なんでもいいから勢いのいいものを読みたい人にお薦め『地棲魚』「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」
「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」第15回。デビュー作、あるいは既刊があっても1冊か2冊まで。そういう新鋭作家をこれからしばらく応援していきたい

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とにかくスリルだけは売るほどある小説だ。
狭い山道の後ろから巨大な岩が転がってくる感じ。ジョン・ウィリアムズ作曲のBGMが絶えず鳴り響いていて、一歩でも足を止めたら後ろから押しつぶされそうである。
嶺里俊介『地棲魚』はそんな小説だ。なんでもいいから勢いのいいものを読みたい、という気分の方にはぴったりくるに違いない。

どんどこどんどこ犠牲者が出るよ


冒頭には凄惨な事故の場面が描かれる。山道でバイク事故を起こした青年が、積み上げてあったパイプ椅子の足に体を貫かれて絶命するのだ。何者かによって故意に仕掛けられたものであることが判明する。モズのはやにえを思わせる残酷な死にざまである。
さらにしばらくすると、過去に起きた残酷な誘拐殺人事件の顛末が語られる。発生したのは1965年のことで、芹沢という富裕な家の子供が誘拐され、犯人から一千万円の身代金を要求する電話がかかってきたのである。その電話をかけてきたのが南房総にある芹沢家の別荘であることが判明したが、事件は無惨な結果を迎えてしまう。人質の子供は両手首を切り落とされた上で谷底に投げ落とされて殺され、犯人グループもその場で死ぬか、捕まって自殺するなど、全容は解明されずに終わったのだ。
と、いうような過去の事件が自分に何の関係があるかは、物語が始まった時点では主人公の片桐真治は知らない。二ヶ月前に両親が交通事故で亡くなった。一切の身よりがなくなったと思った片桐だったが、実は音信不通になっていた叔父の赤石信彦が南房総市にいるかもしれない、ということがわかるのである。その手がかりになったのが、片桐が九歳のときに家に送られてきた葉書で、文面は「ここにいる。いずれ改めて」とあるだけの簡潔なものだった。興味を覚えて片桐は、ほとんど会ったことがない叔父の家を訪ねることにするのである。その過程で、葉書の住所が上述の芹沢家誘拐事件の隠れ家に近いということがわかる。
再会した赤石信彦は、本当は標準語で話せるのにわざと南房総の濃い方言を使ったりして、山奥に引き籠っている変人らしい振る舞いを見せる。かなり奇妙なのだが、片桐にはあまり気にしている余裕がない。帰路、自動車内でムカデに襲われ、事故を起こしてしまうからだ。しかも意識を取り戻してみると自宅が放火されて焼失していた。留守番をしていた親友の貫井の妻と娘は落命、事故死ではなくて火事の前に殺されていたことが判明する。錯乱した貫井は片桐が保険目当てに起こした火事だと思いこみ、彼を犯人だと罵るのである。
おおう、息継ぎをする暇もないとはこのことだ。なんという負のエレクトリカルヒットパレード。殺人事件はこれだけではなく、貫井母子の後にも犠牲者がじゃんじゃん出る。しかも手口は延髄を太い錐のようなもので一突きするという何度の高いものであるらしい。五十代以上の読者はここで、藤枝梅安じゃん、と言う。必殺仕掛人じゃん。仕事人じゃん、飾り職人の秀じゃん、と言う人もいるかもしれない。まあ、好きな必殺でどうぞ。
なんでもいいから勢いのいいものを読みたい人にお薦め『地棲魚』「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」

うようよわらわら虫も出るよ


片桐が見舞われている事態は過去の事件に端を発している。一連の出来事の背後で暗躍している者がいるらしい、ということは小説の冒頭で暗示されている。片桐の母方、つまり赤石の家系には「矢の者」として覚醒する子供が生まれることがあり、その力は「的」を狩るためにあるらしい。片桐には物や人に触れるとその性質を瞬時を見抜くことができるという特殊な能力が備わっているのだが、どうやら「矢の者」に関わるものであるらしいのだ。この不思議な力の話がだんだん比重を増していき、終盤の対決場面へとつながっていく。
もう一つ出てくる不思議な要素は、奇妙な生物である。叔父の赤石信彦を訪ねていった片桐はその家の近くで、自分を刺そうとしたブユを土の上に叩き落とす。と、そのブユは異常な動きを見せるのである。到底虫の動きではなく「まるで穴に落ちた人間が這い出そうとしているかのよう」に後ろの二本脚で歩き出そうとするのだ。このブユだけではなく、挙動のおかしな生物がたくさん出てくる。むしむし大行進だ。近所のジオラマを蜘蛛の巣に織り上げるジョロウグモとか、ディズニー映画でも出てこなそうな奴がいっぱい登場する。すでにお察しのとおり、題名の『地棲魚』もこの生き物たちに関連している。
真相に近づくにつれてどんどこ犠牲者が増えて血みどろ度が増していく。気持ちの悪い生き物がいっぱい出てくる。そして過去に遡っての因果譚が語られる。『地棲魚』はそんな折り目正しい伝奇ホラーである。怪しいものが大好きな人は読まれると狂喜されると思う。
作者の嶺里俊介は2016年に、第19回日本ミステリー文学大賞新人賞を獲得した『星宿る虫』でデビューした作家で、本書が三冊目となるホラー分野の新鋭だ。常人には思いつかないような奇妙な創造物を文章にする力は高く評価したい。
なんでもいいから勢いのいいものを読みたい人にお薦め『地棲魚』「杉江松恋の新鋭作家さんいらっしゃい!」

もっとも注文をつけたい部分はあり、物語の序盤などで会話を使って設定をとにかく説明しようとするのはおやめになったほうがいいのではないか。この書評でも序盤の展開はだいぶ整理して書いたのだが、過去の回想場面に出てくる会話で重要な設定を説明するのは無理筋である。現在三十代半ばの主人公が、九歳のときに漏れ聞いた母と叔父の会話をそこまで克明に覚えているものだろうか。また、登場人物のブレにも困惑させられた箇所があった。特に名前は出さないが、場面によってあるキャラクターの見え方が違いすぎ、あれ、この人は主人公のことをどう思っていたんだっけ、と何度か戸惑うことになったのである。まだまだ粗削りの部分がある作家だと思う。
でもそんな欠点を補って余りあるのが、この勢いなのである。勢い、すごい。後ろから転がってくる巨石に轢き殺されそうになるくらい、すごい。主人公の周囲の人間が特に意味もなくぼこぼこ殺されていくが、この展開ならやむなし、と思わず納得してしまうぐらいすごい。豪速で走り回っているジェットコースターの敷地内に足を踏み入れたら、そりゃ跳ね飛ばされるわな。この勢いだけは大事にしてもらいたい。びゅんびゅん行け、びゅんびゅん。
(杉江松恋 タイトルデザイン/まつもとりえこ)

※おまけ動画「ポッケに小さな小説を」素敵な短篇を探す旅
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