※本稿は、古宮昇『自分を責めない生き方』(総合法令出版)の一部を抜粋・再編集したものです。
■罪悪感が自分と他人を傷つける
「人間はしたいようにさせたら自分勝手になり、人を傷つけたり罪を犯したりする。だから人間を罪悪感で抑え付けなければならない」
これは世間一般に共有されている信念です。
つまり、ほとんどの人が、人間を罪悪感で抑え付け、縛り付けることが必要だと信じています。
しかしそれは幻想です。
人は、罪悪感から解放されて自分らしくのびのび生きるとき、自分の中にある愛に開かれますから、人を傷つけたくなったり、人を不幸にしてでもほしいものを奪おうとしたりは、しなくなります。
幸せで心が満たされた子どもは、他の子どもをいじめたりはしません。不幸な子どもが人をいじめるのです。
私のカウンセラーとしての経験では、罪悪感は心の痛み、苦しみのとても大きな原因の一つであり、自分と人を傷つける原因でもあります。
一般に信じられていることとは逆で、罪悪感の大きい人ほど人を傷つける行動をしてしまうものです。
罪悪感が生まれる土壌の一つに、道徳や倫理的な「べき」があります。
世間で「正しいこと」として信じられている規範のことです。
親も学校も社会もそれを教えます。
しかし道徳的・倫理的な「べき」は、人間の本質に反していますから、人はそれに背き続けます。そしてそんな不可能な規範を自分自身に課すとき、自己否定が生まれ、自己肯定感が低下し、生きることが重苦しく不自由で喜びの少ないものになります。
そのことについて考えていきましょう。
■「べき」は人間の本質に反している
多くの人が、道徳的・倫理的な「べき」という刀を振りかざして人を糾弾します。
ところが、そうすればするほどその刀は自分にも向き、「べき」に合わないことをした自分を裁くようになります。そうして罪悪感や劣等感を抱きます。他者否定が自己否定につながるのです。
どういうことかを詳しくお伝えします。
世間の道徳的・倫理的な「べき」は、人間の本質に反しています。
だから人は「べき」を破り続けます。
多くの人が正しいと見なしている道徳的・倫理的な「べき」は、数限りなくあると思いますが、その例として次の三つについて考えてみましょう。
「嘘をついてはいけない」
「いつも人に優しくしなければならない」
「親は子どもを無条件に愛するべきだ」
「嘘をついてはいけない」について
私たちは誰でも、自分にとって本音で大切なものがあります。
例えば、子育て、家族、仕事、資産形成、ファッション、ゴルフ、友達と楽しい時間を過ごすこと、健康、心理学を学ぶこと、人を助けること、住み心地が良く美しいインテリアを整えること、歌を歌うこと、料理をすること、ペットなど人によってさまざまなものがあります。
そして、人それぞれ、本音で一番目に大切なこと、二番目に大切なこと、三番目に大切なこと……と、大切なことの優先順位があり、それは人によって違います。
■「本音」がマイナスになることもある
もし、私たちが自分にとって本音で大切なことを失ったり、それを壊されたり奪われたりしたら、ひどく落ち込んだり激怒したりします。
例えば、子育てが本音で大切な女性が子どもを失ったらひどく悲しみますし、心理学を学ぶことが本音で大切な人が、配偶者から心理学を学ぶ機会を奪われたら怒ります。
同様に、もし私たちが自分にとって本音で大切なことを大切にすることなく生きたら、そんな人生には価値を感じないでしょう。
生きることの意味も喜びもなくなり、そうして生きている自分のことも無価値に感じて、自己肯定感が低くなります。
例えば歌を歌うことが本音で大切な人が、「歌では生活できないから」と歌うことを自分に許さず、したくもない事務仕事を自分に強要して生きたら、生きる意味も充実感も感じられません。そうして生きている自分が好きだとは感じられないでしょう。
私たちは、自分にとって本音で大切なことを得るため、もしくは失わないために、最善だと判断したことを行います。
嘘をつかず、本当のことを言うことが、自分にとって本音で大切なことにプラスだと判断したときには、本当のことを言います。しかし、本当のことを言うと、自分にとって本音で大切なことにマイナスになると判断したときには、何かを隠したり、事実ではないことを言ったりします。
あなたも私も、他の人たちも皆そうして生きてきたし、これからもそうして生きていきます。
■横領で会社をクビになった夫の例
一例を挙げます。
美紗さん(仮名)という女性のご主人は、会社のお金を横領したためクビになりました。
美紗さんはそんなことをしたご主人にひどく腹を立て、彼を軽蔑しています。
美紗さんのご主人が勤めていた会社は、ワンマン社長が社員にしばしば無理を押し付け、勤務時間も非常に長い会社でした。ご主人はその会社で働くうちにストレスがたまり、体調も優れませんでした。
