NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」で浅井長政の居城・小谷城(滋賀県長浜市)が落城する様子が描かれた。信長を裏切り、追い詰められた「悲劇の武将」として描かれることが多い長政だが、史実はどうだったのか。
ルポライターの昼間たかしさんは「浅井氏の滅亡は長政の判断ミスだけではなく、父・久政の代から積み重なった構造的な問題にある」という――。
■浅井氏は、どこでしくじったのか
NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」。第17話ではついに小谷城が落城した。2020年放送の「麒麟がくる」以来、6年ぶりの落城である。
もっとも「麒麟がくる」のときは、ナレーションだけで落城していたから、まともに描かれる落城は本当に久しぶり。しかも同じ回に三方ヶ原の戦いでの家康の敗走まで盛り込まれるという、見せ場の大盤振る舞いだった。
さて、今回のドラマでは、木下小一郎(仲野太賀)と木下藤吉郎(池松壮亮)が、なんとかお市(宮崎あおい)を救おうとする展開に多くの時間が割かれた。そりゃあ「宮崎あおいを助けろ」ってことになったら、筆者だって信長(小栗旬)に命じられる前に勝手に動き出す。視聴者の9割は同意してくれるはずだ。
残念ながら、今回も滅亡してしまった浅井氏だが、いったいどこでしくじってしまったのか。ドラマでは浅井長政(中島歩)と父・久政(榎木孝明)それぞれの苦悩も丁寧に描かれていたが、やはり気になるのは「どうして、こうなった」のほうである。
もちろん、結論ははっきりしている。
信長を裏切ったのがまずかった。これは誰でもわかる。でも、考えてみれば浅井氏は三代にわたって戦国の世を生き延びてきた家である。「今なら、後ろから攻めかかれば信長も袋の鼠だ」と何の考えもなしに裏切ったわけではない。そこには、ちゃんと事情がある。
しかも、その事情を遡っていくと、長政の判断ミスというより、もっと前の段階で浅井家は詰んでいたことが見えてくる。
■低評価の父・久政、『浅井三代記』の容赦ない記述
そもそも、浅井氏というのは京極氏配下の国人だったのが、戦国の世で地域の盟主となっていったものである。つまり、絶対的な権力をもっているわけでもないし、都合があえばより強い勢力の配下となって、仲間共々生き残る方向へ皆を導くのが役割であったといえる。
そうした一族にあって、久政は従来からは信長への裏切りを主導して、浅井氏を滅亡に導いた馬鹿親父のような扱いをされてきた。これは、主として『浅井三代記』に寄るところが多い。この史料の基本スタンスは、久政への容赦ないディスりである。
これによれば、久政が家督を継いだのは完全なタナボタであった。
本来、家督を継ぐべきは、知勇兼備の嫡子・新三郎高政であった。彼は美濃との戦いでも連戦連勝し、亮政も深く信頼を寄せていたが、早世してしまう。そのため、次男の新九郎(久政)が周囲からの強い懇願に押される形で跡継ぎとなったとされている。
『浅井三代記』の、この部分はとにかく久政に辛辣だ。
 次男新九郎は心にふくして亮政の御心にはかなはせ給はねとも、御前より達ての訴訟により、新九郎十八歳なりしか、于時(時に)亨禄二己丑歳に、新九郎を下野守久政と名をあらため、井口弾正忠か娘をめあはす。

 此娘は、親井口弾正、番場の地頭山にして亮政の命に替り切腹したる故、其年より亮政の御前矢島殿、小谷の城へよひよせ養育し、当年十三に成。親弾正忠か忠節を報せんか為、今久政か妻女とはなし給ふ。かくて此事江北に隠れなけれは、各常国は申におよはす、美濃一国の諸侍まて我も我もと馳集り、太刀折紙を以て御祝儀をそ申ける。

(近藤瓶城編『史籍集覧』第6冊 近藤出版部、1919年)
■「跡継ぎにはふさわしくない」とみなされていた
現代語訳は以下の通りだ。
 次男の新九郎(後の久政)は、腹に一物あるような陰気な性格で、父・亮政の意に叶うような跡継ぎではなかった。しかし、正室(矢島殿)ら周囲からの強い要望があり、新九郎が18歳の時、享禄2年(1529年)に、名を「下野守久政」と改めて家督を継ぐことになった。

