【MLB】大谷翔平の打球の凄み「できるだけ後ろに下がるんです...の画像はこちら >>

後編:大谷翔平のフルスイングを可能にする現在のMLB球場環境

今シーズン、大谷翔平は自己最速の190キロを超える打球スピードをマーク。相変わらずそのパワーで見る者を圧倒し続けているが、ではその打球はどれほどの凄みを伴っているのか。

ここでは大谷の打球を間近で体感しているドジャースのクリス・ウッドワード一塁ベースコーチに、その凄さとメジャーリーグの打球に対する観客やコーチの危険性について語ってもらった。

前編〉〉〉「悲惨な事故を乗り越えてたどり着いたMLB球場の安全対策」

【打球のスピードアップとスマートフォン】

 大谷翔平の引っ張った速い打球を、いつも至近距離から目にしているのはクリス・ウッドワード一塁ベースコーチだ。MLBでは2008年シーズンから、一塁および三塁ベースコーチにヘルメット着用が義務づけられている。背景には、2007年にコロラド・ロッキーズ傘下2Aチームのマイク・クールボーコーチが試合中、ファウルボールを頭部に受け、死亡した事故があったからだ(享年35)。

 大谷の最速弾は時速120マイル(192キロ)。27.43メートルの距離にある一塁ベース上に約0.5秒で届く。一般に、人間の視覚刺激に対する平均反応時間は0.25~0.3秒とされ、見てから判断して動くには0.4~0.5秒以上かかると言われている。つまり、ヘルメットをかぶっているからといって必ずしも安全ではない。果たしてどう対応しているのか――ウッドワードコーチ本人に話を聞いた。

――いつもどうやって打球に備えているのですか?

「できるだけ後ろに下がるんです。ベースコーチはそれが許されていますしね。むしろ大変なのは一塁手や一塁走者。一塁手は、走者がいる状態で大谷のような強打者を迎えるのを嫌がります。

走者を塁にとどめておくために後ろに下がれないからです。私のような一塁ベースコーチは後ろに下がれるぶん、避けるのはそれほど難しくありません。仕事柄、一塁手の横を抜ける打球は山ほど見てきたから、ラインドライブがどう動くのかも熟知しています。

 ただ今季序盤に失敗したのは、後ろに下がりすぎていたことです。翔平がホームランを打って一塁ベースを回るとき、彼がハイタッチしようとしたのに間に合わなかった。そんなことが序盤には2度あったんです。翔平は『なんでハイタッチしないんだ』ってちょっと怒っていましたね(笑)。私は翔平の打球に『うわ、すごい......あんなに飛ぶのか』とつい見とれてしまったんです」

――以前は内野スタンドにネットがありませんでしたが、この10年で状況は変わりました。ご自身の現役時代を振り返って、ネットは必要だと思いますか。

「はい、必要だと思います。長くプレーしてきた人や、このレベルの野球に長く関わってきた人なら、ネットがなかったことで起きた恐ろしい事故を必ず目にしているはずです。私も数えきれないほどの人が打球に当たるのを見てきました。

3歳くらいの女の子が喉の近くに打球を受けかけたことがありました。もし直撃していたら命を落としていたでしょう。70歳くらいのおばあさんの顔に当たり、病院に運ばれて深刻な事態になったのも見たことがある。あまりにもたくさん見てきたから、『ネットは絶対に必要だ』と強く思っている。

 しかも今は昔より危険です。なぜなら打球はますます速くなっているし、観客がスマートフォンをずっと見ているようになりました。私がメジャーに上がった頃は、まだ携帯電話は普及していませんでした。観客は横にいる友達や家族と話しているくらいで、打球に気づかないこともありましたけど、少なくとも顔を上げていました。今のファンはスマホを見て完全に下を向いているので、打球が飛んできても気づかないことが多いです」

――打球だけでなく、バットが折れたり、手から抜けることもありますよね。

「そのとおりです。今は昔ほどバットが折れることは少ないけど、すっぽ抜けることはある。そういうときもネットが観客を守ってくれる。

これはメジャーの試合だけでなく、マイナーリーグの試合でも同じだ」

【金属バット使用の米大学野球の課題】

――大谷選手が打球を放ったあと、観客の安全を心配している表情がテレビに映ることもあります。観客は大谷のような強打者がフルスイングする姿を楽しみにしている。そのためにも、打者が安心してスイングできる環境が大事だと思いますが、ドジャースタジアムのネットはさらに拡張が必要でしょうか。

「いや、今のままで十分だと思います。もちろんリスクがゼロになることはありません。試合に来る以上、観客は『ファウルボールに注意』という警告を頭に刻んでおくべきだし、ある程度の危険は覚悟しなければならないと思います。

 大谷の打球が当たった警備員については、打球判断を誤りましたね。打球はフックしていたので、最初の位置から動かなければ20フィート(約6メートル)以上は外れていたはずです。ところが、彼は打球が曲がってくる方向に逃げてしまい、結果として打球に追いかけられる形になってしまったんです」

――現役時代、ご自身の打球が観客に当たったことはありましたか?

「何度かありましたよ。特に忘れられないのは、シングルAでプレーしていた頃のことです。私たちのダグアウトは三塁側にあったのですが、チームのオーナーが娘さんを連れて観戦に来ていました。娘さんは12歳くらいだったと思います。

2ストライクからファウルを打ったのですが、それが彼女の額を直撃してしまったんです。彼女が担架で運ばれていくときは、『神様、どうか無事でいてください』と祈りましたし、その後も動揺して試合に集中できず、ずっと気持ちが乱れていました。

 幸い、病院での検査の結果、大事には至らず、入院も予防的な処置にすぎませんでした。それでも、あの出来事は私にとって絶対に忘れられない苦しい記憶です。自分の打球で誰かが深刻なケガを負う――野球選手にとって、これほど辛いことはありません」

 危険な打球はメジャーだけの話ではない。むしろ、金属バットを使う大学野球では、さらに深刻だ。

 データサイト『ベースボール・サバント』によると、今季MLBで打球速度115マイル(184キロ)以上を記録したのは41人、合計127球にすぎない。これに対し、大学野球では約200人の打者が115マイル超えを記録している。つまり、プロの世界で「稀」とされる打球速度が、大学では「日常」になっている。

 加えて、大学野球の環境は高速打球への備えが十分ではない。MLBの選手たちは整備の行き届いたグラウンドでプレーし、対戦相手の打球傾向も詳細なデータから予測できる。一方で大学野球のフィールドコンディションはチームによって大きく異なり、安全面での差が大きい。

 しかも近年、大学の打者はますます肉体的に強くなり、スイング技術も洗練されている。バットセンサーや高速カメラ、機械学習によるスイングモデルは、強豪プログラムにおいてすでに当たり前のツールとなっている。

 スタンフォード大の佐々木麟太郎は、MLBドラフトのトップ指名候補が集うレベルの高いアトランティック・コースト・カンファレンスでプレーしている。一塁手として日々、危険と隣り合わせの環境に立たされているのではないか。

 誰もケガをするところを見たくない。観客も選手も守られる環境でこそ、打者は思いきりバットを振れるし、ファンもフルスイングを楽しめるのである。

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