前半戦「21」の貯金をつくり、パ・リーグ首位を走る新庄剛志監督率いる日本ハム。選手の起用法、作戦、そしてチームづくりという点において、かつての師である野村克也氏の面影が色濃くにじむ。

ヤクルト黄金期を支えた飯田哲也氏に「野村野球」と「新庄野球」について語ってもらった。

新庄剛志監督が導く日本ハムの強さの理由を飯田哲也が解説 「受...の画像はこちら >>

【「地位が人をつくる」で若手が躍動】

── 野村氏はヤクルト監督時代、「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせる」と言い、そのとおり3年目に優勝を果たしました。そして、その野村氏の教え子である日本ハムの新庄剛志監督は、3年目の優勝こそ果たせませんでしたが、4年目の今季はシーズン序盤から首位を快走し、貯金21で前半戦を折り返しました。

飯田 日本ハムの監督になって、スタートは2年連続最下位でしたが、昨年は2位、そして今年はここまで首位。一番の要因は、うまく選手を起用していることだと思います。

── 作戦面でも、5月13日のオリックス戦で2ランスクイズを決めるなど、新庄監督らしい野球を展開しています。

飯田 「こういう時はこうしなさい」という"新庄野球"がチームに浸透しているのだと思います。野村監督も「点を取るべき時は、きっちり取る」と、スクイズ、ランエンドヒットなどを駆使して、1点をもぎ取る野球でした。

── 野村監督時代のヤクルトの選手は、やるべきことがわかっていて、自ら判断していた印象があります。

飯田 たとえば93年の西武との日本シリーズでは、第4戦でセンターを守っていた私が前進守備をして二塁走者をホームで刺し、第7戦では三塁走者の古田(敦也)さんがギャンブルスタートを敢行しました。どちらも自主的にやったプレーですが、ちゃんとした根拠がありました。このように、時にはサインを無視して自分の判断でやったこともありましたが、日本ハムの選手はまだそこまでいっていないと思います(笑)。ただ、指示どおりきちんと動いています。

── 野村監督は阪神時代、「地位が人をつくる」と新庄さんを4番に置き、キャリアハイの成績(打率.278、28本塁打、85打点)に導きました。

飯田 現状よりも少し上のポジションを与えると、人はそれにふさわしくなろうと努力精進するものです。新庄監督も同じように、野村佑希を4番に指名し、金村尚真を開幕投手に抜擢しました。そのような起用を見ると、野村監督から少なからず影響を受けていると思います。

── その野村佑希選手ですが、万波中正選手、清宮幸太郎選手とともに"ロマン砲"と呼ばれ、5月6日のオリックス戦では3人がホームランをマークしました。

飯田 チーム本塁打数は2022、23年とリーグ4位でしたが、今年はここまで(7月22日現在)12球団トップです。開幕投手に指名された金村も、開幕戦でのプロ初完封勝利を含む3完封と期待に応え、伊藤大海と並ぶ主力投手に成長を遂げています。

── 野村選手も金村投手もすっかり投打の中心に飛躍しましたね。

飯田 清宮も同じです。プロ入り後は伸び悩み、4年目の2021年は一軍出場なしに終わりました。そんな清宮に就任したばかりの新庄監督は「ちょっとデブじゃね? やせたほうがモテるよ。カッコいいよ。

昔のほうが、キレがあったから打球も伸びた」と言いました。

── たしかに清宮選手はシュッとして、スイングにキレがある印象です。

飯田 体重が100キロを超えていた清宮は、「このままでは使ってもらえない」と危機感を抱き、体を絞って臨んだ2022年は18本塁打。昨年は規定打席に到達はしませんでしたが、打率.300、15本塁打の成績を残しました。正しい方向性を指示して、自覚を促しました。そこに合わない選手が脱落していくのは、野村野球に似ていますよね。

【似て非なるチームづくりのやり方】

── 野村監督は"再生工場"と呼ばれたように、特徴は"トレード"であり、"コンバート"でした。当時、飯田さんをはじめ、橋上秀樹さん、秦真司さんが内野、捕手から外野にコンバートされました。

飯田 自分たちは完全な外野へのコンバートでしたが、新庄監督はアリエル・マルティネス捕手を一塁、郡司裕也捕手を三塁、田宮裕涼捕手を外野で起用しています。ただ新庄監督は完全なコンバートではなく、打撃を生かすために複数ポジションをさせています。そこは似て非なるところであり、ある意味"新庄オリジナル"です。

── チームづくりの方法が違うと?

