9割の中学生が宿題をAIに頼る現代、AI学習で気を付けるべきことは何か。札幌国際大学の安井政樹准教授は「『勉強』と『学習』の違いを知らないと、AIはどうしても『勉強から逃げるための道具』となってしまう。
AIを頼ることは悪いことでは無いが、考えないクセをつけるのは避けた方が良い」という――。
※本稿は、安井政樹『「考える力」と「好奇心」をぐんぐん伸ばす AI×学び入門』(日経BP)の一部を再編集したものです。
■小学生の8割が授業以外でもAIを使っている
2025年の終わり頃、ある公立の小学校で出前授業を受け持った際、私は子どもたちに向かってこんな質問をしました。
「学校の授業以外で、AIを使っている人はいますか?」
どれくらいの子が手を挙げたと思いますか。――結果は、クラスの8割近くでした。
当時はまだ、「ChatGPTに有名人のことを聞いたら全然違う情報が出てきた」とか、「宿題を生成AIにやらせる子が出てしまうのではないか」ということがテレビの情報番組などで話題になっていた頃です。実はこのとき、私自身は「クラスの半分が使っていれば多いほうかな」と思っていました。ところが、ふたを開けてみると8割近くの子が平然と、「使っている」と手を挙げたのです。
生成AIを宿題に使っていると聞いて、皆さんはどのような使い方を想像するでしょうか。ある子は「算数の宿題に使ったことがある」と答えました。「どうだった?」と尋ねたところ「合ってた……。でももう使わないかな……」と後ろめたそうでしたが、正直に答えてくれました。

この子は、答えを聞いて、それを書き写して提出してしまったことをきっと後悔していたのだと思います。そう思えた子は、ある意味で安心です。しかし問題は、「めっちゃいい!」「これで楽できる! ラッキー!」と思った子です。
AIで答えに早くたどり着けるようになり、味をしめて楽を続けてしまうかもしれません。そうすると、この子の学力はどうなるでしょうか。ここに、AI利用の影が存在するのです。
 こう聞くと、大人はすぐに「宿題にはAI禁止!」と言いたくなりますが、それは間違いです。やり方を聞いたり、答え合わせをしたり、間違っていたら解説してもらったり……と24時間営業の家庭教師のように活用すれば、むしろ学力は上がるのです。
■中学生の9割が「宿題にAIを使っている」
中学生になると、さらに状況は進みます。ある中学校では同じ質問に対して、実に9割の生徒が「宿題にAIを使っている」と答えました。
なかには、AIに「チャッピー」などの愛称をつけて呼び、「それ、チャッピーに聞いてみようぜ」「チャッピーにも相談してみなよ」と、まるで友だちのように何でも打ち明ける子もいます。
AIに宿題の問題文を読み込ませて、答えを聞けば、すぐに答えが返ってきます。
「早く終わらせたいのなら、AIに聞くのが最も効率的」というわけです。
しかし、宿題は「消化するもの」ではありません。「自分の学びを振り返り、次につなげる営み」であるはずです。
現状ではその意味を丁寧に伝えないままに課してしまっている宿題の意味を改めて見直すことこそが、AIを活用して学びの本質に近づいていくためには不可欠なのです。
■「勉強」と「学習」の決定的な違い
私はよく、保護者の方に「勉強と学習は違うんですよ」とお話しします。
「勉強」という言葉は、させられるもの、少し嫌なものというイメージが強くありませんか。家電量販店で店員さんに「もうちょっと勉強してよ」と言うとき、それは「もっと知識を増やして」という意味ではなく、「もっと値段を安くしてよ」という意味ですよね。言葉の成り立ちから見ても、「勉」は「勉(つと)める」、「強」は「強(し)いる」と書きます。つまり「勉強」とは、「気が進まないことを、勉めて強いる」ニュアンスを含んだ言葉なのです。
一方で、「学習」の「学ぶ」という言葉の語源は、「まねぶ(真似ぶ)」だといわれています。「真似をする」行為の根っこには、必ず「憧(あこが)れ」があります。「お母さんみたいに料理ができるようになりたい」から、おままごとで真似をする。
「憧れの選手みたいに活躍したい」から、フォームを真似する。「歌の上手なアーティストみたいになりたい」から、歌い方や表情を真似してみる。
「あんなふうになりたい」「これができるようになりたい」という前向きな気持ちがあるからこそ、人は自分から学ぼうとします。これこそが学びの原点です。
『学問のすすめ』で知られる福沢諭吉は、「天は人の上に人を造らず」という有名な言葉のほかに、「お湯を沸わかすことも学問だ」と説いています。自分が温かい飲みものを飲みたい、自分で料理をしたいと思ったとき、それを実現するための力をつける。
これらすべてが立派な「学習」だというわけです。
自分がやりたいこと、自分が高めたいことに向かって、自分のために取り組む。それが「学習」です。
■AIを「勉強から逃げるための道具」にしないために
今の子どもたちは、どうしても「タイパ(タイムパフォーマンス)」や「コスパ(コストパフォーマンス)」に敏感です。「そんなことを覚えても意味ないよ」「テストに出ないのに、なんでやるの?」という言葉を、無意識のうちに浴びていることも少なくありません。
なりたい姿や憧れがまだ見つかっていない子にとって、「とりあえず受験勉強を頑張りなさい」と言われても、なかなかエンジンはかかりません。