 亮政は、この久政に井口弾正忠の娘を娶らせた。
この娘の父・井口弾正は、かつて番場の地頭山で亮政の身代わりとなって切腹した忠臣であった。そのため、亮政の正室・矢島殿が小谷城に引き取って大切に育て、13歳になった今年、父の忠節に報いるために久政の妻としたのである。

 この家督相続と婚礼の儀は、北近江の国衆はもちろんのこと、隣国・美濃の武士たちまでもが我先にと祝いの品を手に馳せ参じ、盛大な祝儀が執り行われた。
この記述、めちゃくちゃイヤらしい。祝賀ムードを生んだのは「亮政の身代わりに切腹した井口弾正の娘を、亮政の正室が引き取って育て、その娘を息子の嫁にした」という、亮政の徳の物語である。久政の人徳でも力量でもない。
要するに『浅井三代記』の作者は、「本当はもっと優秀な兄がいたのに、運悪くそいつが死んだから二流の弟が繰り上がった」という設定(しかも、その兄・高政が本当に嫡男だったかも怪しい)をわざわざ持ち出して、久政をディスっているのである。
■息子・長政を敵視する「完全に悪役」
そして、この調子は最後まで変わらない。基本コンセプトは「久政を落として、長政を持ち上げる」の一点突破である。
たとえば長政の少年時代についての記述。長政は10歳に満たない頃から礼儀正しく、家臣からの信頼も篤かった……と褒めちぎられる。ところが、これが久政には面白くない。
我が子の人気が高まるのを嫉妬したのか、長政を寺に預けてしまった、というのだ。
実の息子をライバル視する、了見の狭い親父。完全に悪役の書き方である。
さらに六角氏との関係強化を図った久政は、長政に六角氏の重臣・平井加賀守の娘を嫁に貰うよう命じる。この娘は絶世の美女だったというが、長政は面白くない。家臣たちも不平を募らせる。そしてついに久政が「平井と親子の契りを結べ」とまで命じたことで、長政の堪忍袋の緒が切れた。嫁を実家に送り返し、家臣たちと共に久政に反旗を翻した、というのが『浅井三代記』の筋書きである。
『浅井三代記』は軍記物、すなわち後代にあることないことを加えた創作部分も多いのだが、なぜかこれが史実かのように見られてきた。しかし、こうした旧来からの見方は、小和田哲男『近江浅井氏の研究』(清文堂、2005年)以降、大きく変わってきている。
この本で、小和田は当時の北近江を独立しながらも六角氏の統制下にあった「六角氏保護国」としている。ようは、浅井氏の支配体制は国人の集合体である。
わずかな村を治める能力があり、個人的には武勇が高く独立心も旺盛だが所詮は烏合の衆である。
■脆さを自覚した久政、安全装置を壊した長政
平たく言えばこういうことだ。浅井家というのは、北近江の地侍たちの「町内会連合」のようなものである。各地侍が自分の村の祭りを仕切り、自分の家来を養い、自分の田畑を守る。そういう「うちの地区はうちで守る」という独立心の強い親父たちが、なんとなく浅井家を盟主として担いでいる、というのが実態だった。
大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の時代考証を担当した太田浩司『戦国大名浅井氏と家臣団の動向』(サンライズ出版、2025年)では、こうした社会構造がさらに深く掘り下げられている。
この研究では、浅井氏の当主と重臣たちは、組織として編成されていたのではなく「個々の繋がり」で結ばれていただけ。家臣は相対的に自立しており、「地域的一揆体制」を維持していたことが指摘されている。
つまり、これらを総合すると「うちの馬鹿親父の命令なんか聞いてられるか! いつまでも六角の風下には立たないぜ!!」と美人な嫁を送り返してしまう長政は、自爆テロみたいなものである。
なにしろ、浅井家は組織として弱い。家臣は自立心の塊で、いつでも当主を突き上げる用意がある。そんな組織で、唯一の安全装置だったのが「強い相手には頭を下げる」という久政の戦略だった。

