日本シリーズ開幕前、ソフトバンクの球団公式SNSに投稿された1枚の画像が、ファンの間で大きな話題を呼んだ。

 選手のビジュアルに添えられていたのは、こんな言葉だった。

「1万7277時間16分」
「待ち焦がれた時が来た」

 いったい、何を意味する数字なのか。すぐさまSNS上で謎解きが始まった。熱心なファンの洞察力は鋭かった。その数字に込められた意味は、瞬く間に解き明かされ、拡散されていった。

 ソフトバンクは2年前の2024年、日本シリーズでDeNAに2勝4敗で敗れた。その第6戦が終了したのは、11月3日の午後9時14分。そこから1万7277時間16分後にあたるのが、2026年10月24日の午後6時30分だった。

 すなわち、それは今年の日本シリーズ第1戦のプレイボール予定時刻。画像の公開時刻も2年前の日本シリーズ最終戦の終了時刻と同じ「午後9時14分」だった。2024年の敗北が、ソフトバンクにとっていかに大きなものだったかを物語っていた。

【日本シリーズ】横浜スタジアムが凍りついた初球 ソフトバンク...の画像はこちら >>

【フルスイングに込めた宣戦布告】

 そして迎えた2026年10月24日。

 横浜の街には朝から雨が降り続いていた。グラウンド整備や開幕セレモニーなどの影響もあり、実際のプレイボールは予定より6分遅れの午後6時36分となった。

 ようやく球審・川口亘太の右手が上がる。

 そのわずか数秒後だった。スタンドの大半が青く染まり、高揚感に包まれていた横浜スタジアムが、ほんの一瞬、静まり返った。

 ソフトバンクの1番打者・正木智也は、打席に入る前から心を決めていた。

「初球を振ろう。昨日、いや、一昨日から思っていました」

 DeNAの先発・石田裕太郎が投じた初球。真ん中からやや内寄りに入ってきたストレートを、正木は迷わずフルスイングした。

 今季、NPB最速となる打球速度188.5キロを記録したこともある正木。そのバットから乾いた打球音が響いた次の瞬間、白球はロケットのような勢いで左翼ポール際へ舞い上がった。

「完璧にとらえたんですけどね。いやー、ちょっと早かったですね」

 打球は左翼ポールのはるか上を通過していった。バックネット裏からは本塁打にも見えたが、左翼線審の両手が大きく広げられた。

 ファウル──日本シリーズの幕開けを告げる初球先頭打者本塁打は、幻に終わった。

「あれが入っていればカッコよかったんですけどね。とにかく思いきって振ってやろう。ファウルでもいいから引っ張ってやろうと思っていたら、ファウルになっちゃったんですけど(笑)。もし狙い球と違っていても、思いっきり空振りしてやろうと思っていました。フルスイングをして、それで相手が怖がれば一番いいから」

 その言葉からは、打席に立つ正木の強烈な意志が伝わってくる。

【1番抜擢が変えた運命】

 正木は今季、プロ5年目にして大きな飛躍を遂げた。

 慶應大からドラフト2位で入団。過去には開幕戦で2度、5番打者を任されるなど、期待は大きかった。しかし、度重なる故障に苦しみ、なかなか一軍に定着できずにいた。今季もオープン戦終盤に右足裏の蜂窩織炎を発症し、戦線離脱を余儀なくされた。

「なんでオレばっかり......」

 そんな思いが頭をよぎり、続く不運を恨んだこともあったという。開幕一軍を逃し、昇格したのは5月になってから。

それでも、そこから正木の野球人生は大きく動き始めた。

 本人も「最初はびっくりした」と振り返る1番打者への抜擢。だが、その起用が見事にはまった。

 俊足巧打型とは一線を画す、長打力を最大の武器とする新時代のリードオフマン。これまでのソフトバンクにはいなかったタイプの1番打者として、打線を牽引した。

 昨季までの通算本塁打は12本。それが今季だけで28本塁打を放った。うち7本が先頭打者本塁打。球団記録を更新するとともに、2007年に巨人の高橋由伸が記録したシーズン9本のプロ野球記録にも迫った。

 その高橋は2007年のシーズン開幕戦で、史上2人目となる「開幕戦初球先頭打者本塁打」を放っている。奇しくも、その舞台は横浜スタジアムだった。

「僕、小さな頃は巨人ファンだったので、由伸さんが先頭打者本塁打の記録を持っていたのも、開幕戦の初球のハマスタの一発も覚えています。

小2になる頃だったので、ちょうど野球を始めた時期でした」

【ひと振りで球場の空気を変える男】

 もし日本シリーズ第1戦でプレーボール本塁打を放っていれば、史上初の快挙だった。あと少しのところで球史に名を刻むことはできなかったものの、正木は試合の流れを変える力を持っている打者であることを、あらためて証明したように見えた。

 そして日本シリーズ第1戦は、頂上決戦にふさわしい大熱戦となった。延長11回、4時間12分の激闘はソフトバンクが3対1で制した。ただ、DeNAにも勝機は十分にあった。ここまで勝ち上がってきたチーム同士の対戦だけに、やはり紙一重の戦いだ。

 正木は第1打席、初球の大ファウルのあと、6球目に痛烈な打球を放ったが、二塁ゴロに倒れた。しかし、第2打席では詰まった当たりが右翼前に落ち、待望の安打を記録。10回には中前安打も放ち、2安打をマークした。

 完璧にとらえた打球がファウルになり、詰まった打球が安打になる。やはり野球は不可思議だ。

「2戦目は初球を打たないかもしれませんよ(笑)。

内緒です」

 正木の初回の第1打席には、何かが起こりそうな期待感がある。見ていてワクワクする。次はどんなひと振りを見せてくれるのか。そんな想像をかき立てる打者だ。

 たった1球で球場の空気を変え、観客の心をつかむ。スターに求められる資質を備えつつある鷹のリードオフマンから、今後も目が離せない。

田尻耕太郎●文 text by Kotaro Tajiri

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