ライター・編集者の飯田一史さんとSF・文芸評論家の藤田直哉さんが、いま話題のYouTuberの人気を分析するシリーズ。今回は大食いYouTuberの木下ゆうかさんを取り上げます。

そもそもなぜ食事を観ることが娯楽として成立するのか?


マックのハンバーガー100個!大食いYouTuberが人々を惹きつける理由

飯田 木下ゆうかは大食い系YouTuberですね。いちばん再生されている動画はヒカキンと共演してジャンボ餃子を食べるというもので825万回再生。



 続けて観てるとさすがにちょっと気持ち悪くなってくるけど、たまに観るとなんとも言えない爽快感がある。大食いってテレビでは昔ほどは視聴率取れないんだろうけど(そもそも最近はそんなにテレビでは見かけない気がする。今だとコンプライアンス的な問題とかクレーム回避的なこともあるのかな?)、一定の需要はあることがわかる。
 でもあまりにも大食いがコンテンツとして成立するってどういうこと? が考察されないできたと思うんです。だいたい、ひとがメシ食ってるの見ておもしろいと思うって、どういうことなんだろう。

藤田 木下ゆうかさんは、はじめしゃちょー、マホトとやってきたこのYouTuber講座の中で、ぼくには理解するのが一番難しいものでした……マジで、ただ大食いしているだけですね……ちょっとかわいいけど……。
 で、どういう層がどういう風に楽しんでいるのか、考えてみたんですが。インタビューによると、ファンの6割が女性とのことらしいです。そこから類推するに、女性にとって、大食いって、ダイエットしている人にとっては、「誘惑」だけど「やってはいけないこと」じゃないですか。摂食障害についての本を読んだり、当事者の文章を読むと、食べてしまうことには「罪悪感」すらあるとのことで。
 木下さんが、大食いをしているところを観るのは「やっちゃいけない悪いこと」を「やっちゃってる」と考えれば、男性YouTuberの悪ふざけと、構造的には似ている。そうすれば理解可能なのかなと思いました。

飯田 たとえばグルメマンガでは、物語の一要素として食がある。グルメ情報(うんちく)を与えるものであったり、土山しげるマンガみたいにフードファイトを軸にしたり。でも木下ゆうかにはそういう物語要素がない。さらに言えば、とくにテンションが高かったりトークがめっちゃおもろいとかでもない。純・大食い。

藤田 普通のグルメ番組とかだと、視聴者は「食べたい」と思って、実際に食べに行くような宣伝の要素があるのだけれど、この人はそうではないですよね。バーチャルな過食症というか。過食症的な衝動をバーチャルに満足させてくれる装置というか。そこに純粋に特化しているのはすごいですよね。

飯田 ちなみに韓国YouTuberにもモクバンっていう大食いジャンル(?)があるみたいで、ひとり暮らしで食事が淋しいひとが観ながら食べたりしているらしい。韓国でもかわいい女の子の大食いYouTuberとかがいるらしいです。

藤田 クリスマスに、オタクの人たちが、モニタに映したキャラとクリスマスケーキを食べるような感じですか。そういう、バーチャルに誰かと一緒にいる感覚を求める感覚は、わかる。テレビも「お茶の間」であり、そういう装置として発展してきたと、大見崇晴さんが『「テレビリアリティ」の時代』で分析されていたのを思い出します。

マック100個チャレンジが失敗しても平然と終わる謎


藤田 ビックリしたのは、再生数がかなり多いもので、代表作的な扱いをされているマックを100個食うチャレンジとか、普通に失敗してて、それでさらっと終わっちゃうんですよね。



ネタにもしない。どうなっているんだ!? 何を期待してこれは作られ、観られているんだ!? と、批評家的な興味は確かにそそられました。

飯田 食コンテンツには代表的なものとして「うまいものを食べたい」軸と「腹いっぱい食べたい」軸がある(ほかにも「めずらしいもの」とか「変わったもの」とかあるけど)。木下ゆうかは基本、たくさん食べる軸しかない。それもふしぎ。

藤田 グルメでもドラマでもない、純・大食い。しかも、どれを観ても結構それで、一本調子ですよね。トークやギャグやオチがあるわけでもない。これが人気が出るというのは……。『美味しんぼ』や『クッキングパパ』にはドラマがありますね。『ぐるない』とかも、豪華な、普段食えない高級料理を「食いたい」と思って観る感じですが、マックのハンバーガー100個は、なんか、拷問に近いというか……。

飯田 「狭い空間に、カメラに映るギリギリまで大量の何か」が日本のYouTuberのパターンのひとつだけど、たしかに大食いって見栄えはある。がしかし……という。やっぱわれわれは「残さず食べなさい」と言われて育って来たから、大量のものでも完食するのを見るとすっきりした気持ちになっているのか……。

ドラマ性なしのハードコア・フードポルノ


飯田 食事しない人間はほぼいないわけだから、万人に共通する関心ではある。やっぱり、観てると食欲を刺激されるのかな。擬似体験して満足を得るという意味では性欲を刺激するポルノと同じと思えばいいのかも。「飯テロ」ってよく言うけどむしろ「フードポルノ」だと。

藤田 うーん、ぼくにはこの動画群のポルノ性が実感としてわからない。木下さんに無理やり拷問で食べさせるサディズムを感じもしないし。……やっぱり、冒頭で言ったような、女性にとっての、ジャンクフードを腹いっぱい食べるという「禁断」を犯す悦びに結び付けないと理解できない。

飯田 エロコンテンツに食コンテンツをたとえると、高級料理ものがラグジュアリーな? ハーレクインロマンス的な? 別世界感を味わうエロものだとすると、木下ゆうかのは「ちょんの間」的な、あるいはストーリー性なしの「出会って5秒で合体」的な剥き出しの何か。

藤田 飯田さんは、実際に観ていてどう感じます?