六角に従っている限り、家臣たちが暴走しても六角の威光で抑えられる。朝倉という保険もある。「自分たちの脆さ」を、外部の権威を借りることで補っていたのである。
ところが長政のクーデターは、この安全装置を全部ぶっ壊した。
■「織田の対等パートナー」は幻想だった
この取りかえしのつかない自爆テロの被害を補うための方法が信長との同盟であった。でも、これこそが終わりの始まりであった。
お市と婚姻した当初はまだマシである。同時代の視点で見れば信長は、ようやく尾張・美濃の二か国を押さえた段階の中規模大名である。この時点での同盟のメリットをプレゼンするなら、長政の口からはこう語られたはずだ。
「皆の衆、よく聞いてくれ。織田殿と手を組めば、まず長年我らの脇腹を脅かしてきた美濃の斎藤を、東西から挟み撃ちにできる。我が家にとっても大きな利益じゃ」

「のみならず、観音寺城の六角は織田殿にとっても上洛の邪魔者。利害は完全に一致しておる。我らだけで六角と渡り合うより、はるかに有利な戦が打てるというものよ」

「そして——ここが一番肝心なところじゃ。織田家はまだ我が浅井家と、少し格上くらいの感覚で組める相手。婚姻同盟というのは、対等の同盟者として両家を扱うことが前提じゃからな。これによって我らは内外にこう示せる。『浅井は六角の風下から脱した独立大名であり、織田の対等パートナーである』——とな」
家臣たちは膝を打つ。「殿、見事な戦略でございますな!」なにしろ基本が村からもあんまり出たことのない、お山の大将の集団である。視野は狭いが、自分の村と田畑のことには異様に詳しく、誇りも高い。
■織田に飲み込まれる、長政の誤算
そんな連中がここぞとばかりに盛り上がる。
「いやあ、やっぱ先代は酷かったよなあ」

「そうそう、いつまで六角に頭下げてんだって話だ」

「俺ら、もう六角の手下じゃねーんだよ!」

「若殿、マジで最高っす!」

「織田の妹も嫁に来るし、もう浅井家、勝ちっしょ!」
彼らにとって織田信長は「うちの殿の義兄になった、ちょっと景気のいい隣の社長さん」程度の認識でしかない。信長がこの先、わずか数年で日本史を動かす怪物に変貌するなど、想像もつかなかったのだ。このとき久政が何を考えていたかは、史料には残っていない。しかし想像はつく。
「お前ら、その同盟、うまく着地できるんだろうな……?」
しかし、そんなことを意に介すような連中ではない。彼らがイケイケで盛り上がっている数年のうちに、状況は一変する。信長は「ちょっと景気のいい隣の社長さん」から「畿内の覇者」に変貌したのである。
長政の表情は、おそらく徐々に引きつっていったはずだ。
「あれ……? 対等のパートナーだと思ってたのに……俺、これ、飲み込まれる側じゃない……?」
■六角や朝倉の配下のままだったら…
そう、問題なのはここである。婚姻同盟を結んでしまった以上、いまさら「信長殿、どうか配下にお加えください」とはいえない。
このまま対等の看板を掲げ続けても、未来は見えている。やがて織田家の親戚として組み込まれ、有名無実の存在になり、軍団のコマとして使われ、いずれは領地も奪われていくかもしれない。
もしも、六角や朝倉の配下のままだったら、まだ手はあった。「うちの主君は弱い、向こうにめっちゃ強いヤツがいる、よし配下を乗り換えよう」。これがそもそも久政の戦略であり、戦国の中堅クラスの大名・国人にとってのスタンダードな生存術であった。ところが、信長との同盟で結婚……それも、家臣の娘とかならまだしも、妹を娶ったものだから、今さら頭も下げれない。こうなると、打開策は裏切りしかなくなってしまう。
■致命傷になった「親子関係の悪さ」
信長との裏切りを久政が主導したかは定かではないが、選択肢がこれしかなくなっていたのは事実だろう。なにより、浅井が裏切った時点では信長とて完全無敵の強者ではなく、まだ浅井氏も活路を見いだせたからだ。なにしろ、朝倉だけでなく、本願寺に比叡山と共に信長と戦う者がたくさんいたからだ。
こうしてみると、浅井氏の失敗はなんだろう。やっぱり、親子関係の悪さだったのではないだろうか。

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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