「この仕事に就きたい」

 ↓

「そのためには、この学校に行く必要がある」

 ↓

「だから、今この勉強をする意味がある」
この流れが見えたとき、子どもたちは「自分のために学びたい」というスイッチが入りやすくなります。AI時代の子どもたちにとって大切なのは、「勉強させられている」状態から、「自分の夢や憧れのために学習したい」状態へと、少しずつでもシフトしていくことです。この価値観の転換がないままAIを渡してしまうと、AIはどうしても「勉強から逃げるための道具」になってしまうのです。
■避けるべきは「考えないクセ」をつけてしまうこと
AIは「便利な道具」であると同時に「思考の過程をパス(ショートカット)できる道具」でもあります。
考える前に答えが出てしまう。考えなくても、それなりの形が整ってしまう。文章も、要約も、アイデアも、かなりの完成度で返ってきます。便利であることは、間違いありません。
ここで問題となるのは、「AIを使うと考えなくなる」という、目の前に起こる現象だけの話ではない、という点です。実は、考えなくなることが習慣化した先に、もっと恐ろしい話が待っています。
■認知オフロードという、人間の「賢い」やり方
皆さんは、「認知オフロード(cognitive offloading)」という言葉を聞いたことがありますか?認知オフロードとは、本来は頭の中で処理するはずの記憶や注意、計画を、メモやリマインダー、道具、環境に預けることで、認知の負荷を下げる行為を指します。
私たちは今、かつてないほどの情報に囲まれて生きています。
覚えなければならないことは多く、やるべきことは同時並行で増え続けています。
スケジュールひとつをとってもそうです。仕事、家庭、学校、地域の予定。すべてを頭の中だけで管理し続けるのは、正直かなり厳しい時代です。だからこそ、
・カレンダーに予定をれる

・スマホのアラームを設定する

・道に迷わないように地図を見る
をはじめとする道具を賢く使うことは必須です。ここで紹介したカレンダーやアラーム、地図の活用はすべて、認知オフロードです。
認知オフロード自体は、決して悪いものではありません。むしろ、人間は昔から、道具を使って考える負荷を減らし、その分、別のことに頭を使ってきました。
紙にメモをすることも、計算機を使うことも、広い意味では認知オフロードです。
翻訳ソフトを使って、海外の人とコミュニケーションをとったり、外国でGoogleレンズを使ってショッピングや観光をしたりするのも、認知オフロードといえます。
「外国語を学び、身につける」という部分をショートカットしているというわけです。
こうしたアプリのおかげで、私も海外に行って楽しんだり学んだりできるようになりました。
そして今は、直接会話がしたい、ちょっとだけ語学を学んでみようかなという気持ちになっています。
外国語がわからなくても海外に行けて、海外に行ったことで外国語を学びたくなる。
こういうことがあるという点でも、認知オフロードはやはりいい方法だといえるでしょう。
■認知オフロードは合理的で賢い戦略だが…
研究の世界でも、認知オフロードは合理的で賢い戦略として扱われています。
特に、「『あとでやること』を外に出す」「忘れないように仕組みをつくる」といった使い方は、失敗を減らし、生活を安定させます。「覚えておかなくてはいけない」状態から解放されることで、「考えること」にエネルギーを使えるようになります。
認知オフロードの仕組みを利用することで、
・時間が空く

・負荷が下がる

・余裕が生まれる
という効果があるのです。
認知オフロードは、考える力を守るための工夫ともいえ、その意味で、考える力を別の場面で発揮するための手段だといえるでしょう。
この点は、AIを認知オフロードに用いる場合でも同様です。
ただし、問題はここからです。オフロードが「自動化」し、考える前に自動的に任せる状態になると何が起きるでしょうか。
認知オフロードは、自分で選んで使っているうちは、戦略です。しかし、それが無意識で自動的なものになると、話が変わってきます。
たとえば、GPSを思い浮かべてみてください。
知らない土地でも迷わずに行ける、便利な道具です。ところが、つねにその指示に従うだけの使い方を続けていると、自分のなかに「地図」が残りにくくなる、という研究結果もあります。
「どうせ調べれば出てくる」「聞けばすぐ答えが返ってくる」という感覚が先に立つと、考えるというステップが、まるごと抜け落ちてしまうことがあります。
つまり、外(AI)に預け続けた結果、内側(自分)が育ちにくくなるという可能性が出てくるのです。
「AIが子どもの考える力を奪う」が意味することここで注目したいのが、「認知負債(cognitive debt)」という考え方です。これは近年、MIT Media Labを中心とした研究で広まった言葉で、AIなどに思考を外注することで、その場ではラクになる一方、自分で思考する経験が蓄積されにくく、自分で考える力への“返済”が後々必要になる可能性を示しています。
借金と同じで、少し借りる分には便利です。しかし、返済のことを考えずに借り続けると、いつの間にか重荷になります。AIも同様で、考える前に使っていたり、考えない手段として使い続けていると、
「考えるのは疲れる」

「自分でやるのはコスパが悪い」
という感覚が、知らないうちに育ってしまうかもしれません。
この「考えなくなるかもしれない」という懸念は、感覚的な話だけではありません。
MIT Media Labの研究者らによる査読前の実験研究では、文章を書く課題において、
・AIを使って書いた場合

・検索エンジンを使って書いた場合

・何も使わずに自力で書いた場合
を比較しています。
その結果、実験条件下では、AIを使用したグループにおいて、
・自己の文章への所有感が相対的に低い傾向

・思考プロセスの再生が難しい傾向

・認知的関与の指標が低い傾向
が観察されたと報告されています。
もちろん、この研究は査読前の小規模実験であり、まだ発展途上です。AI使用が長期的に思考力を低下させると断定するものではありません。
ただ重要なのは、「AIを使うと頭が悪くなる」という単純な結論ではなく、考える前にAIを使うクセがついてしまうと、そもそも考えることから遠ざかってしまうかもしれない可能性があるということなのです。

(安井 政樹)
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