私が語る「日本サッカー、あの事件の真相」第30回
日本代表を長年支えてきた守護神の悔恨と学びと喜びと(1)
2006年ドイツワールドカップの初戦、オーストラリア戦の会場となるカイザースラウテルンのフリッツ・ヴァルター・シュタディオンのピッチに立ったとき、川口能活はそう感じた。
日本代表がドイツ入りしてからは、雨が多く、気温も低く、冬のように寒かった。ところが、日本の初陣となる6月12日の気温は30度を超え、湿度は90%近かった。ダウンコートを羽織って過ごしていた日々から一転、半袖のユニフォームでも暑いくらいの急激な気候の変化に、ピッチ上の選手たちも戸惑いを見せていた。
だが、川口はそれでも戦える自信が十分にあった。
大会前、福島のJヴィレッジで行なわれた国内合宿では、30度近い気温のなかで練習をこなしてきた。そのうえ、本番直前の親善試合では地元ドイツ相手に2-2で引き分けた。2-0から追いつかれたとはいえ、世界の強豪相手にアグレッシブな戦いができた。川口自身、そこで事前にチェックしておきたいことを確認できていたからでもあった。
「今の代表選手はみんな海外でプレーしているので、国際試合でもふだんと変わらずにプレーできるけど、この当時はほとんどの選手がJリーグ所属で、国際試合になると(Jリーグでの戦いと比べて)かなりステージが上がる印象があって、特に守備面ではそういう感じが強かったんです。
そうしたなか、個人的には本番を前にして(その時点での)世界基準のスピードやクロスの質、攻撃の圧力などをしっかり体感しておきたかった。それが、ドイツ戦である程度把握できました。
試合全体を見ても、自分たちが多くのチャンスを作りましたし、タカ(高原直泰)が2点取ってくれて、大きな手応えを得られました。
このドイツ戦で、レギュラーメンバーがほぼ確定。好ゲームができたことで、チームはいい流れに乗りつつあった。
しかし、その後に行なわれたマルタとの親善試合(1-0)は、ドイツ戦とは真逆の、緊張感のない試合となり、試合後のロッカールームでは指揮官であるジーコの怒鳴り声が響いた。
「ドイツ戦以降、ふだんの練習でも少し強度が足りない感じがして、緊張感もやや欠けている気がしていたなかでのマルタ戦だったんです。ワールドカップの厳しさを知るジーコは、『このままじゃダメだ』『ワールドカップはそんな甘いもんじゃない』という喝を入れたんだと思います」
このときのチームはワールドカップ経験者が多数いた。それぞれがやるべきことは十分にわかっていたのだろう。ジーコの叱咤にも変に動揺することなく、落ちついていた。初戦へのカウントダウンが始まり、川口も1998年のフランス大会以来、8年ぶりにワールドカップの舞台に立てることを楽しみにしていた。
ただ試合当日、緑の芝の間から噴き出るような湿気と直射日光の鋭さが、チーム全体にわずかな"揺らぎ"を与えた。高揚する川口の気持ちのなかにも、モヤッとする何かが影を落とした。
オーストラリア戦の前半、日本は中村俊輔のゴールで先制。
川口も好セーブを見せて、自身でも波に乗っている感覚があった。それゆえ、後半も自信を持ってゴールマウスの前に立った。
そのとき、試合前以上の猛烈な暑さを感じた。スタジアムの左側にあるガラスが鏡のようになって直射日光を反射し、ゴール前を照らしていたのだ。
川口は「この暑さは、ヤバいな」と、嫌な予感がしたという。
オーストラリアは試合開始から3-6-1のシステムで中盤を厚くして、日本の攻撃の生命線である中田英寿と中村を自由にプレーさせない対応を取ってきた。後半に入ってからはその日本の中盤をケアしつつも、灼熱のなかでの戦いをより重視して、日本陣内へのロングボールを多用。後半16分に194センチの長身FWジュシュア・ケネディを投入すると、188センチのFWマーク・ビドゥカとのツインタワーを目がけて、その数を一段と増やして日本に圧をかけてきた。
日本の守備陣は、その対応に追われた。
「ケネディが途中から出てきてパワープレーでくることは、(オーストラリアが)親善試合のオランダ戦でもやっていたことなので、わかっていました。でも、実際にロングボールを入れられると、その対応に苦慮してDFラインを下げられてしまった。
