国際数学者会議は23日、米国フィラデルフィアで第21回フィールズ賞の4人の受賞者を発表した。その中には中国人数学者の王虹さんと鄧煜さんが含まれていた。

フランスメディアのRFIが伝えた。

今回の王さんのフィールズ賞受賞理由を一口で言えば「図形や空間の性質を、関数を扱う手法で解き明かす研究での成果」で、直感的に認識できる幾何学上の性質を、より厳密に説明したと言える。鄧さんの受賞理由は「物理現象を記述する複雑な微分方程式を数学の手法で厳密に解明する研究」で、物理学の土台を数学によってさらに強化したことが評価されたと言える。

一般に、科学の分野で世界で最も権威があるのは物理学、化学、医学生理学でのノーベル賞だ。しかし、科学思考の根幹とされる数学についてのノーベル賞はない。そのため、数学分野の最高峰とされるフィールズ賞は「数学のノーベル賞」などと言われることがある。ただし、フィールズ賞には「若い数学者を応援」することが大きな目的とされているので、受賞資格にはその年の1月1日時点で40歳未満であることが含まれる。また授賞も4年に1度なので「獲得はノーベル賞より困難」ともされる。一方で、若い時期に「あまりにも画期的」な研究成果を上げた数学者が、その内容が理解され評価された時にはすでに40歳以上になっていて授賞を逃した例もあるとされる。

王さんと鄧さんはいずれも2007年に北京大学に入学した。ただし、王さんの当初の専攻は地球物理だった。鄧さんは高校時代に国際数学オリンピック(IMO)で優勝し、推薦で北大数学部に入学した。

幼少時の大やけどにもめげず、それをかえってバネに

王さんの両親は広西チワン族自治区の小さな街の中学教師だった。王さんは4歳の時に誤って熱湯で右腕に火傷を負い、その後数年を治療に費やした。親は子供の勉強を遅れさせないために、小学1、2年生の教科書を学ばせた。

王さんは病床で独学することになったが、いつも集中して学ぶことができた。小学校入学時には1年生の内容を学び終わっていたので2年生のクラスに入った。3年生になると再び皮膚移植手術を行い、病床で1学期独学して、その後に4年生を飛び級して5年生に進んだ。父親は1998年に県政府での仕事をするチャンスがあったが、王さんが火傷後の回復段階で世話を要したため、自ら放棄した。

王さんが16歳で北大に合格した時、両親は平静に見えた。母親は「北京大学合格くらいでは成功と言えない」と言った。王さんが入学したのは北京大学地球空間科学学院(学部)だったが、数学を熱愛していたのですぐに専攻を変えたいと考えて数学を一心に研究した。そして数学科学学院に転籍して卒業時には数学の学士号を取得した。一方で両親は、メディアの注目が学業に影響することを望まず、取材を丁重に断った。王さんはその後、フランスに留学して数学修士号などを取得した。

10年後にフランスから帰省した際に、王さんは以前と同様に人と柔和に接して、偉そうにする様子は少しも見えなかった。

王さんはその後もフランスで数学の研究を続け、同国で終身教職の地位を獲得した。フランスのマクロン大統領はフィールズ賞を受賞した王さんに贈った言葉で、女性数学者ということに言及して、「他の若い女性の模範になれると信じる」と述べた。

数学以外にも「異能の知」を発揮

鄧さんは学齢前にすでに周囲とは異なる学習能力を示していたという。母親によると5、6歳で書斎にある医学の教科書を読み終え、解剖について大人を質問攻めにした。書斎にある全書籍を読了するのに時間はかからなかったという。鄧さんの父親はコンピューター専攻出身で、鄧さんを毎週末に山登りに連れて行き、路上で面白い数学の問題を解いて見せた。

鄧さんは小学校1、2年で算数を深く愛するようになった。特に1つの問題に多くの解法を示すのが得意だったという。彼のいた小学校は深センで最も早く系統的に囲碁を普及させた公立小学校で、全生徒に対して囲碁を必修としていた。鄧さんは1年生の後半学期に学校代表チームに入って重点的な育成を受け、何度も囲碁の賞を獲得し、プロ棋士になる試験にも挑戦した。ただしわずか1勝の差でプロにはなれなかった。

鄧さんが3、4年生になると、数学教師は彼の才能に対応する指導をするようになった。通常の宿題は免除して、「小さな先生」として他の生徒に練習問題を解説させた。問題を解かずに囲碁を打つことさえ許された。鄧さんは2001年に四大名門校の1つである深セン高級中学(高等学校)に入学し、数学コンテストのコーチから無償で指導を受けた。鄧さんは「深セン高級中学に入らなかったらコンテストの良い成績はなく、数学に興味を持つこともなかっただろう」と語ったことがある。

鄧さんはそれに先立つ中学生だった時期に高校の数学の内容をほぼ学び終えていた。中学3年の卒業時には大学入試の数学の問題を解いてみた。150点満点で成績が130点を下回ることはなかった。鄧さんは北京大学で2年間学んだ後に米国のマサチューセッツ工科大学に転校し、現在は米国のシカゴ大学の終身教授だ。(翻訳・編集/如月隼人)

編集部おすすめ