飯田 先述したように、野村監督はコンバートで適材適所を探り、そのあとメンバーは固定。一方、新庄監督は複数ポジション制を敷き、それに伴い打順も変わってくる。

そう考えると、日本ハムの選手はよく対応していますし、器用ですよね。

── では、「野村野球」と「新庄野球」の違いはどこですか?

飯田 野村監督も新庄監督も、根底にあるのは"守り勝つ野球"だと思いますが、野村監督時代のヤクルトは古田さん、広沢(克己)さん、ジャック・ハウエル、池山(隆寛)さんとホームランを打てる打者が並び、結果的に"打ち勝つ"野球でした。だから高津(臣吾)がクローザーに定着するまで、岡林洋一や伊藤智仁を先発・抑えにフル回転させるなど、継投には苦労していました。

── 新庄監督の野球はどうですか。

飯田 現在のように、質量ともに豊富な投手陣を築くまでは苦労したと思います。それが今は投手陣が充実し、「どうやって点を取って、逃げ切るか」という点に注力していると思います。

【楽天・三木監督はノムさん譲りの弱者の兵法】

── 今年から楽天の指揮をとっている三木肇監督も野村監督の教え子のひとりです。

飯田 三木は、1995年のドラフトでヤクルトから1位指名で入団した内野手です。入団当時、ヤクルトは黄金期でなかなか試合に出るチャンスがありませんでした。それでもベンチからしっかり野球を勉強して、それが指導者になってから生きているように思います。

── 三木監督は指導者としての評価が高いです。

飯田 引退後は、日本ハム・栗山英樹監督のもとで内野守備コーチを務め、2012年のリーグ優勝に貢献しました。

そもそも栗山監督も、かつては野村監督時代のヤクルトでプレーしていた選手です。また、2015年には真中満監督率いるヤクルトで、作戦兼内野守備走塁コーチとしてチームを支えました。真中監督も現役時代に、1993年、1995年、1997年の日本一を経験した"野村ヤクルト"の中心選手のひとりでした。いろいろな監督のもとでチームを支えたことが、今につながっているのでしょうね。

── 三木監督は2020年にも楽天の指揮をとっています。

飯田 チーム打率はリーグトップでしたが、チーム盗塁数はリーグ最少。順位は4位で、残念ながら1年で退任となりました。

── 1989年にはリーグ5位だったヤクルトのチーム盗塁数ですが、1990年に野村監督が就任し、飯田さんが抜擢されて29盗塁を記録。チーム全体の盗塁数もリーグ1位へと躍進しました。

飯田 今の楽天も似たような状況です。外国人の長距離砲があまり機能していないなかで、どうやって点を取るかといえば、足を絡めるしかない。走者を二塁、つまり得点圏に進めて、得点の確率を上げる。

チームの状況に応じた戦い方をするという点では、まさに野村監督の提唱していた「弱者の兵法」に通じるものがあります。

── ほかにも阪神の藤川球児監督、ヤクルトの高津臣吾監督、ロッテの吉井理人監督など、球界には"野村チルドレン"と呼ばれる監督が多くいますね。

飯田 もちろん、投手出身の監督も野村さんから大きな影響を受けていると思います。ただデータを重視する "ID野球"は、即効性という点では攻撃面にこそ表れやすいんです。そういう意味で、野村さんの野球は投手出身よりも野手出身の監督のほうが影響を受けている可能性は高いですね。


飯田哲也(いいだ・てつや)/1968年5月18日、東京都生まれ。拓大紅陵高3年時に春夏連続して甲子園に出場し、86年ドラフト4位でヤクルトに入団。捕手として入団するも、野村克也監督に俊足、強肩を買われ外野手に転向。91年から97年まで7年連続ゴールデングラブ賞を獲得し、ヤクルト黄金時代の名手としてチームを支えた。05年に楽天に移籍し、翌年現役を引退。引退後はヤクルト、ソフトバンクでコーチを務め、20年より解説者として活躍

編集部おすすめ