※本稿は、松元崇『武器としての日本語思考』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■相手の身になっての表現がない韓国語
日韓歴史共同研究で韓国側の学者がとった、自国の歴史観に反する指摘には論拠を示すこともなく拒否するという姿勢は、「証拠より論」を重視する英語の議論です。その背景にあるのが、韓国語も日本語と違い英語と同じように「主語」を使うことだと考えられます。
言語学上、韓国語は日本語と同じ膠着語(こうちゃくご)という言語グループに属し、似ているところも多いのですが、日本語と違い「ウリ(私たち)」という主語を多く使います。そのように主語を使う韓国人は、西欧人と同様に自分を中心に世界を認識しています。
それは、韓国語に相手の身になっての表現がないというところに現れています。例えば、「させていただきます」という相手から見ての表現がありません。自分を中心に「してあげます」としか言わないのです。
これは、自然を相手にした場合も同様で「雨に降られた」というような表現がなく、「雨が降った」というのです。かつて『スカートの風』というベストセラーを著した韓国生まれの日本研究者、呉善花(オ・ソンファ)氏は、日本語の「雨に降られた」には「先生に叱られた」という表現に通じるものがあり、言外に自分が悪かったので仕方がないということを含んでいる。
■自分を相手よりも下に置くのは卑屈
「雨に降られた」のが自然現象で仕方がないというのと同じで、ある種の諦めを含んだ表現になっている。
韓国語で「悔しい」というのは、相手の行動によって自分が不利益を被った時の相手に対する感情で、自分のおろかな行動を自省する感情を表す言葉はないというのです。
ちなみに日本語の「させていただきます」という表現は、韓国人にはとうてい理解できないのだそうです。日本人の感覚では、それは自分を相手よりも下に置いた謙虚さを表す美しい言葉ですが、韓国人の感覚では自分を相手よりも下に置くというのはとても卑屈なことで、謙虚とは違うのです。
韓国人における謙虚さは、あくまでも上にいる人から下にいる人に恵みを施すもの。だから、呉善花氏によると戦前の歴史を反省する気持ちから日本人が「支援させていただきます」などというと、そんな卑屈な表現を使う「みっともない日本人が、かつて韓国を踏みにじった」ということに耐えられなくなるのだそうです。
「主語」を使い、自分を中心に世界を認識するとそうなるのでしょう。
■漢字が自国語化しなかった朝鮮半島
朝鮮半島における文字の歴史は、日本と同じく漢字の受容から始まりました。そもそも日本に漢字を伝えたのは朝鮮半島の人々でした。ただし、日本のように漢字を自国語化することはありませんでした。
7世紀末の新羅の時代に「吏読(りとう)」という朝鮮半島の人々の言葉を表記する方法が考案されたのですが、語彙も語順も基本的に漢文で、合間に助詞や語尾を表す漢字を送り仮名のように書き添えただけのもので、お経を読みやすくした漢文の一種のようなものでした。
高麗の時代には、「吏読」をなるべく口語に近づけて日本の漢字かな交じり文に近いものにした「郷歌(ヒャンガ)」というものが生まれましたが、郷歌は高麗時代の文献(11~13世紀)に25首残っているだけで、その後途絶えてしまいました。
そのような朝鮮半島における文字の歴史は、日本において初期の万葉仮名が漢文の一変種のようなものだったのが、やがて倭語の単語を意訳した漢字を倭語の語順に従って並べ、語彙も語順も日本語にして日本語化し多様な文学作品を生んでいったのとは大きく異なっています。
漢字は、一般の人々が話す言語として工夫されることはなく、中国の漢文のまま支配層が公用文や文学に用いる唯一の文字として利用され続けたのです。
■日本語にならっての韓国語の近代語化
では、15世紀に創られたハングルとは何だったのでしょうか。実は、ハングルは朝鮮半島の一般の人々が話す言葉として創り出されたものではありませんでした。ハングルは、1443年に李朝第4代の世宗(セジョン)がモンゴルのパクパ文字を基礎として創り出したもので、訓民正音と言われましたが、訓民正音とは「民に正しい音を訓(おし)える」という意味です。
当時、人間の発する音声は単なる音ではなく万物の真理が込められていると考えられていたことから、儒教を国教とした李朝が、漢字が読めない庶民にも儒教の漢籍を正しく発音できるようにしようとしたものだったのです。
文字を知らない庶民にも漢籍を正しく発音できるようにということから、訓民正音は、単音文字の字形を組み合わせて音節文字に仕立て上げた極めて合理的な表音文字でしたが、なにせ発音だけのための文字だったのです。
そのような訓民正音は、支配層からは卑俗な文字(諺文(おんもん))として忌避されました。支配層には、中国の漢字以外の文字を使うことは蛮夷の仕業だとの華夷意識があったのです。そのために、日常のコミュニケーションで幅広く用いられるようにはなりませんでした。
ただ、そんな中でも訓民正音で日記をつけたり手紙を出したりする女性が現れ、1000種以上の訓民正音文学が生まれました。
そんな訓民正音が朝鮮半島で本格的に用いられるようになったのは、明治19年(1886年)に、福沢諭吉の発案により日本で鋳造したハングル活字を用いた『漢城周報』が発行されるようになってからでした。
それ以降、漢字ハングル交じりの文章が普通に用いられるようになり、日韓併合後には政府による奨励策を受けて漢字ハングル交じりの韓国語の文学が急速に発展していきました。
同時に起こったのが、日本語にならっての韓国語の近代語化でした。西欧語の影響を受けて言文一致体となった日本語の語彙や構文を大胆に取り入れて、韓国語が近代語化していったのです。
■全面ハングル化による歴史との断絶
そのように、もっぱら漢字という世界から漢字ハングル交じりに一変した韓国語は、戦後の全面ハングル化でさらに一変することになります。
北朝鮮は1948年の建国の際に漢字を廃止して全面ハングル化し、韓国も1970年に漢字廃止を宣言して漢字教育を全廃しました。以後、しだいに新聞、雑誌、書物から漢字が消え去り、それまで漢字に支えられていた朝鮮半島の文字文化が忘れられていくことになりました。
画家で文人でもあった呉之湖(オ・ジホ)氏は、大学を出ても「自分の国の言葉で書かれた(昔の)新聞すらまともに読めない者など、人類の歴史上どこにも探すことができない。(中略)我が民族文化は、漢字と漢字語を基盤につくられて発展してきた。漢字を廃止することによって、数千年間続いてきた固有文化は、その伝統が断絶する」といいました。
さすがに、その弊害を憂慮した韓国政府が1999年に漢字再導入政策にかじを切りましたが、一度失われた漢字文化の復活は起こりませんでした。
韓国の国語学者朴光敏氏がソウルのある高校の3年生50名を調査したところ、両親の名前を漢字で書ける生徒は20名にすぎませんでした。
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松元 崇(まつもと・たかし)
元内閣府事務次官
1952年東京都生まれ。国家公務員共済組合連合会(KKR)理事長。東京大学法学部卒業後、大蔵省(現財務省)に入省。スタンフォード大学MBA。財務省主計局次長などを経て、2012年に内閣府事務次官。著書に『大恐慌を駆け抜けた男 高橋是清』など。
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(元内閣府事務次官 松元 崇)

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