「『もののけ姫』以降の宮崎作品は、以前に比べてわかりにくくなっているように思える。(中略)後期作品の異様さは才能の枯渇どころか、むしろ宮崎の過剰すぎる才能がついに全開し始めたことの表れなのだ」
『宮崎駿ワールド大研究』山川賢一 2013)

今夜金曜ロードショーの『もののけ姫』、ぼくは公開時、劇場で1日3回連続で見た。

その時の感想は「すげえ! けどよくわからない!」。
『天空の城ラピュタ』などの雰囲気と、あまりにも違いすぎる。

『もののけ姫』以後の作品はいまいちよくわからない、という声をネットでよく見かける。
具体的に宮崎駿とスタジオジブリはこの作品を境に、どう変化したのか追ってみよう。

1・職業声優起用の激減
「黙れ小僧!」が印象的な、モロの君を演じているのは美輪明宏。イノシシの乙事主は森繁久彌。
演じている面々がモンスター級だ。
それまでの声優以外の演者では、『となりのトトロ』の糸井重里演じるお父さん役が印象的。
『紅の豚』では森山周一郎や大塚明夫など、メインは声優経験の深い人でかためつつ、加藤登紀子や桂三枝など、肩書が声優ではない面々が増えた。

『もののけ姫』では、石田ゆり子、田中裕子、小林薫、西村雅彦、上條恒彦、森光子……と、ほとんどが俳優・女優だ。
以降、メインキャラクターにはほとんど声優は起用されていない。
新作映画が出るたびに、声優を使わないのはありなのかナシなのか、ネット上で議論が交わされた。


宮崎駿が望んでいたのは、人間が会話するときのぞんざいな自然さと存在感。
『風立ちぬ』では堀越二郎役を、究極の素人演技で庵野秀明が演じ、人間味の強いキャラを作り上げた。
『もののけ姫』はこの結論に至るための助走だったようにすら、今は思える。

2・明快なエンタテイメントから、作家性の噴出へ
庵野秀明「(マンガ版『風の谷のナウシカ』では)共生を否定しましたね。自分達が生き残るためにナウシカは血で汚れて、よかったです。忌み嫌っていた巨神兵の火で破壊しなければいけない業の深さ。
これがいいんですよ(笑)。もう、いつわりのない宮崎駿のポリシーが出ていて(中略)同じことをやってくれるように『もののけ姫』では期待している。」
「スキゾ・エヴァンゲリオン」 1997)

『風の谷のナウシカ』のマンガが終わったのが1994年。
モデルグラフィックス誌に連載していた『宮崎駿の雑想ノート』が90年まで。94年『ナウシカ』執筆終了直後から、『妄想ノート』に掲載された『ハンスの帰還』を執筆。その後98年から『泥まみれの虎』が連載される。
その狭間の時期、1997年に作られたのが『もののけ姫』だ。


エンタテイメント映画を世間から求められ、スタジオジブリが作ってきたのが『魔女の宅急便』『紅の豚』期。表宮崎駿と名づけよう。
並行して「人間は自然と共存できるのか、悪なのだろうか」という葛藤を含んだマンガ版『ナウシカ』、ミリタリー趣味全開の『雑想ノート』が描かれていた。裏宮崎駿だ。

例えば『紅の豚』は、傑作と名高い映画の一つ。
けれども宮崎駿は「道楽でくだらないものを作ってしまった」「魔がさしたんです……、ああいうのは……」(『宮崎駿の雑想ノート』 1997)と語っている。

どのような意図か定かではない。ただ少なくとも、ミリタリーは描れていても、人の死はぼかされている。宮崎駿に迷いのあった時期だ。

『もののけ姫』公開時に話題になったのが、アシタカが人の首を弓矢ではねるシーン。
明確に、グロテスクに、主人公が殺人をする。サンも動物の側におり、人間に敵意を抱いて殺そうと襲い掛かる。

庵野秀明が言うように、人間の持つ業が噴出。裏宮崎駿と表宮崎駿がひとつになり始めたのだ。
宮崎駿が描こうとした、「人が生きる」ことの思想は、戦闘機を作る『風立ちぬ』のスタンスへとつながっていく。

岡田斗司夫「(『風立ちぬ』は)美しいものを追ってしまうという人間の「罪」を描いた映画ですね。「罰」はないんですけど。(中略)美しいということは残酷なんです。」
【レポート】『風立ちぬ』は宮崎駿の作家性が強い「残酷で恐ろしくて美しい映画」 ー 岡田斗司夫なう。

