第159回直木賞の受賞作を以下の通り予想する。
直木賞:窪美澄『じっと手を見る』(幻冬舎)
候補作について、それぞれ内容を紹介しておきたい。
取り上げた順番は筆者の好みである。
芥川賞編はこちら

第二次世界大戦下の上海が舞台の細菌小説


候補になった6作で断然好みだったのが上田早夕里『破滅の王』(双葉社)だ。歴史上の事件を背景にとった物語の規模、主題が到達しうる半径の広さ、登場人物たちが巻き込まれていく運命の描き方など、本作に比肩するものは今回の候補作にはなかったように思う。本年の必読作の一つだ。
総合点でこれでしょう! だけど断然好きな作品は別。書評家・杉江松恋が第159回直木賞をズバリ予想する

物語は1943年の上海から始まる。主人公の宮本敏明は日本・中華民国が対等な立場で設立した上海自然科学研究所で細菌学を専門にする学者だ。その彼が大使館附武官の灰塚少佐から断片的に発見された論文を解読せよとの密命を受ける。
それは「キング」と呼ばれる未知の細菌兵器に関するものであった。宮本は「キング」の予防薬製造を目指すが、そのためには細菌兵器を完成させなければならず、彼は葛藤を抱える。さらに一連の事態の背後には関東軍の影があり、危険な立場にも追い込まれるのである。

科学の軍事利用が中心の話題だから戦争小説の範疇に入り、未知の細菌との闘いを描いた医療小説とも読める。軍と研究施設の間で板挟みになる主人公が陥ることになる危機を描いた冒険小説であるのはもちろん、先の戦争において生み出された悲劇的状況を描いた作品でもある。読みどころはいくつもあるが、特に医療小説として読めば普遍的な主題が浮かび上がってくる仕掛けになっている。
前半は宮本を中心とする人間関係の網目がじわじわと狭まって来る展開で、英米の諜報スリラーを思わせる。読みなれない方にはやや重く感じるかもしれないが、後半を加速させるために必要なのでぜひじっくり読んでいただきたい。直木賞では戦争小説になると急に一言多くなる方が多いし、選考委員の一部には苦手な方がいるタイプの作品だから受賞は難しいかもしれないが、おもしろいことは絶対保証するので、みなさんはぜひ読んでもらいたい。

閉塞感漂う時代の空気を小説に活写


正直に書いてしまうと『破滅の王』が好きすぎて、それ以外の順位はあまりこだわりがない。作品として仕上がりが綺麗だな、と思うのが窪美澄『じっと手を見る』(幻冬舎)だ。総合点ではいちばん上だと思うので、受賞予想としてはこれを本命とする。
総合点でこれでしょう! だけど断然好きな作品は別。書評家・杉江松恋が第159回直木賞をズバリ予想する

富士山が間近に見える海のない土地、として紹介されるので山梨県のどこかが舞台だろう。
幼いときに両親を交通事故で亡くした日奈は祖父に育てられた。その祖父も亡くなり、残された古い家で彼女は一人暮らしをしているのである。ある日彼女は、卒業した介護福祉専門学校の入学案内パンフレット制作のため取材を受ける。そこで出会った宮澤さんという年上の男性に人生で初めての恋をしたことから、静かな湖のようであった彼女の暮らしは変わり始める(「そのなかにある、みずうみ」)。

連作形式の物語である。最初の語り手は上記の日奈、そして彼女に恋心を抱き執着する海斗、彼を先輩と呼んで急接近してくる真弓、と語り手は移り変わる。
男女の性交が叙述の核になっており、登場人物たちが結びつこうとする背景に何があるのかを読者に考えさせる。舞台は巨大なショッピングモールと寂れた商店街のある地方都市に設定されており、閉塞感を描き出すことが作者の狙いにはあるのではないかと思わせる。介護という構造の問題を抱える職業を中心にしているのも時代の不安な先行きを感じさせるためだろう。各話でモチーフが明示され、それを軸にして語り手の心理が解説される。やや理に落ちすぎているように感じるのだが、それは好みの問題だ。全体を通して感じるのは、これは男の哀れさを描いた小説だということである。
出てくる男たちはみな、自分の性が無力であることに戸惑い、その鬱憤を女性に対して向けているように見える。その哀れさが出ている章が、わたしには特におもしろかった。

父親殺しを描く法廷小説


第三に挙げるのは島本理生『ファーストラヴ』(文藝春秋)である。候補になった数で言うと今回は木下昌輝と湊かなえが3回でいちばん上だが、直木賞では2回目の島本は芥川賞候補に4回なっているので合算すると最多ではある。題名だけだと恋愛小説のように見えるが実は裁判小説であり、謎で牽引していくミステリー的要素もある。

臨床心理士の真壁由紀は、父親を刺殺した罪で裁かれる大学生への取材を始める。著作としてまとめるためだ。
被告人の名は聖山環菜、伝えられるところによれば彼女は父親を殺した動機を問われ「そちらで見つけてください」などと挑発的な言葉を吐いたのだという。由紀は環菜と面談し、その証言に一貫性がないことに不審の念を抱く。彼女をよく知らなければならない。周囲の人々への聞き取り調査は由紀に意外な事実をつきつけるのだ。
環菜の弁護士が主人公の夫の弟で、彼と一緒に行動することになる。弁護士と主人公の間には過去に因縁があり、そのことが最終的には事件への補助線にもなるのだが、聖山環菜の話題一本に絞っても十分だったのではないか、と思うほどに蛇足と感じられた。あまりにも弱く、人に流される環菜は初め読者を苛立たせるはずだが、証言が集まってくるとその印象が一変する。実際は何があったのかが判ってからが本作の読みどころで、そう長くはない法廷場面にも迫力がある。

