蘇る名馬の真髄
連載第12回:オルフェーヴル
かつて日本の競馬界を席巻した競走馬をモチーフとした育成シミュレーションゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』(Cygames)。2021年のリリースと前後して、アニメ化や漫画連載もされるなど爆発的な人気を誇っている。
「レース界の王を名乗ってはばからない、暴君ウマ娘」とプロフィールに記載されているとおり、その振る舞いは自信と尊大さに満ち溢れ、レースになれば圧倒的かつ、破壊的な強さを見せつける。が、機嫌が悪くなることもしばしば。乱暴な行動を取ることも珍しくない。
こうした性格は、競走馬・オルフェーヴルがモデルとなったもの。史上7頭目となる牡馬クラシック三冠を達成し、生涯で6つのGⅠタイトルを獲得した同馬は、他の追随を許さぬ強さを披露するとともに、「暴君」といった愛称そのままの暴れっぷりを見せた。
たとえば、三冠を達成したGⅠ菊花賞(京都・芝3000m)では、ゴール後に鞍上の池添謙一騎手を振り落とした。実はデビュー戦でも同じ"悪癖"を見せており、レース以外の"奇行"エピソードは数知れない。
4歳時のGII阪神大賞典(阪神・芝3000m)では、レース途中でコースを外れて逸走。
最後は、さすがに苦しくなって2着に終わったが、ひと筋縄ではいかないこの馬の性格と、底知れない能力を示す一戦となった。
強烈な強さを見せて勝ったレースはもちろんだが、それ以上に突拍子もない逸話のほうが"伝説"として語り継がれていることが多い――オルフェーヴルは、そんな珍しい馬かもしれない。
そういった観点からすると、「究極のエピソード」と言えるのが、2012年秋に挑んだGⅠ凱旋門賞(フランス・芝2400m)だろう。
世界最高峰の舞台とされる凱旋門賞。日本競馬界にとっても、同レースの勝利は悲願であり、大きな夢となっている。実際、それまでも日本を代表する数多くの名馬が挑戦してきた。しかしながら、2着になったことは2度あるが、なかなか"世界の壁"を打ち破れずにいた。
充実の4歳秋、その舞台に日本の"暴君"オルフェーヴルが挑戦した。
春には、GⅠ宝塚記念(阪神・芝2200m)を制したオルフェーヴル。本番の1カ月前には現地の前哨戦を快勝し、万全の態勢で決戦の時を迎えた。
この年のレースは、イギリスとアイルランドの両ダービーを制したキャメロットや、アイルランドオークスを勝ってここに挑んだグレートヘヴンズなど、世界中の精鋭が集結。レースがスタートすると、オルフェーヴルは18頭立ての後方2番手につけた。
暴君にとっては、いかに道中で機嫌を損ねず、落ちついて走れるかがカギ。様子を見る限り、闘志を内に秘めながら、冷静さを保っているように感じられた。迎えた最後の直線、オルフェーヴルは後方4、5番手で大外へ持ち出されると、ラストスパートへと入った。
そこからの数秒間、この馬が見せた恐るべき加速力が忘れられない。鞍上の合図を受け取ったオルフェーヴルは、力強いストライドで強襲。大外から内の各馬をなで斬るようにして、残り200mの時点で一気に先頭へ躍り出たのだ。
この時、誰もが日本競馬界の悲願達成を確信しただろう。むしろ、オルフェーヴルがどこまで突き放すのか、その光景を楽しもうと思っていた。
ところが、主役はその直後に暴れ出した。
大外から先頭に立ったオルフェーヴルは、突如としてインコースにどんどん切れ込んでいく。スミヨン騎手はまっすぐ走らせようとするが、暴君は従わない。内ラチぎりぎりまで寄っていったのだ。
そのまま、オルフェーヴルの挙動は収まらず、最終的にはラチに接触したほど。結果、それまでの加速も完全に途切れて、ゴール寸前でフランスの牝馬ソレミアにかわされてしまった。誰も予想しなかった、まさか、まさかの逆転負けである。
何が気に入らなかったのか。どうして最後に機嫌を損ねたのか......。日本の三冠馬が悲願の凱旋門賞を制す――これ以上ない筋書きは一瞬にして消し去られ、暴君は"らしさ"全開の走りで白星を失ってしました。
失ったものは大きい。今もショックは癒えない。だが、多くのファンはあの直線での末脚、そしてその後の暴れっぷりを一生忘れないだろう。
1年後、オルフェーヴルはもう一度凱旋門賞に挑戦するが、今度はフランスの3歳牝馬トレヴに屈して、2年連続の2着に終わった。以降も、日本の名馬たちがこの舞台に挑んでいるが、いまだ白星は挙げていない。