日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出していく。2022年4月の特集は「最新音楽本2022」。
パート4は柴那典著の『平成のヒット曲』にスポットを当てる。著者である音楽ジャーナリスト・柴那典本人をゲストに迎え、本の中で語られている30曲中7曲をピックアップして本の内容について語る。

田家秀樹:こんばんは。FM COCOLO「J-POP LEGEND FORUM」案内人・田家秀樹です。今流れているのは米津玄師さんの「Lemon」。2018年平成30年に発売になって、CD、配信、有線など様々な番組、メディアで1位を獲得しました。あらゆるチャートの1位を記録したと言っていいでしょうね。空前のヒットになりました。今日の前テーマはこの曲です。

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今月2022年4月の特集は「最新音楽本2022」。音楽について書かれた本の特集をしております。今週は最終週で4週目です。
柴那典さんの書いた本、『平成のヒット曲』のご紹介。新潮新書から出ております。タイトルにあるように平成の30年間のヒット曲を1年1曲ずつ選んで、その年がどういう年だったのか、その曲はどういう曲なのか、なぜヒットしたのか、なぜその曲を選んだのか、いろいろな角度から書いている本です。平成はどんな時代だったのか、曲を入口に分かってくる。音楽状況とか、社会的背景についても語られていくんですね。正統派の評論集です。

著者の柴那典さんは1976年生まれ、今最もシャープな評論を展開する音楽ジャーナリストです。2014年に彼が書いた『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』という本があるのですが、目からウロコの歴史的名著でした。ボカロがどういうものかを60年代のアメリカンロックの話も踏まえながら、日本の中のコンピューター文化も経過して、何がそこに通底しているのか見事に書かれていた。この『平成のヒット曲』は彼が平成という時代に何を見たのか、平成音楽論の決定版であります。本で取り上げているのは30曲あって、できれば30曲の話を全部伺いたいと思ったりしておりますが、今日はその中の一端を語っていただこうと思います。こんばんは。


柴 那典:こんばんは。よろしくお願いします。

田家:いやー、おもしろかったです、この本。あとがきで執筆を開始したのは2018年で当初は平成から令和に変わるときに出版したかったとありましたね。

柴:平成が終わるときに平成を総括するムックや記事が出ていたので、当初はちょっと軽い気持ちで時代を総括する一冊にしようと思ったのですが、思った以上に大変で時間がかかってしまいました。

田家:今流れている「Lemon」は平成の総括をしようと思う動機に影響はありました?

柴:その1つではあったと思います。というのは、僕は2016年に『ヒットの崩壊』という本を書いていて、そこでヒット曲はこの先なくなっていくのだろうかみたいなことを書いていた。

田家:あれもおもしろかったです。

柴:ありがとうございます。結果、あれを出した後に本当に国民的ヒット曲と言える曲が出てきた。それが単に売れたとか、そういうことではなくて、みんなの記憶に残るものになった。それはすごく勇気づけられたものがありました。


田家:「Lemon」については最後の曲としてもきちんとお送りしようと思っているので、そのときにまた話を伺いたいのですが、思ったより時間がかかった1番の理由はなんでした?

柴:1曲1曲カロリーが高いと言いますか、書くごとに当時の作り手やプロデューサー、歌手の方のインタビューを読み返して、どういう想いで作られたのか自分なりに咀嚼しつつ、平成が終わったときにどういうふうに時代の変化とともに歌が変わっていったのかを考える必要があった。1曲1曲それをやっていると、ものすごく時間がかかってしまいました。

田家:結果的には3年経ったのがむしろよかったとあとがきでお書きになっていますね。

柴:令和になってしばらくして、これは僕の実感として平成って本当に遠い過去になってしまったなと。

田家:このあとがきを見ながら、「あ、僕もそうです!」って感じでした。

柴:3~4年前のことなのに、コロナ禍という大きな変動を挟んでしまったがゆえに、平成の記憶=コロナ前の記憶みたいな感じに今の世の中はなってきているなと。特に音楽に関して言えば、コロナが始まる前、みんながライブに行ってはしゃいで盛り上がって、マスクもしないでいた。その共感がすごくあるなという実感があります。

田家:そういう時期だからこそ、この本があらためて客観的にとてもおもしろく読めるのではないかということで、出来れば30曲全曲ご紹介したいのですが、7曲を選んでいただきました。本の1曲目でもあるのですが、今日柴さんが選ばれた1曲目でもあります。

田家:1989年1月11日平成元年の発売の曲です。

柴:これは今聴いても昭和の曲という印象で、平成と言うとちょっと違和感があるかもしれないですが。


田家:昭和の曲ですよね。

柴:美空ひばりさんご自身がこの曲を最後に、この年に亡くなられている。そのことを踏まえても本当に時代の切り替わりの象徴だったんだなと思います。

田家:平成が始まったとき、1976年生まれの柴さんは何をされていたんですか?

