右打者としてNPB史上最高のシーズン打率.378、セ・パ両リーグでの首位打者と最多安打、そして通算2186安打──。球史に残る数々の記録を打ち立てた内川聖一は、現役時代、こんな理想を口にしていた。

「自分の感覚を研ぎ澄ませたい。自分の感覚を球場中に張り巡らせたい。そうすれば、ここにこういうふうに打てばヒットになるとか、自分が思うままに打てるでしょ」

 かつて野村克也氏に「プロ野球誕生以来の右の好打者」と言わしめた天才ヒットメーカーは、ポストシーズンでも無類の勝負強さを発揮した。クライマックスシリーズでは史上最多となる3度のMVPに輝き、日本シリーズでもMVPと優秀選手賞を1度ずつ受賞している。

 思わず「うまい」と唸らされる巧みな右打ちだけではない。とりわけソフトバンク時代は4番を任されることも多く、卓越したミート力に加え、長打力も兼ね備えていた。類まれな技術とパワー、そして相手投手の心理を読み解く洞察力......。そのすべてが凝縮された、打撃の「最高芸術」とも呼ぶべき1打席を、今も鮮明に覚えている。

【プロ野球】「ホームランしか考えていなかった」 内川聖一が振...の画像はこちら >>

【絶体絶命から始まったドラマ】

 2017年日本シリーズ第6戦。9回裏に飛び出した、起死回生の同点本塁打である。

 この年の日本シリーズは、パ・リーグを制したソフトバンクと、セ・リーグ3位から下克上を果たしたDeNAの対決となった。内川にとっては古巣との頂上決戦であり、全6試合に4番打者として先発出場した。

 福岡で迎えた第1戦は、ソフトバンクが10対1で圧勝。

続く第2戦、第3戦も1点差で競り勝ち、3連勝で日本一に王手をかけた。このまま一気に決まる──そんなムードが漂い始めたところで、DeNAが意地を見せた。

 横浜スタジアムでの第4戦は、ルーキーの濵口遥大が8回一死まで無安打に抑える快投を演じ、チームに初勝利をもたらした。続く第5戦もDeNAが接戦を制し、対戦成績を2勝3敗とした。

 そして、舞台は再び福岡へ。ソフトバンクが王手をかけて迎えた第6戦だった。

 先発は、ソフトバンクがこの年16勝を挙げて最多勝に輝いた東浜巨。対するDeNAは、プロ2年目で自身初の2ケタ勝利を挙げた今永昇太だった。

 試合は2回裏、松田宣浩が左中間のホームランテラス席へソロ本塁打を放ち、ソフトバンクが先制する。

 しかし、5回表にDeNAが反撃。白崎浩之のソロ本塁打で同点に追いつくと、さらに安打と犠打でチャンスを広げ、ホセ・ロペスの左前適時打などで2点を追加。この回一挙3点を奪い、逆転に成功した。

 今永は7回0/3を投げ2失点、11奪三振の快投。ソフトバンク打線を封じ込め、リリーフ陣に後を託した。

【狙いは山﨑康晃のツーシーム】

 2点を追うソフトバンクは8回裏、内野ゴロの間に1点を返し、2対3。1点差で9回の攻防を迎えた。

 9回表、ソフトバンクはビハインドの展開ながら、守護神のデニス・サファテを投入。無失点に抑え、最後の攻撃に望みをつないだ。

 一方、逃げ切りを図るDeNAも、9回裏のマウンドに守護神・山﨑康晃を送った。一塁の守備からベンチに戻った内川は、ミットを外し、バッティンググローブとレガースを装着。ヘルメットをかぶり、バットを手にネクストバッターズサークルへと向かった。

 ソフトバンクの攻撃は3番から始まる好打順。先頭のアルフレド・デスパイネが出塁すれば、つなぐ打撃に徹しようと考えていた。だが、デスパイネは遊ゴロに倒れる。一死走者なし。

内川はゆっくりと右打席へ歩みを進めた。

「あの打席に限っては、意外と冷静だったんです。山﨑くんとの対戦はシリーズで3度目でしたし」

 それまでの対戦成績は2打数1安打。第4戦では遊ゴロに倒れたものの、第5戦では三遊間を抜く左前安打を放っていた。ただし、内川のなかに「打ち勝った」という感覚は残っていなかった。