彼は、その会社を横領でクビになった後、自営業を立ち上げ、自分の働きを通して世の中に貢献していると感じながら働くことができています。
そのご主人にとって本音で大切なことは、健康、および彼のやり方で人々に貢献することでした。また、家族も大切でした。
一方、美紗さんにとって本音で大切なことは、二人の娘さんの子育てとバイオリンでした。
ですから彼女は、お金を子どもの教育費とバイオリンのレッスンに優先的に使っていました。
彼女が自分にとって大切なそれらのことを続けるには、ご主人の収入が必要でした。
ご主人にはそれが分かっていたので、会社を辞めたいと美紗さんに言うと絶対に許してくれないと思い、それを押して自己主張することができなかったのです。
彼にとっては家族も大切だったので、夫婦仲も険悪にはしたくありませんでした。
■人が「不正」を犯すとき
つまりご主人は、美紗さんに彼の気持ちを正直に話しても、彼にとって大切なこと(健康、および彼のやり方で人々に貢献すること)を尊重してくれるとは思えなかったのです。
そんな状況の彼が、自分にとって本音で大切なことを得るには、会社のお金を横領するしかないと思えたのです。
ご主人を責め軽蔑している美紗さんも、もし、仮に彼女にとって本音で大切な娘さんたちを奪われないためにお金を横領することが必要になったら、横領するでしょう。
話を戻します。
私たちは誰もが、自分にとって本音で大切なことを得るために最善だと判断した行動をします。
嘘をつく(情報の一部を隠したり、誤った情報を伝えたり、会社のお金を横領したりする)ことが、そのために必要だと判断したら、嘘をつきます。
「嘘をついてはいけない」というのは、その私たちの本質に反する教えなのです。
そう教える人ですら、嘘をつくことが自分にとって本音で大切な物を守るために必要なときには嘘をついたし、今後もそういう状況になれば嘘をつくでしょう。
■「いつも人に優しい人」など存在しない
「人に優しくしなければならない」について
私たちは、自分にとって本音で大切なものを与えてくれる人や、本音で大切なものを得る助けをしてくれる人には心を開き、接近し、優しくします。
反対に、自分にとって大切なものを奪ったり壊したりする人には心を閉ざし、遠ざけ、厳しくしたり冷たくしたりします。
それが人間の本質です。
聖人のようにいわれているマザー・テレサを例として考えてみましょう。
仮に私が彼女の存命中に、彼女が建てた孤児院にブルドーザーで乗り込んでその施設を破壊して回ったら、マザー・テレサは彼女にできることは何でもしてやめさせようとしたでしょう。
私に優しくすれば私が破壊行為をやめるかもしれないと思ったら私に優しくしたでしょうが、私を攻撃しなければやめさせることができなければ、攻撃したでしょう。
いつも人に優しい人など存在しません。
「人に優しくしなければならない」と教える人も、自分にとって本音で大切なものを得たり守ったりするために誰かに厳しくしたり冷たくしたりすることが必要だと判断したときにはそうしてきたし、これからもそうします。
■「期待し、落胆し、腹を立て」が日常の姿
「親は子どもを無条件に愛するべきだ」について
親の愛は無条件だしそうあるべきだ、と多くの人が信じているでしょう。
「父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し」という言葉も、その考えの反映だろうと思います。
しかし実際には、親の愛情は「無条件」とはかけ離れています。
どの親も、子どもに対して「ああしてほしい、こうしてほしい」と要求がましく思うし、そうしてくれないときには腹を立てたり落胆したりします。
親の心には、そのままの子どもを大切に思う無条件の愛も存在しますが、日常において「無条件」なんてとんでもないのです。
では、自分の子どもを虐待する親についてはどうでしょうか。
そのことに関して私はこんな経験をしました。
それはある春の日のことでした。
近所の小川を母ガモがかわいい子ガモたちを率いて、穏やかな水面を仲良くスイスイ泳いでいました。とてものどかな光景で、人々が川辺からその光景を眺めています。
私も川辺に立ってそれを見ていました。
隣に年配のご夫婦がいました。旦那さんが奥さんに、「子どもを虐待したり育児放棄をしたりする親にこれを見せてやりたい! このカモの親子から学ばないとだめだ」と、言い、奥さんも「そうよねぇ」と答え、二人は去って行きました。
このように、世間の多くの人が、子どもを虐待したり育児放棄をしたりする親を責めます。子どものつらさを思うとき、責めたくなるのはもっともなことでしょう。
