、チームが期待する長距離砲を「なかなかいいバッティングをしていました」と評価していた。

「高卒1年目の選手とかもね、しっかりバットを振れている印象がありましたね。すぐに一軍で通用するかと言ったら、総合的にまだそのレベルではないんですけど、『おっ!』と思わせてくれるような選手が多かったですね」

 パ・リーグのライバルチームとして戦ってきた平石には、今の西武が抱えている課題を理解しているつもりだ。

 大きなところでは打線の再構築。選手の高齢化が進むなど、世代交代の必要も囁かれている。打撃コーチとして、テコ入れのために重要とするのは、選手に寄り添って指導すること。楽天、ソフトバンクでも重きを置いた、平石の身上だ。モチベーターとしての素養を持ち合わせていることは広く知れ渡っているが、「=選手と仲良し」とは違う。

「なんやろう?」と、平石が少しだけ訝しげに世間との温度差を言葉にする。

「『人徳だけで指導している』とか『選手に甘いんじゃないか』みたいな言われ方をすると、結構心外なんですよね。そこはね、人と人なんで僕が選手を愛していかないと、相手だって本音でしゃべってくれないし、練習にもつき合ってくれない。うわべだけじゃ人間関係なんて築けないですよ。周りが言いづらいことだって言うようにしていますし、そのなかでも、相手の心を尊重しているつもりなんでね」

 平石とは、チームに影響力のある選手にこそ苦言を呈するような指導者だ。

 楽天時代なら、二軍に落ち目標を失いかけていた青山浩二に、「一軍に行って、どこでも投げますって言ってこい!」とハッパをかけた。ソフトバンクでは、昨シーズン不振に喘ぎ、代名詞である元気を出さずベンチで俯いていた松田宣浩に、「自分が打てへんから声を出さないとか、おまえがそんなしょうもないことすんな!」と尻を叩いた。

 平石は「ひとりの人間」として選手たちに勝負を挑んでいる。だからこそ褒めるし、怒るし、愛せるのである。

「選手の人生ですからね。僕がまず、相手を理解してあげないといけない。野球の技術で言えばね、『これをやっておけば必ず打てる』なんて正解はないですから。だからこそ選手と多く話すんです。それだけじゃなくてね、『今、やろうとしていることはこういうことか』とか、こちらから気づいてあげないといけなかったり。そういう材料を選手一人ひとりに対して、たくさん引き出しをつくっておくことで、柔軟にサポートできる。選手が迷わないように、指導者も日々勉強なんです」

 昨シーズンの最下位。西武は逆襲を誓う。

 就任当初から変幻自在のタクトで注目を集める日本ハムのBIG BOSSこと新庄剛志監督。2年連続最下位からパ・リーグを制したオリックスも戦力が整っている。惜しくも優勝を逃したロッテと楽天、王朝が陥落したソフトバンクも黙ってはいない。平石は「どのチームが上位にくるかわからない」と、乱世の図式を予測する。

「日本ハムはもともとピッチャーがいいですから。そこに監督がどういう野球をしてくるか予想がつかないですし。ライオンズだってね、最下位でしたけど、GMも『去年はプロの厳しさを味わったけど、今年はチャンスがあると思っている』と言っているくらいですから、ノーチャンスじゃないですよ」

 自分が少年時代に思いを馳せた黄金期。その実現へ、平石が眠れる獅子の牙を研ぐ。

おわり