次のオリンピックは東京に来ることになったけれど……
ベルリンオリンピック開幕の前日、1936年7月31日にはIOC総会が当地で開かれ、前年に延期となっていた1940年のオリンピック開催地を決める投票が行なわれた。ここで東京はヘルシンキを下してついに開催地に選ばれる。嘉納は招致に向けた最終スピーチで「オリンピックは開放されるべきである。すべての国、すべての国、すべての民族に。極東はいま、戦争と平和のはざまにある。だからこそ平和の祭典を東京で開催したい」と訴えていた。嘉納の傍らに立った副島道正(塚本晋也)も、ヨーロッパ各国の選手団に対して、シベリア鉄道の運賃の割引や遠征費の補助も約束する。
投票では、事前に日本支持を表明していたアメリカ代表のガーランド(ラズ・B)とブランデージ(ドン・ジョンソン)のほか、何と、満州事変以来、日本との関係が悪化していた中国代表の王正廷(ホァンシー)も投票したと判明する。それを知った嘉納から握手を求められた王は、応じるのをためらいながらも、「同じアジア人として私、東京を支持するしかなかった」「スポーツと政治関係ない」と言い切った。東京に投票したことが本国で知れれば、王はきっと非難されるだろう。そんなリスクを背負いつつ、スポーツに政治を介入させないという強い意志から王が東京を支持してくれたことを、嘉納は重く受け止めた。
>ヨーロッパ各国の選手団に対して、シベリア鉄道の運賃の割引や遠征費の補助も約束する。 ここまでしたのかと、驚きました。
>前畑は「私は好きになる。いまは好きじゃないけど、金メダルとったら好きになると思う」と力強く宣言するのだった いよいよ、前畑がんばれですね。