今回の直木賞では六作中三作が女性性の問題を扱っていた。これもその一つで、女性が無防備なまま暴力に晒される現状を端的な形で描いた作品である。弁護士の一件もあって読み始めたときはあまりピンとこなかったのだが、読み終えたときにはすっかり惹きこまれていた。読後の印象はかなりいい。

企業人はこの2作を読め


男性の候補作は木下昌輝『宇喜多の楽土』(文藝春秋)と本城雅人『傍流の記者』(新潮社)である。木下は歴史小説界期待の新鋭、本城は今回が初の候補で、元スポーツ紙の新聞記者としてスポーツものや新聞記者を主人公とした多くの著作がある。
『宇喜多の楽土』は、木下のデビュー作である『宇喜多の捨て嫁』の続篇にあたる作品だ。謀略によって国を盗った梟雄とされる宇喜多直家の生涯を描いたのが前作、直家の息子である秀家が今回の主人公だ。直家が生きたのは群雄割拠の世であったから敵は地続きのところにいる者に限られたが、息子の秀家は、すでに豊臣という強大な権力者がいる時代に、国の舵取りという重要な仕事を任されることになる。それゆえの苦悩が主として描かれるのだ。外に対しては毛利家との領地争い、内に向っては弱まってしまった君主の権力をいかに回復するかということで、常に苦悩し続ける。そうした世渡りの難しさが描かれることに共感する読者は多いはずだ。

本書はエピソードの積み重ねで出来ており、中途の時間がしばしば飛ぶ。前作は連作形式であったが『宇喜多の楽土』も極めてそれに近い。思えば二度目の直木賞候補作『敵の名は、宮本武蔵』もそうで、主人公の人生を通しで描いて読者を魅了するという要素は弱かったのである。もちろん連作形式をとらない『天下一の軽口男』などの長篇もあるが、おもしろさでは『宇喜多の捨て嫁』には及ばなかった。『宇喜多の楽土』も国運営の苦悩が描かれる前半に比べ、いざ合戦となってからの後半はあっけなく感じられてしまう。

『傍流の記者』も世渡りの厳しさを感じている勤め人には支持されること間違いない作品だ。これも連作形式であり、東都新聞社会部の敏腕記者たちが主人公となる。新聞社内のポストは極めて少なく、一人が部長職になれば後の同期は出世街道から外れることになる。社会部で警視庁、司法、調査報道、遊軍担当といったそれぞれの守備範囲を持つ男たちは、他の同期に負けないように意地を張り、自軍の陣地を守り続けるのである。
人事を核にした新聞記者の小説というのがおもしろい。担当した案件でいかに地雷を踏まないかという話でもあってその緊張感が楽しいのだが、話が後半に入ると別の要素が出てくるので、勤め人の共感をさらに呼ぶはずである。金融機関という舞台を使って池井戸潤が、警察官を主人公にして今野敏が台頭してきたときの勢いを今の本城には感じる。

一口で言ってしまえば、時代が変わっても守り続けなければならないものがある、という話だ。ただし今は、そういう昔気質が絶対的な善とされる時代ではないだろう。圧倒的なオトコ小説でもあり、女性の選考委員からどういう評価が下されるか、ちょっと注目したい。

記念年に記念すべき一作


最後は湊かなえ『未来』(双葉社)だ。湊は2018年にデビュー10周年を迎えた。その記念すべき年のトピックとして、著作『贖罪』の英訳版がアメリカ探偵作家クラブ(MWA)賞最優秀ペイパーバック・オリジナル賞の最終候補となり、日本初の栄冠に輝くか、と注目されたことも記憶に新しい。『未来』はその記念年にふさわしい大作感のある作品だ。

目次を見ると構成からまず趣向が凝らされている。「章子」と題された200ページ超の章が主部、その後に「エピソード1〜3」という3つの章がくる。「章子」というのは主人公の名前である。父親を亡くし気鬱の母と二人暮らしの、10歳の佐伯章子に意外な手紙が届けられる。30歳、つまり20年後の自分自身が差出人なのである。10歳の章子は、30歳の自分に身辺であったことを綴った手紙を書き続ける。「章子」の章はすべて書簡形式だ。小学生から少しずつ成長していく少女の視点だからもちろん不備欠落があるし、他人の視点からすれば違って見えることも出てくるだろう。そうしたものを補う役割をするのが「エピソード1〜3」の章なのである。「章子」では主人公が次第に世界の残酷さに気づいていくさまが描かれる。それゆえに絶望感が高まるのだ。それをどのように転がすかが腕の見せどころで、作者は新しい挑戦を行っている。

直木賞はミステリーかミステリーではないかには重きを置かない賞である。ゆえに選考判断には影響しない可能性があるが、ミステリー読みとしては本書の構成には若干の不満がある。後半で驚きを演出するための伏線が少ない点で、こういう展開のさせ方であればいくらでもどんでん返しは仕掛けられる。たとえば、後半で人物像がひっくり返される登場人物がいる。これなども物語の影に隠れてしまっているから驚きが減じられるのであって、人間としての印象が変わるのであれば、伏線としてそれに見合った場面が前半に設置される必要がある。カードゲームは持ち札の枚数に制限があるほうが緊張感があって好きだ。それと同じ理由で、伏線もないよりはあったほうがいいと思うのである。
(杉江松恋)