飯田 すっきりしたきもちにはなりますよ。満腹のときには観たくないけど。
 食コンテンツって物語やうんちく、非日常の疑似体験、バトルが組み合わさって成立するものだという常識をぶっ壊している。そういう意味で革命的なんじゃないかと。「ただたくさん食べる」だけで観ちゃうひとがいっぱいいることを知らしめたのはすごいと思う。

藤田 そうですか、何か、コンプリートすることそのものの気持ちよさとか、いっぱい食べることそのものの気持ちよさもあるのかなぁ……。そもそも人類とは(でかい話になりますが)最近になるまで、「痩せている」ことを女性に求めるほど、栄養が過剰な状態になっていなかったわけですからね。飢餓の方が普通だったので、自分が腹いっぱい食べるのも、食べている人を見るのも、本能の部分に、抑制されているだけで何か悦びを感じるのかもしれませんね。

飯田 それはあると思います。脳の原始的な部分ではいまだに「たくさん食べたい」と思っているはずで、それを抑圧してふだんは生きているわけで。

藤田 人間の身体や遺伝子は、現在のような栄養状態が豊富な状態を前提としていないからこそ、ほうっておくと糖尿病になったりしちゃう。そこで意志的な節制を迫られているのが、現代のぼくらなわけですよね。その日常的な抑圧感からの解放感は、確かにあるのかもなぁ。
 贅沢品ではなくて比較的日常的に馴染みがあるもので埋め尽くす感じは、「帰れま10」と似ている部分はありますよね、満腹を超えて食べ続ける拷問感も。しかし、その苦しさをギャグに変えるわけでもない……なにか、成分が抽出されて純化しちゃったヤバイものの感じですね、これは。

飯田 そう、ドラマ性を排除しているのが異様で。サイボーグですよ。「もう食えない!」とか「やったー! 完食!」みたいな感情の波があんまりない。

藤田 ないですね。あれは不思議ですね……たとえばギャル曽根さんのような大食いタレントさんをテレビでお見かけするときは、もうちょっと周囲のリアクションとか、本人のリアクションもあった気がします。

大食いという行為を抽象化している





飯田 大食い界のジェフ・ミルズというかモーリッツ・フォン・オズワルドというかリッチー・ホウティンというかグレン・ブランカというか、ミニマルミュージック的なんですよ。食という原始的な欲求に関わるものなのに、どこか抽象化されているような感覚を覚える。

藤田 そうですね、抽象化されてますね(それは、彼女の背景が生活感のない白い感じだからかもですが)。音楽の比喩も、よくわかります。なんか、味の素が「うまみ成分」だけを抽出したような、進化を感じますね。ブライアン・イーノっぽいかも。『Music for』のシリーズのような……

飯田 フードファイターがメタラーみたいなものだとしたら、木下ゆうかはアンビエント。淡々と始まって、いつの間にかなくなって終わる。
 わりとリアクションが薄いのも、YouTuberのセオリーからも外れてるしね。だいたい叫んだりして笑いを取りに来るのが普通なのに、木下さんの場合、食べる前と食べてる最中と食べた後でテンションが変わらない。だから観ていても疲れないというのはあるかもしれない。「なんだ、大食いか」くらいに思っている人は、何本か……続けて1時間くらい観てもらうと、彼女の異様さがわかると思いますね。

藤田 まったりと穏やかに過ごしたい感じのときに見ると考えると、わざわざハンバーガー100個食うのがわからないんですよ。晩御飯をライブ中継しながらリスナーと交流する系のほうは、需要も大体想像がつく。

飯田 木下ゆうかは大食いタレントとしてテレビでも活動したあとでYouTuberになったわけですが、YouTubeに大食いのテレビ番組に出ていたものがアップされているのでそれを観ると、やっぱちょっと浮いてるんですよね。テレビってなにかと盛り上げようとするんだけど、彼女はあの調子なので。そういう意味では、YouTubeがなければ真価が発見されなかったかもしれない。大食い界のミニマルミュージック。

藤田 結構面白いものですね、YouTuber、ミニマルミュージックとか、クラウトロックとか、ジャンルが分岐する瞬間の萌芽みたいなのありますね。「メロディなくてもいいんじゃね」「リズムなくてもいいんじゃね」的な純化というか。
 こういう動画群が数十万、百万単位で再生されているということの謎を知るために、いくつか見てみてもいいかもしれませんね……ぼくもちょっと衝撃を受けました。『けいおん!』の劇場版が、イギリスに行ってちょっと演奏して帰ってくるので「特になにも起きないじゃないか!」って思ってましたけど(それで二時間の劇場アニメが興業的に成立する凄さを強調する意味も込めてですが)、食っているだけで二時間の劇場映画が成立する時代もくるかもですね……それを実験的とも芸術的とも思わず、普通に見に来る観客達……そういう未来もありえるかもと、頭を抱え……いや、可能性を垣間見ました。