甲冑、陣羽織の武者が騎馬で行列をし、疑似合戦を行い、凱旋行列を行う。毎年7月最終週の土・日・月に開催され、多くの観光客が訪れていたが、地球温暖化の影響で、2024年からは5月の最終週の土・日・月に行われている。ノンフィクション作家の星野博美さんが初めて見に行ったのは、2021年7月だった。
新型コロナウイルスの第5波が襲来中で、祭りの目玉である合戦系の行事も大幅に縮小して行われたが、日本全国で祭りや行事が軒並み中止となっていた時期で、野馬追も中止になってもやむをえない状況下、それでも「どんな形でも、野馬追を開催するのだ」という強い意志が感じられた。
星野さんが向かったのは居住人口が約1700人(当時)の浪江町。まだ9割の住民が戻ってこられないでいた。祭りのために、この日だけ浪江町に戻ってくる参加者もいた。浪江町で出会った人々の野馬追の伝統を守ろうとする姿や思いとは――。
※本稿は、星野博美『野馬追で会いましょう 相馬の馬文化と震災後の日常』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
■凜とした女の子
祭りの喧騒から距離をおき、馬の安全を第一に考慮する女性武者に興味が湧き、式典が終わると同時に声をかけた。
南相馬市内の高校に通う今野(こんの)愛菜(あいな)さん。引き手として参加したことはあるが、乗り手として参加するのは今回が初めて。馬は那須(なす)の廐舎から借りた6歳の牝馬(ひんば)だという。
「この子には3回しか乗ったことないんですけど、昨日はいっぱい乗って練習しました」
愛菜さんは愛想笑いをしない。かといって堅苦しいわけではなく、自分を飾らず、淡々と、必要な言葉だけをつむぐ。芯が通った人、という印象だ。
相馬野馬追は、二十歳(はたち)未満で未婚であれば女性も参加が可能である(*)。近々に結婚する予定がなければ、高校2年生である愛菜さんはあと2回か3回参加できる計算になる。
馬丁を務めていたのは、父親の今野(こんの)潤一(じゅんいち)さんだ。若い頃は野馬追に出ていたが、17年前、30代半ばで結婚を機にやめたため、愛菜さんは自分の騎馬武者姿を見たことがないという。
「それでも娘が馬好きになってくれて、継いでくれたのは嬉しいな」
娘が野馬追デビューを果たしたことが心底嬉しいらしく、頰がゆるみっぱなしの潤一さん。愛菜さんのクールでまっすぐな感じを仮に「剛」としたら、感情を前面に出す潤一さんは「柔」という印象だ。
* 2015年から、「二十歳未満の未婚」とする女性の出場条件が撤廃された。
■馬に乗ったまま集落に帰る
公園の端で立ち話をしていると、騎馬武者たちが続々と帰り支度を始め、慌ただしくなった。
「このあとはどうなるんですか?」
野馬追素人の私が尋ねると、「今年はもうこれで終わり。みんなそれぞれ、自分たちの集落に帰るんだ」と、潤一さんは嫌がりもせず親切に教えてくれた。
「馬に乗ったまま?」
「馬に乗ったまま。村の寄り合いみたいなところから一緒に出てきたから、そこまで一緒に帰るんだ。俺は馬がないから、自転車で追いかけるけど」
騎馬が登場するのは、今年はこれで本当にもう終わりなのか。私も残念だが、参加者は言葉にならないくらい残念だろう。名残惜しげに立ちすくんでいると、その気持ちを察したのか、潤一さんが言った。
「一緒に来る?」
「いいんですか‼ ありがとうございます。走ってついて行きます!」
潤一さんは、ゲラゲラ笑った。
「人間の足じゃ無理だよ。
そして誰かに話をつけ、同じ集落から手伝いにきた女性のワゴン車に乗せてくれることになった。いきなり東京から来た見ず知らずの人間が押しかけて迷惑かとは思ったが、こういう機会はめったにあるものではないので、迷惑承知で乗せていただくことにした。
■立野からの出陣
車に乗せてくれたのは、地元の川漁業協同組合に勤める菅野(かんの)富美恵(ふみえ)さん。潤一さんとは中学の同級生だという。
「ここでは、梅雨明けがだいたい野馬追と重なるの。野馬追で、夏が始まると実感するわ」
