先日は「母の日」でしたね。また、黒糖の販売が本格化することから「沖縄黒糖の日」でもありました。

サトウキビといえば、沖縄や鹿児島の南の島々を思い浮かべますが、今回は「北限のサトウキビ栽培」に挑み、黒糖を商品化した男性のお話です。

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2025年産のサトウキビで作られた「深谷黒糖」は完売

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

♪ざわわ ざわわ ざわあ~ 森山良子さんの名曲『さとうきび畑』を聴くと、沖縄の広大な畑に、風が吹き抜けていく、そんな風景が目に浮かびます。サトウキビは、夏の日差しを浴びて、高さ3~4メートルにも育ちます。その収穫期は、夏ではなく、意外にも12月から4月頃にかけて……。というのも、寒くなってから茎にたっぷりと糖分を蓄えるからなんです。

収穫したサトウキビは時間が経つと品質が落ちるため、すぐ製糖工場に運ばれます。お米に「新米」があるように、黒糖にも「新糖」があって、その年に作られた黒糖は、味はもちろん、香りもまた格別です。

その黒糖を埼玉県深谷市で商品化した方がいます。「深谷ねぎ」で知られるこの町で、なぜ、サトウキビを育てたのか……。そこには、母を思う気持ちから始まった物語がありました。

埼玉・深谷で「北限の黒糖」誕生 母への思いが生んだサトウキビ畑
有機肥料にこだわったサトウキビ栽培

有機肥料にこだわったサトウキビ栽培

埼玉県深谷市で、サトウキビ栽培と農業体験を行っているのが、隈元重幸さん、71歳。

鹿児島の出身で、中学卒業後、集団就職で熊谷市の金属メーカーに就職しました。40代の時に、働きながら有機農業を学び「第二の人生は農業をやりたい」と考えるようになります。そして54歳で早期退職。その頃、故郷で一人暮らしをしていた母・キヌノさんを埼玉へ呼び寄せ、親子での暮らしが始まりました。「知らない土地で母が寂しい思いをしないようにと、鹿児島でなじみのあったサトウキビを育てたら、深谷でもぐんぐん育ったんですよ」

ところがサトウキビは背丈が高いため風に弱く、浅間山から吹き下ろす西風「浅間おろし」で倒れ、茎が折れてしまいました。そうなると成長が止まり、かじっても甘くないんですね。さらに夏場は水の管理にも苦労しました。それでも、1年目にしてはよく育ったそうです。

「熊谷の隣ですから、夏は沖縄より暑いくらいなんですよ。母も『よか出来じゃ。甘みもしっかりあっど』と嬉しそうでしたね」

試行錯誤を重ねるうちに「北限でもサトウキビが作れる」と自信を深めた隈元さん。次は「黒糖作りに挑戦しよう」と思うようになります。

それに反対したのが、母のキヌノさんでした。「あんた、会社を辞めたんだから、退職金は大事に使わんといかんよ。黒糖作りはお金がかかるし、やめといたほうがよか」そう言い続けていたキヌノさんは、5年前、95歳で亡くなりました。

埼玉・深谷で「北限の黒糖」誕生 母への思いが生んだサトウキビ畑
今年も育ち始めたサトウキビの苗(深谷市内)

今年も育ち始めたサトウキビの苗(深谷市内)

ある日、農業体験の参加者から「体にやさしい黒糖を作りたい」という声が上がります。母の言葉を思い出しながら、黒糖作りを始めますが、安定した品質で商品化するには課題もありました。そこで、昔ながらの製法を受け継ぐ静岡県の製糖工場に委託することに……。隈元さんが育てた400キロのサトウキビから、20キロ弱の黒糖ができあがり、このほど『深谷黒糖』として商品化されました。地元の農産物直売所に並ぶと評判を呼び、ゴールデンウィーク中に完売!次回の販売は、2026年12月ごろを予定しています。

埼玉・深谷で「北限の黒糖」誕生 母への思いが生んだサトウキビ畑
サトウキビを収穫する様子

サトウキビを収穫する様子(写真提供:隈元重幸さん)

15歳で故郷を離れ、「すっかり埼玉の人間になった」という隈元さん。深谷といえば、近代日本経済の父・渋沢栄一の生誕地です。去年7月には、新しい産業を生み出す拠点「渋沢MIX」がオープンし、隈元さんはその会員になりました。

「渋沢栄一は人と企業を結びつけることで、新しい産業を育てた人物です。

そして深谷には『ガリガリ君』で知られる赤城乳業があります。たとえば“キビガリ君”みたいな新しい商品が生まれるかもしれません。深谷産のサトウキビで、まだ誰もやっていないことに挑戦したいです」

青々と伸び始めたサトウキビ畑で、隈元さんの挑戦は、これからです。

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