私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第30回
日本代表を長年支えてきた守護神の悔恨と学びと喜びと(3)
前半は、このメンバー交代が功を奏す。前半34分、三都主アレサンドロからのパスを受けた玉田が豪快なシュートをブラジルゴールに突き刺した。
「ゴールもすばらしかったですけど、玉ちゃんはJヴィレッジの合宿のときからずっと調子がよかったんです。ワールドカップ本番ではそれほど出番がなかったんですけど、まったくテンションを落とすことなく、準備をしていました。紅白戦でも調子がよかったですし、これは試合に出たら活躍するかもしれないなと思っていたんです。
そうしたら、ブラジル戦のスタメンで、いきなりゴールを決めた。玉ちゃんは、試合に勝てないとか、試合に出られないとか関係なく、(代表合宿から大会中もずっと)純粋にサッカーを楽しんでいた。その姿がすごく印象的でした」
だが、この玉田の一撃でブラジルが目を覚ました。前半終了間際にロナウドが同点ゴールをゲット。後半に入ってからはさらに出力を上げて、3ゴールを量産。日本は1-4で敗れ、グループリーグ敗退が決まった。
試合後、ピッチ中央では中田英寿が仰向けになって倒れていた。ユニフォームを顔にかけ、動かずにいた。
声をかけたのは、中田英と同い年の代表キャプテン・宮本恒靖。そして、パルマで一緒にプレーしていたブラジル代表のアドリアーノだけだった。ある意味、それがジーコジャパンにおける中田英の立ち位置を表していた。
2004年アジアカップでは一致団結して頂点に立ったチームが、ドイツワールドカップではひとつにまとまることができなかった。
もちろん、代表チームが最初からひとつにまとまっていくことは難しい。勝ち進んでいくことによって、一体感が生まれてくる。サブ組は試合に出られない悔しさを抱えながらも、チームが勝っていることで自分を納得させることができる。勝ち続ければ、試合に出るチャンスが高まるからだ。
「ドイツワールドカップのチームは、2002年の日韓大会を経験している選手が多くいて、海外でもプレーしている25、26歳の選手がそろっていた。(選手として)一番動けるときだし、みんな絶対に輝けると信じていたけど、そういう選手たちがスタメンで使ってもらえない。
自分も日韓大会のときに試合に出られなかったので、その悔しさはよくわかるんです。『試合に出たい』『自分がやるんだ』という思いが強すぎて、それが"チームのために"というよりも、"個人がどうしたいのか"っていうところへ向かってしまう」
このときのチームには、日韓大会のときに存在感を示していた中山雅史のような、チームのまとめ役となるベテラン選手がいなかった。
「チームは"最高の選手"が23名(当時の登録メンバー人数)そろえば強いってわけじゃないんです。日韓大会のときはゴンさん(中山)らが入って、戦うムード作りをしてくれたことが大きかった。そういう選手の存在は、やっぱり大事だなと思いました。
ドイツ大会ではそういう存在がいなかった。その意味では、マコ(田中誠)が大会直前で離脱してしまったことが(チームに)非常に大きな影響を及ぼしたと思います。1年前のコンフェデレーションズカップでもツネ(宮本)とセンターバックに入り、ロナウジーニョやカカに対してふつうに対応していた。
守備能力が高く、頼りがいがあったので、戦力的にもいてくれたらなぁと思いましたし、性格が明るいので、(チームが)落ち込んだときこそ、うまくまとめてくれたはず。そういうキーになる人がいなくなったので、初戦を落としてからチームが方向性を見失ってしまった」
「史上最強」と称されて、ファンやサポーター、関係者やメディアからも大きな期待を寄せられていた日本代表だったが、結果は1分2敗のグループリーグ最下位に終わってドイツの地をあとにした。
川口は所属のジュビロ磐田に戻って、ワールドカップでの戦いを冷静に振り返ってみた。ピッチ上では自分の仕事をある程度全うできたが、ピッチ外では課題が残ったと感じた。
「ワールドカップが終わったあと、チームの雰囲気づくりの面でもう少しリーダーシップを取るべきだったなと思いました。でも、できなかった。それは、なぜなのか。いろいろと考えました。
僕は日韓大会のとき、出場機会がなく、その後も代表には呼ばれるけど、出たり、出なかったりしていたんです。そして、2004年のアジアカップのときに大会を通して起用してもらい、タイトルを獲得できたのですが、そのとき、以前と違う自分の立ち位置を感じました。
"自分が引っ張る"という、以前のような強いキャラを出せなくなったんです。(チーム内では)自分はわりと年齢が上のほうだったので、それじゃあ、ダメなんですけど......」
若い頃の川口は、それこそ1996年アトランタ五輪の頃から、最後尾から大きな声を張り上げて、目をギラギラさせてプレーしていた。ピッチ外でも、他の選手にあれこれ指示したり、注文をつけたりすることにためらいはなく、"チームのために"と思うことは、衝突することも構わずにはっきりとモノを言ってきた。
「若いときは(自分が)言いたいことを、ただ言っていただけのような気もしますけど......(苦笑)。それはともかく、自分は日韓ワールドカップで試合に出られない経験をしたにもかかわらず、ドイツワールドカップでその経験を生かして、選手たちにいい影響を与えられる声かけだったり、チームの雰囲気づくりに率先して動いたりとか、そういうことができなかった。
(大会を振り返って)それは、嫌われる立場になっても言わないとダメだな、と。
そうした経験を糧とし、人間的な成長を見せた川口は、新たな指揮官となったイビチャ・オシムのもと、2010年南アフリカワールドカップに向けて始動した日本代表にも招集されたのである。
(文中敬称略/つづく)◆南アフリカワールドカップで日本が前評判を覆したわけ>>
川口能活(かわぐち・よしかつ)
1975年8月15日生まれ。静岡県出身。清水市商高を卒業後、1994年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入。2年目にはレギュラーとなり、チームのJリーグ初制覇に貢献した。2001年にはイングランド2部のポーツマス入り。日本人GKとして初の欧州移籍を果たす。2003年からはデンマークのノアシェランでプレー。2005年に帰国し、ジュビロ磐田へ移籍。その後、J2のFC岐阜、J3のSC相模原でプレー。2018年シーズンを最後に、現役を引退した。その間、年代別代表、日本代表でも活躍。

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