明るくフレンドリーな雰囲気で、ハキハキ話す菅野さん。野馬追に関わるのは今回が3回目で、「全然詳しくない」と謙遜する。これから浪江町内の立野(たつの)という地区に戻る。彼らは立野の「平本(ひらもと)家」の一員で、今年は「平本家」から6騎が出た。今日出陣した馬のほとんどは、震災で那須に避難した廐舎から借りうけているという。
「鎧(よろい)は重いし、馬が旗を怖がったりするから、通常なら早いうちから馬を借りて慣れさせる。去年は祭りが出せなかったから、今年ははりきって早くから準備していた人が多いの。だから急に雲雀ヶ原(ひばりがはら)の行事の中止が決まって、みんな本当に落胆している。馬を出す廐舎にとっても、野馬追をやらないと大打撃なの」
ちょうど車が県立浪江高校の前を通りがかった。震災後、県内のさまざまな高校と提携してサテライト方式で運営を続けていたが、2017年3月末をもって休校となった。
「子どものいる人が浪江に帰ってこないからね。帰ってこないから、学校が開けない。学校がないから、帰ってこられない。仕方がない」
■9割以上の町民が戻っていない現実
浪江町で、帰還困難区域を除いて避難指示が解除されたのは2017年3月31日のこと。菅野さんは、解除されるとただちに避難先から浪江町に戻ってきた。震災前は人口が約2万1000人だった浪江町の現居住人数は約1700人。避難指示が解除されたものの、9割以上の町民が戻っていないのが現実だ。
「私は勤め先が浪江町にあるし、親も勤め人だった。ここで育ったから戻ってきただけ。別にたいした理由はないの。浪江に戻る、戻らないは、本当に個人の問題。軽々しく聞けないし、ましてや誰も人の選択に意見はできないの」
車を走らせている途中、鮮やかな水色の陣羽織をまとった騎馬武者が乗りこんできた。立野から出陣した「平本家」の当主、平本(ひらもと)佳司(けいじ)さんだ。この人が潤一さんの言っていた「親方」か……。肩証によれば、「勘定奉行」という役職に就いているらしい。にわかに緊張して、しどろもどろになりながら、自分の素姓を明かした。平本さんは見ず知らずの人間が同乗していることに少しギョッとしつつも、不快感は示さず、「なんか物足りないね。全然物足りん」と言いながら羽織を脱ぎ始めた。
車は浪江の中心部から、山道というほどではないが、緩い傾斜がだらだらと続く坂道を北西の方向に向かって登っていった。
■この光景が見たかったんだ…
「ここは浪江町の吉田町長のお宅。町長に凱旋の報告をしてから帰るんだ」と平本さん。
「これも昔からの習わしですか?」
「いや、たまたま途中に吉田町長のお宅があるから。前の馬場町長は町のほうに住んでたから、以前は寄らなかった」
前の馬場町長というのは、福島第一原発事故が起きた際、報道番組でたびたび浪江町の窮状を訴えていた故・馬場有(たもつ)さんのことだ。町民の避難や賠償請求などに奔走したが、癌(がん)におかされていることが判明し、任期中の2018年6月に亡くなった。
平本さんの計らいでワゴン車は騎馬を追い越して先に進み、写真を撮りやすいよう、騎馬列全体が見渡せるところで車を停(と)めてくれた。そこは道路が二股に分かれる場所で、分岐点に大小さまざまな馬頭観音が立っていた。
澄みわたった青空。でんでんでんと浮かぶ、ロールパンのような真っ白な雲。梅雨の間にたっぷりと水分を補給し、強烈な太陽を浴びて生命を謳歌(おうか)するように生い茂った、青々とした草木。そこを色とりどりの装束を身に着けた人馬が通る。色彩の豊かさが、町で行われたお行列よりも際立っていた。これが見たかったんだ……。この光景が見られるよう配慮してくれた平本さんの心遣いに感謝した。ぶっきらぼうそうに見えて、実はとても優しい人だ。
すると坂の下のほうから、馬丁の装束のまま、えっちらおっちらと自転車を漕(こ)ぐ人の姿が見えた。潤一さんだった。手を振ると、ゼイゼイと息を切らせながら力なく手を振り、再び必死の形相で、馬のあとを追いかけていった。
