人気YouTuberグループ・雷獣のメンバーである、喋ってなんぼ駒井さん。関西の名門の灘中学校・高校を卒業後、上京して東京大学へ。
さらには昨年までは吉本興業でマネージャーをしており、「M-1グランプリ2023&2024」の連覇を成し遂げた令和ロマンを担当していた
という驚きの経歴の持ち主です。

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 女子SPA!では、駒井さんに深掘りインタビューを実施。灘中高から東大に進学したエリート学生時代を経て、なぜ吉本興業に就職したのか? その半生について語ってもらいました。

「収入のほとんどはYouTube」フリー転身で決まった覚悟

――2025年7月よりフリーで活動中。肩書は「YouTuber」でよろしいのでしょうか?

喋ってなんぼ駒井さん(以下、駒井):はい。実はこれまで明言を避けていたんですけどね(笑)。フリーになってからは、動画の出演だけでなくライブ制作とか、あれもこれもやっていて……。

――お一人でお笑いライブに出られたりもしていたとか。

駒井:でも、芸人というほどでもなく。今の収入のほとんどはYouTube関連ですからね。この1年ずっと「YouTuber」を名乗ることがおこがましいような気がしていたのですが、そろそろ雷獣の一員という自覚は持つべきだな、と。この度、ようやく覚悟を決めました(笑)。

――雷獣は灘中高の卒業生によるYouTuberグループですが、駒井さんも同校の出身なのですよね。


駒井:そうです。僕は幼少期から、とにかく勉強ができたんですよ。でも、うちの両親はそんなに高学歴ではなく、むしろエリートからは縁遠い人たちなんです。ただ、子どもに対して“もの”を与えることが上手だったんでしょうね。僕が絵本や算数パズルのような、賢さに振ったものが好きだと気づいて、あえてそっちに寄せてくれたのだと思います。

「運動ダメなら勉強できないとヤバい」灘中受験の意外な動機

――駒井さん自身の興味が勉強方面に向いていたわけですね。

駒井:幼稚園は奈良カトリック幼稚園という、モンテッソーリ教育(子どもの生きる力を見つめる教育)を推奨しているところに通っていました。小学校も奈良県内のけっこう頭の良いところだったのですが、なんとなく周りと比べても「俺、賢い可能性があるぞ」と、ぼんやり思いながら生きていましたね。

――その頃から灘中に行くことを意識していたのですか?

駒井:小学校2年生の時に公開学力テストを受けた時に、すごく点数が良かったので、そこから舵を切って灘中受験のための勉強を始めました。僕は壊滅的に運動ができなかったんです。小学生で運動ダメって、ちょっと立場がヤバいじゃないですか。だったら勉強ができないとあかんやろ、と。勉強は“しなくちゃいけなくなった”に近かったかもしれませんね。


――なるほど。自分の長所を勉強に全振りしたのですね。

駒井:とはいえ、勉強だけというわけではなかったんです。僕は小さい頃からお笑いが好きで、「M-1グランプリ」も見ていました。そのうち自分もやってみたくなって、小3で初めて漫才をしてみたら、身内にではありますが、めちゃめちゃウケたんです。人前で喋ることが好きで、コミュニケーションを取るのもわりと上手。これに勉強が加われば、運動を捨ててもクラス内での人権は保てると思いました(笑)。

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0416_しゃべってなんぼ駒井さん②

灘から東大へ。「せっかくなら」で進学したエリート街道

――灘中に進学した後は、どんな学生生活だったのですか?

駒井:1、2年生の時は、本当に勉強だけしかしていなかったです。奈良県から兵庫県まで通っていたので、部活に夢中になることも、友達と遊ぶ機会もなかったですね。家の方面が一緒の子と行き帰りで喋ったりするくらいはありましたけど。

――勉強漬けの日々にストレスはなかったのですか?

駒井:そもそも小学校の時から県内で越境通学をしていたので、ずっと地元の友達がいなかったんですよ。
中学もその延長って感じだったので、特に不満はなかったです。でも、中3になって学校行事に参加するのが楽しくなってきて、高校に入ってからは文化祭実行委員をやったりしていました。中2までのコツコツ勉強した分の貯金を切り崩しつつ、成績は緩やかに下がっていって……そのまま高校3年まで逃げきった感じです(笑)。

――東大に行こうと決めたのは、いつ頃だったのですか?

駒井:高校に入ってからなので、周りの同級生に比べるとかなり遅かったはずです。昔から見本になるきょうだいがいなかったせいか、「数年後こうなる」とイメージするのがヘタだったんですよね。でも、自分の成績だったら、京大か東大は行けるかな~とは思っていました。実家はあまりお金があるとはいえなかったけど、僕は一人っ子だから、きっと親は出してくれるはず! それなら、せっかくなら東大に行っておこう! みたいな感覚でした。

――東大ではどんな勉強をしていたのですか?

駒井:1、2年は文科1類で法学系を学んでいました。これも特に確固たる目標があったわけではなくて、文系の中では賢いとされているところだし、せっかくなら行っておこう理論です(笑)。3年生からは教養学部を専攻していました。

「労働への嫌悪が…」東大生が吉本興業を選んだワケ

「令和ロマンの元担当」灘・東大卒のエリートが吉本興業を選んだ“意外な理由”「労働への嫌悪が…」
0416_しゃべってなんぼ駒井さん③
――卒業後は吉本興業に就職。なぜ吉本を選んだのでしょうか。


駒井:僕は「あの企業に行きたい」という希望が何もなかったんです。かといって大学院に行ってまでまだ勉強したいとも思えなかった。少人数の学部を選んでしまったがために周りからの情報も何もなくて……。辛うじて3年生の時にインターンというものがあることを知って、「ちょっと向いているかも」と思ったコンサルティング会社のインターンに行ってみたんですよ。でも、これがまったく面白くなかったんです。

――コンサルの仕事に興味が持てなかったのでしょうか?

駒井:というよりも、労働そのものへの嫌悪が……。たぶん向いてはいたけど、やりたくない。コンサルが嫌なのではなく、あの時は単純に働きたくなさすぎた!(笑)。

――本末転倒じゃないですか(笑)。

駒井:もしもその時に吉本のインターンに行っていたら、入社しなかったかもしれないです(笑)。

――それ以降はどんな就職活動をしたのですか?

駒井:僕はビールが好きだからビール業界に行こうと考えたのですが、好きな銘柄の会社以外は受けませんでした。鉄道も好きだけど、好きな鉄道会社しか……。
こういう感じの就活だったので、大人に甘さを見抜かれて、受けたところは全部落ちてしまいました(笑)。そんな中で後輩から「お笑い好きなら吉本を受けたらいいのでは?」と言われたんですよ。考えたこともなかったけど、それはアリだなと思ったんです。「東大から吉本って、普通ないやろ。面白いやん!」って。そういう意味では、吉本は第一志望だったんですよね。

――そして見事、吉本に入社となったわけですね。

駒井:ちなみに、僕が他社に落ちまくって後がなくなっていた時、吉本はまだ一次も始まってなかったんですよ。ちょうどコロナ禍でいろいろと混乱していたらしいです。第一志望の吉本だけ可能性があるという奇跡的な状態(笑)。なんとか無職で卒業するのを回避できました。

<取材・文&撮影/もちづき千代子>

【もちづき千代子】
フリーライター。
日大芸術学部放送学科卒業後、映像エディター・メーカー広報・WEBサイト編集長を経て、2015年よりフリーライターとして活動を開始。インコと白子と酎ハイをこよなく愛している。Twitter:@kyan__tama
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