しかし、おそらくほとんどの親が、自分の子どもに対して虐待だと見なされても仕方のない行為を一度ならずしたことがあると思います。
カッとなって思わず叩いたり、子どもの持っているおもちゃなどを乱暴に取り上げて、子どもが痛みとショックで泣き出したり、子どもを侮辱するような言葉を投げつけたりしています。
人には言えなくても、そのような行為をほとんどの親は何度もしたことがあるでしょう。子どもをいつも無条件で愛することのできる親は、いないのです。
■こうして「自己否定」はエンドレスになる
ここまで、道徳的・倫理的な「べき」として三つの例を挙げ、それらが人間の本質に反しているということを見てきました。
ここで検討した三つの例に限らず、人間がつくりだした道徳的・倫理的な「べき」は人間の本質に反しています。
ですから人間はそれに背き続けます。
「べき」に合わないことをしたから、ということで自分と他人を責めると、自己否定も他者否定もエンドレスになります。
ほとんどの人がそうして生きています。
ここまでお伝えしたことへの反論として、「倫理や道徳で人を裁かなければ人は自分勝手になり、もっと悪いことをするようになる」というものがあるでしょう。
多くの人々が「間違った行動は倫理や道徳で責めてコントロールしなければならない」と信じているのです。
例えば学校は、その信念に基づいて運営されている組織として最たるものの一つでしょう。
次に、その信念について詳しく見てみましょう。
■道徳観の強い人ほど孤立する
「人を罪悪感で縛ることが必要だ」と信じる人ほど、いわゆる「悪いこと」をした人を激しく非難します。
あからさまに非難することもあれば、心の中で密かに非難することもあるでしょう。
つまり、そういうあり方が強い人ほど、他人に対して批判的になりがちで、共感的、理解的になることが難しいのです。
ですから孤立しがちです。
また、そういう人は、自分自身に対しても「ああでなければいけない」「こうでなければならない」と倫理や道徳を課しており、不自由です。
しかも道徳律は、人間の本質に反していますから、自分もそれを破ったことが何度もあると無意識で知っています。ですから、道徳観の強い人ほど無意識の罪悪感をもっています。
しかしそれと同時に、正義感の強い自分は道徳的に優れている、という隠れた優越感ももっています。
そしてその優越感は、多くの人々への隠れた軽蔑心を生んでいます。
私たちは軽蔑している人に向けて、心のつながりを感じることはできません。道徳心は隠れた軽蔑心を生み、それが孤独を生むのです。
このように、道徳で人を裁く人ほど、他人への軽蔑心と優越感、および自分自身への無意識の罪悪感があります。
■「他人に攻撃的な人」の本質
罪悪感の表れの一つとして、親や兄弟姉妹、配偶者など大切な人に愛と感謝を伝えることが恥ずかしくてできない、という気持ちがあります。
その気持ちはほとんどの人にあるでしょう。
多くの場合、大切な人への愛を止めてしまうのは、密かな罪悪感です。
例えば親に対して、普段は気付いていなくても「私はあのとき親にひどいことを言ってしまった」、「ぼくは良い子じゃなかった」、「親の期待に応えられず、がっかりさせてしまった」など隠れた罪悪感があるほど、申し訳なさ、自信のなさが先に立ちます。
すると、親の目を見て愛を伝え、「ありがとう」を伝えることに引け目を感じてしまいます。
私たちの本質は愛です。その愛を閉ざすほど、真の自分自身から離れて生きることになります。そんな自分を認めることはできませんし、喜びの少ない寂しい人生になります。
先ほどお伝えしたように、倫理観や道徳観が強く、他人に対して「悪いことをした」とか「けしからん」「情けない」等と激しく非難する人ほど、無意識のうちに自分のことも自らの道徳観の刀で裁いています。
つまり、他人に対して攻撃的な人ほど、無意識のうちに自分を裁き、罪悪感があるのです。
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古宮 昇(こみや・のぼる)
心理カウンセラー
心理学博士。公認心理師・臨床心理士。米国州立ミズーリ大学コロンビア校より心理学博士号(PhD.)を取得。米国にて、州立児童相談所、精神科病棟などで心理カウンセラーとして勤務し、州立ミズーリ大学心理学部で教鞭を執る。日本に帰国後は、心療内科医院および大学の学生カウンセリング・ルームのカウンセラー、大阪経済大学人間科学部教授を経て、現在は神戸にてカウンセリング・ルーム輝代表。
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(心理カウンセラー 古宮 昇)

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