車は再び騎馬列を追い越し、集落に帰ってくる様子を見られるよう、先に立野の集落へ向かった。背後に山がそびえる畑のあぜ道を進むと、平本さんの名前が書かれた看板のある場所で車は停まり、敷地内に入った。平本さん、現役の浪江町議会議員だったのだ。生垣の両脇には、時代劇で見るようなかがり火がおかれ、黒地に黄色い字で「雲龍」と染められた大きな旗がはためいている。奥が開けた場所になっており、そこに祭事用の仮設テントが設置されている。まさに、戦場における陣屋のような趣だった。
■野馬追デビューを果たした6際の騎馬武者
騎馬が畑の向こうから姿を現した。そしてかがり火のところで馬を止めると、当主の平本さんに向かって一人一人が口上を述べて無事凱旋が終わったことを報告し、ようやく馬から下りた。
今年は愛菜さんのほかにもう一人、若い世代の騎馬武者がいた。野馬追デビューを果たした6歳の山本星空(せいら)くんだ。暑さと緊張で疲労が極限に達したのか、装束を身に着けたまま放心状態でしゃがみこんでいた。
福島第一原発の事故以降、「平本家」としてこの場所から野馬追に出陣したのは、避難解除の翌年、2018年からだという。その時は平本さん含め4騎だった。翌2019年も4騎で出陣するが、2020年はコロナ禍でお行列が中止となった。
今年、平本家からは6騎が出た。平本さんを含む成人男性4名に、高校生の愛菜さんと小学1年生の星空くん。若い世代が増えたことは、明るいニュースだった。
■「全員、ここには住んどらん」
平本さんに敷地周りを案内していただいた。あっという間に装束を脱ぎ、白いタオルを鉢巻にし、白いTシャツに作業ズボン姿になった平本さんが、「暑くてやってられん」と言いながら、陣羽織の下に着けていた襦袢(じゅばん)をしぼると、汗の雫(しずく)がたらたらと布地から流れ出した。
「今日は召集が午前4時。それからおのおの準備して、8時に出発。2時間かけて、馬で浪江の町に下りたんだ」
平本さんは震災前、生花業を営んでいた。目の前に広がる畑に生い茂った植物は、ひまわりだという。
「ここは、うち」と平本さんが口を開いた。「のあった場所ね。ちょうどテントがあるあたりに家があった。いまは家がないから、野戦キャンプみたいだが」
地震で家が壊れたということなのか、恐る恐る尋ねた。
「地震では壊れてない。ただ何年も人が住んでいなければ、家はダメになる」
避難指示が解除された2017年の時点では、まだ家が残っていたが、傷みがあまりに激しく、翌年、解体したのだという。平本さん自身は現在、福島県の郡山(こおりやま)市に住んでおり、週4、5日は浪江で町議の仕事をし、週末だけ郡山に帰る生活を送っている。
ひまわり畑と仮設テントの間に、柵で囲まれ、砂の敷かれた運動場のようなスペースがあった。これはもしや馬場では?
「そう、馬の運動場。震災前はうちでも馬を飼っていたんだ」
平本さんの言葉に、自分の傍観者的無理解を恥じた。野馬追に出る人は、すでに浪江に帰還した人たちなのだとばかり思いこんでいた。
では、愛菜さんたちもここには住んでいない?
「あそこは(南相馬市の)原町に住んどる。今日出陣した6騎は全員、ここには住んどらん」
全員、ここには住んでいない……。
さきほどお行列を眺めていた時とは、野馬追という世界が変わったような錯覚を覚えた。
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星野 博美(ほしの・ひろみ)
ノンフィクション作家
1966年、東京生まれ。著書に『謝々! チャイニーズ』『転がる香港に苔は生えない』(大宅壮一ノンフィクション賞)、『のりたまと煙突』(以上、文春文庫)、『迷子の自由』(朝日新聞出版)、『愚か者、中国をゆく』(光文社新書)、『コンニャク屋漂流記』(文春文庫。読売文学賞、いける本大賞)、『島へ免許を取りに行く』(集英社文庫)、『戸越銀座でつかまえて』(朝日文庫)、『みんな彗星を見ていた──私的キリシタン探訪記
』(文藝春秋)、『今日はヒョウ柄を着る日』(岩波書店)ほか。Twitter:@h2ropon
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(ノンフィクション作家 星野 博美)

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