美しいものを追ってしまう、人間の罪。
「生きろ、そなたは美しい」というアシタカのセリフを思い出す。

アシタカは「ジブリ格好いいキャラ」ベスト3に入るだろう。
けれども、カヤにもらった首飾りを、あっさりサンにプレゼントするのはどうなのだろう? 本当の気持ちなのだろうし、そこが人間っぽいのだが……。
一方で、どうにもいかがわしく、シシ神殺しまでしたジコ坊が、「罰」を一切受けずに許容されている部分も気になる。
今まで以上に、人間の持つ矛盾を「そういうものだ」として映画で露骨に描くになったのは、『もののけ姫』からだ。

「宮崎アニメといえば清楚な美少女というイメージが、今も抜きがたくあるのは象徴的だ。そのため、ぼく自身を含めて多くのファンが、いまだ(『もののけ姫』以降の)後期作品をうまく捉えきれていないのである」
『宮崎駿ワールド大研究』山川賢一)
 
3・スタジオジブリ後継者問題。
昨年9月、本当に引退会見をした宮崎駿。
それまで何度も引退宣言していたため、「またか!?」となった人は多いだろう。

特にマスコミを通じて引退発言を強調していたのが『もののけ姫』後。
『千と千尋の神隠し』の時には「四年前に引退すると言った人間がまた出てきまして……」(宮崎駿『折り返し点』 2008)と語っている。

事実『もののけ姫』で全力を出し尽くした宮崎駿は、映画の成功を受けて、事務所「豚屋」をジブリ近隣に建設。
50歳以上のみの「シニアジブリ」を作る、という発言をし、引退の決意を固めていた。
(現在の「豚屋」は、株式会社「二馬力」(宮崎駿の著作権管理を行う個人事務所)のオフィス・アトリエ)
この場所で、若手の育成「東小金井村塾2」を98年に開催(1は高畑勲が95年に開いている)。スタジオジブリの経営が安定しはじめたことで、後継者をどうするか、本格的に悩み始めていた時期だ。

ジブリ作品で『もののけ姫』前後、他の監督が作った作品を見てみよう。

1995年 近藤喜文『耳をすませば』(脚本・絵コンテ 宮崎駿)
2002年 森田宏幸『猫の恩返し』(企画 宮崎駿)
2006年 宮崎吾朗『ゲド戦記』(原案 宮崎駿)
2010年 米林宏昌『借りぐらしのアリエッティ』(企画・脚本 宮崎駿)
2011年 宮崎吾朗『コクリコ坂から』(企画・脚本 宮崎駿)

必ず宮崎駿が参加している。
近藤喜文が98年に逝去したことで、後継者問題は深刻化する。

大泉実成「後継者と言っているんだけど、どうも育っていない感じがする」
竹熊健太郎「育っているんですか、ジブリで」
庵野秀明「いえ、ジブリじゃ育ちません。育つ環境じゃないですから」
竹熊「強力すぎますもんね。上が」
庵野「あそこは依存でできている会社ですから。まあ宮崎さんがいなくなったらあそこはもう無力です」
竹熊「さいとう・たかをのいなくなったさいとうプロみたいなものでしょう(笑)『もののけ』がこけたら大変ですよね」
「スキゾ・エヴァンゲリオン」

『もののけ姫』の空前の大ヒット以降、宮崎駿の存在感はますます強固になった。
間もなく公開される米林宏昌(『もののけ姫』では動画担当)の『思い出のマーニー』は、高畑・宮崎両監督が関わらない、初めてのジブリ映画になる。

米林宏昌「僕は宮崎さんのように、この映画一本で世界を変えようなんて思ってはいません。ただ、『風立ちぬ』『かぐや姫の物語』の両巨匠の後に、もう一度、子どものためのスタジオジブリ作品を作りたい。」
企画意図思い出のマーニー
『耳をすませば』の近藤喜文も常に宮崎を意識していた。
どうしても謙遜してしまうのだ。

宮崎駿の壁は、まだまだ分厚い。だからこそ成功して欲しい。
『もののけ姫』以降、ジブリ後継者問題は続いている。


是非『もののけ姫』を見る時に、その後のジブリ作品のことを頭の片隅に思い出しながら見てみてほしい。
特にアシタカのセリフ。「あ、これってもしかしてあの作品につながりが?」という点がいくつかあるはずだ。


『もののけ姫』BD
『「もののけ姫」はこうして生まれた。』DVD
『夢と狂気の王国』

(たまごまご)