自分はDFラインを上げるようにコーチングしましたけど、スタンドの歓声でほとんど声が届かないんです。加えて、前線でボールを追っていた選手たちの足が止まってきたことで、後ろからラインを上げることがさらにできなくなってしまいました。
その結果、(日本は)どんどん間延びしていき、前は孤立して、攻撃が単発に終わっていました。反対に、相手は容赦なくボールをどんどん蹴ってくる。それに対処するため、センターバックはジャンプして競り合わないといけない。それを何度も繰り返しているうちに、暑さも相まって、ボディブローのように効いてくるんです。(日本は)なんとか必死に耐えている状態でした」
日本は後半34分、FW柳沢敦に代えてMFの小野伸二を投入した。だが、ジーコからはその交代に対する指示がこれといってなく、流れはさらにオーストラリアへと傾いた。
後半39分、オーストラリアがゴール前にロングスローを放った。川口はボールの落下地点を予測して、大きく弾き飛ばそうと前に出た。
だが、DF中澤佑二と重なって、うまく弾くことができず、ボールが後方へ流れてしまった。それに、途中出場のMFティム・ケーヒルがすかさず反応。
「あれは、自分の判断ミスでした。あの時間帯、(オーストラリアに)制空権を奪われていたので、自分が出ていって何とかしたい、という気持ちが強かったんです。
GKは守備機会が多いと乗っていきやすいんですが、この試合は自分のなかでもいいリズムで集中してプレーできていました。だからこのときも、調子がいいので『いける』と思って出ていったのですが......。
調子がよかったことを思えばなおさら、もっと冷静にプレーすべきでした。あそこも、後ろの選手にまかせるなりすればよかった。結果的に判断を間違えて、同点に追いつかれ、オーストラリアに流れを持っていかれてしまった。失点の責任をすごく感じました」
失点した瞬間、ピッチ上の選手たちの表情はうつろだった。同点に追いつかれたとはいえ、試合はまだ終わっていなかったが、日本の選手たちはまるで電池切れを起こしたかのように動きがピタリと止まってしまった。
ドイツ戦で見せた勇ましさはどこへいってしまったのだろうか。
本大会に至るまで、このチームは非常にタフな経験を重ねてきた。
とりわけ記憶に残っているのは、2004年のアジアカップだ。PK戦にもつれた準々決勝のヨルダン戦では味方がふたり失敗して絶体絶命のピンチに陥ったが、川口の2本のセーブなどでヨルダンが4連続失敗。奇跡の勝利を飾った。続く準決勝のバーレーン戦でも、遠藤保仁が退場。厳しい戦いを強いられたが、土壇場で追いついて延長戦の末に逆転勝利を決めた。
決勝では、開催国・中国の観衆から大ブーイングを浴びせられた。完全アウェーの状態だったが、3-1で快勝して頂点に立った。
「あのときは『絶対に勝つんだ』とみんな、最後まであきらめなかったですし、団結して戦った。だから、結果がついてきたんです。
ワールドカップでは、そのときのメンタルの強さを発揮することができなかった。それはなぜなのか――。
1-1となった試合は、後半44分に再びケーヒルがゴールを決めてオーストラリアが逆転。さらに、アディショナルタイムに途中出場のFWジョン・アロイージが3点目をゲット。日本は1-3で敗れて、大事な初戦を落とした。
(文中敬称略/つづく)◆ドイツW杯、中田英寿がブラジル戦の前日に行なったシュート練習>>
川口能活(かわぐち・よしかつ)
1975年8月15日生まれ。静岡県出身。清水市商高を卒業後、1994年に横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に加入。2年目にはレギュラーとなり、チームのJリーグ初制覇に貢献した。2001年にはイングランド2部のポーツマス入り。日本人GKとして初の欧州移籍を果たす。2003年からはデンマークのノアシェランでプレー。2005年に帰国し、ジュビロ磐田へ移籍。その後、J2のFC岐阜、J3のSC相模原でプレー。2018年シーズンを最後に、現役を引退した。その間、年代別代表、日本代表でも活躍。1996年アトランタ五輪に出場。ワールドカップには、1998年フランス大会、2002年日韓大会、2006年ドイツ大会、2010年南アフリカ大会と4大会でメンバー入り。国際Aマッチ116試合出場。

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