第23週「わろてんか隊がゆく」第129回 3月6日(火)放送より。
脚本:吉田智子 演出:川野秀昭

129話はこんな話
昭和14年(1939年)、風太(濱田岳)は慰問団を結成、芸人たちを率いて上海へ向かう。その名は「わろてんか隊」。
漫才コンビ復活
新聞社から慰問団結成を誘われて、てん(葵わかな)は迷う。
風太やアサリ(前野朋也)は名誉欲に突き動かされて、慰問団をやる気になっている。
風太は、慰問団に一流芸人を集めるため、助っ人として、キース(大野拓朗)を呼び戻した。
慰問団のために、キース・アサリを復活させるという。さらには、歌子(枝元萌)・キチゾー(藤井隆)の夫婦漫才まで。
歌子を戦地につれていくのは・・・と迷う吉蔵だったが、歌子は行くと言う。
「うちはあんたとやったらどこへでも行く」
「かよわいおなごやけど 愛しいあんさんのためやったら 弾除けでもなんでもなったげまひょ」
基本的には、てんはじめ、トキ(徳永えり)、楓(岡本玲)ら女性陣は戦地に行くことに不安を抱えているなか、歌子だけが、迷わず夫に着いていく。これぞ愛。制服に身を包んだ歌子は凛々しかった。
再放送中の「花子とアン」の蓮子さま(仲間由紀恵)の駆け落ちのときにかかった美輪明宏の「愛の讃歌」、昼の帯ドラマ「越路吹雪物語」でも大事に歌われているエディット・ピアフのこの歌を、歌子に捧げたい。
モチーフになっている「わらわし隊」(128話のレビューもご参照ください)では、リリコとイチローのモチーフになったワカナとイチローが参加しているので、女性も戦地に行ったことを描くためには、歌子に出てきてもらうほかない。
でも、行く先は、上海。リリコたちが向かった土地だ。
キースのモチーフ・横山エンタツの日記
今年の1月20日、朝日新聞に、篠塚健一による
「日中戦争に派遣の漫才師、横山エンタツの日記写しを発見」という記事が出た。
決して楽ではなかった上海や南京の活動記録を克明に記してあり、日常とかけ離れた戦争の情景を見つめながら、それを漫才のネタに転化しようとする芸人の業のようなものまで感じさせる貴重な記録だ。
これが朝日新聞から発表されたのは、吉本と「わらわし隊」を共同で結成したのが朝日新聞だからだろう。
一部有料記事はこちら
ドラマでは細かい部分は描けないだろうから、こういった記録を見て補填したい。
「戦時演芸慰問団 「わらわし隊」の記録―芸人たちが見た日中戦争」 (中公文庫 早坂隆 )という本もある。
それはそうと、キース・大野拓朗の再登場によって、隼也(成田凌)不在のいま、イケメン枠がかろうじて埋まった。
「かろうじて」という言葉を使ったのは、大野拓朗自身は十分イケメンだけれど、キースというキャラがイケメンの役割を担っていないからであって、決して彼を否定しているわけではないのは、賢明なファンの方ならわかってくださると信じている。
迷うてんもついに決意
楓が、寄席のロビーでお客さんの笑い声を聞いている。
彼女に「戦争みたいなもんにかかわらないほうがいいちゃかと思います」と言われ、
てんが迷っていると、明日から入隊という坊主頭の青年が、落語の聞き納めに来た。
それによって、お国のためでなくて、戦地の軍人さんに笑ってもらうためなら・・・とてんは思い直す。
だが、栞は「国や軍部をあまり近づきすぎないほうがいい」「僕らが目指すのは大衆の娯楽だ」とあくまで、
慰問には賛成しかねる様子だ。
栞のモチーフのひとりであろう東宝の小林一三も、史実では、宝塚歌劇団を慰問に出している(それについて詳しく描いているドラマは大石静の「愛と青春の宝塚」)。
わろてんか隊結成
てんは、おトキに手伝ってもらいながら、隼也のこども(てんの孫)ためにおしめを縫う。
だが、それは「知り合いの若夫婦」とあくまで、隼也はいなかったことになっている。それがけじめなのだろう。そんなことをしながら、てんは、慰問団をやることを決意した。
おトキは、仕方ないと思いながらも眉をしかめたまま。やっぱり、戦地に行くのは心配なのだ。
こうして「わろてんか隊」が結成され、上海に向かった。
慰問団の名まえはさらっと「わろてんか隊」に決まっていた(背景に書かれていた)。名前をどうするか、ワンエピソードあるかと思ったのに(名前については、128話のレビューをご参照ください)。またまたずっこけた。
なにはともあれ、がんばれ、わろてんか隊。
(木俣冬)