「どちらも打ったのはツーシーム。ヒットの打球は、引っかけたゴロがたまたまそこに飛んだだけ。あのツーシームをそう打てば、当然こうなるよなという感じでした」

 山﨑を相手に連打を重ねるのは難しい。仮に自分が出塁しても、後続がつないで得点できるとは限らない。ならば、狙うべきはひとつしかなかった。

「ホームランです。ゴロではダメ。

ホームランを打つためには打球を上げないといけない。とにかくフライを打つ。もしフライでアウトになっても、『オレの勝ち』というくらいの割りきった感覚で打席に入っていました」

 狙い球も決めていた。過去2打席で対戦した、山﨑の伝家の宝刀・ツーシームである。

「ストレートよりも、ツーシームを強引に振り上げるほうがフライを打ちやすい」

【完璧な一打を生んだ緻密な計算】

 運命の打席が始まった。

 初球はボール。そして2球目、狙いどおりツーシームが来た。しかし、内川が引っかけるように打った打球は、三塁側のファウルグラウンドへ転がっていった。

 バットは折れた。だが、内川が待っていたのは、あのツーシームではなかった。

「バットを折られました。でも、僕が待っていたのはもっと厳しいコースだったんです。だから打ち損なった」

 新しいバットを手に、再び構える。

 そして迎えた3球目。山﨑が投じたのは、内角低めに鋭く沈むツーシームだった。ストライクゾーンを外れていたかもしれない。それほど厳しいコースだった。

 内川は、そのボールをすくい上げた。高々と舞い上がった打球は、大きな放物線を描き、左翼のホームランテラス席へ吸い込まれていった。

 土壇場の9回裏、起死回生の同点本塁打。球場が歓喜に包まれるなか、内川には確かな手応えがあった。

「あの局面なら、必ず厳しいところに投げてくる。だから僕も、彼の最高のボールをイメージしたんです。みんなからは『2球目よりももっと難しいボールをよく打った』と言ってもらえましたが、僕はあの内角低めいっぱいいっぱいの球だけを待っていたから打てたんです」

 失投ではなかった。むしろ、山﨑が投じる最高のボールを想定していたからこそ、内川は完璧に打ち返すことができたのだ。

もっとも、内川自身は、あの打席で本塁打を確信していたわけではないと振り返る。

「打ったあとだから何とでも言えるけど、ホームランを打てるという確信があったわけじゃない。自分のなかでの勝手なプラス思考、割りきりですよ。長いレギュラーシーズンの戦いだと、それまでの成績や前の対戦のイメージが入ってくるので、その1打席だけの勝負になれない部分もある。数字を落としていれば、『オレ、調子悪いな』とか、『なんか感じがおかしいな』とか。

 でも、クライマックスシリーズや日本シリーズは、その1打席のなかで自分のベストをどう発揮できるか。そんなシンプルなところで考えられる。シーズンだと10回のうち3回ヒットを打てばすごいと言われる。けど、1打席に限定すれば打つか打たないか。表か裏かみたいなものだから、ならば打つ確率は『5割』じゃないですか」

 打率という数字に縛られるのではなく、目の前の1打席にすべてを懸ける。その割りきりが、土壇場で内川の持つ技術と感覚を最大限に引き出したのだろう。

【死闘の果てにつかんだ栄冠】

 そして、あの本塁打について、内川はこんな言葉を残している。

「このボールを、こんなふうに打てばホームランになりやすい。あの時、自分のなかでは見えていたんです。だから打った瞬間も別に驚かなかった。あ、やっぱりそうなったかって」

 最高のボールを待ち、最高の技術で打ち返す。内川が追い求めてきた打撃の理想が、あの1打席には凝縮されていた。

 そして試合は3対3の同点となり、延長戦へ突入する。ソフトバンクは9回から登板したデニス・サファテが、異例の3イニングにわたる熱投を披露。そして11回裏、ついに決着の時が訪れた。

 川島慶三が右翼前へサヨナラ適時打。ソフトバンクが4勝2敗でシリーズを制し、日本一に輝いた。

 じつはこの日、ソフトバンクは第1戦に先発した千賀滉大が登板する見込みだった。しかし、前日に背中の痛みを訴え、登板を回避。第7戦での登板も想定されていたが、万全の状態とは言いがたかった。

 千賀の登板回避によって、第7戦までもつれ込めば投手陣のやりくりは一段と厳しくなる。1点を追う9回表から守護神・サファテを投入した采配には、この試合で日本一を決めたいというソフトバンクの強い執念がにじんでいた。

 その執念に応えたのが、4番・内川聖一だった。

 2026年の日本シリーズもまた、ソフトバンクとDeNAが激突することになった。歴史にも記憶にも残る名シーンや名勝負がまた誕生するだろうか。まもなく始まる頂上決戦から、目が離せない。

田尻耕太郎●文 text by Kotaro Tajiri

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