柴:まだ小学生の子どもでした。ニュースで年号が変わった。それは知っているんですけども、世の中がどう動いているかは全然分かってなかったですね。

田家:1989年になると天安門事件があったり、冷戦の終結があったり、世の中が昭和と違うところにいくわけですけれども。そのときは昭和と平成にどんな違いがあるだろう? と思われていました?

柴:いやー、これは全く思ってなかったですね。今思うと、戦後の昭和の時代ってより上に登っていく、みなさんがより豊かになっていく時代でもあったので。それが平成になったことで1回ちょっと変わった、その象徴かもという気もしますね。

田家:その頃は40代になって、こういう本を書くようになるとは思ってなかったわけでしょ(笑)。

柴:思ってなかったですね(笑)。


田家:今日の2曲目1990年平成2年の曲、B.B.クィーンズの「おどるポンポコリン」。この項目にはこんな見出しがついていました。「さくらももこが受け継いだバトン」。それはどんなバトンだったんでしょう。

おどるポンポコリン / B.B.クィーンズ

田家:作詞・さくらももこさん、作曲・織田哲郎さん、プロデュースが長戸大幸さん。

柴:この年のオリコン年間ランキング1位ですし、世代を超えたヒット曲になったのでこの曲を選ぶのは最初から決めていました。

田家:で、「さくらももこが受け継いだバトン」という。

柴:実は『平成のヒット曲』の裏テーマの1つでもあるのですが……。

田家:裏テーマがいろいろあるんですよ(笑)。

柴:美空ひばりさんだけでなく、もう1人、植木等さんが昭和の象徴だと思っていて。裏テーマの1つとしては、植木等さんが昭和の時代にやっていたことを平成の時代に誰が引き継いだのか。そういう観点で実はいくつか曲を選んでいるんです。
で、クレージーキャッツを引き継いだ存在の1人がさくらももこさん。リアルタイムでは分かっていなかったんですけど、後々調べてみたら『ちびまる子ちゃん』のある回で「植木等さんみたいになりたいよ」と、主人公・まる子ちゃんが言う。「そんなのなれないよ」って言われて、「スーダラ節」を書いた青島幸男さんみたいになりたいよって言う。

田家:あーそういう回があったんだ。

柴:そうなんです。そうすると、意味はないけどみんなが口ずさんじゃうようなヒット曲を作るという意味で、「スーダラ節」を書いた青島さんと同じことをさくらももこさんが作詞としてやった。そういう意味ではバトンを受け継いだのではということで本に書きました。

田家:「おどるポンポコリン」を軸にして、今話に出たクレージーキャッツとか、プロデューサーの時代とか、大滝詠一さんの役割というふうに話が深まっていく。このへんの展開が実におもしろかったですね。

柴:「おどるポンポコリン」ってあまりそういうイメージはないのですが、ビーイング系と言われる90年代の一大ムーブメントの最初のミリオンヒットでもあるんですよね。そうなってくるとやっぱり長戸大幸さんの存在の大きさもここから始まっているし、この時点で90年代が始まったんだと言えるなと思いました。

田家:で、大滝さんが出てくるというのがね(笑)。

柴:調べてみて分かったことなのですが、さくらももこさんが大滝詠一さんの大ファンだったというのがまずあり、大滝詠一さんも『ちびまる子ちゃん』のことをすごく評価していた。そして何より90年に「スーダラ伝説」で植木等さんがリバイバルヒットをする。それのプロデューサーが大滝詠一さん。

田家:大滝詠一さんはクレージーキャッツの研究家ですからね。

柴:そうなってくると、昭和時代の大スターだった人たちがこんなふうに繋がっていくんだと、そして平成という時代にこうやって流れていく分岐点になった曲だなと思いました。

田家:受け継いだバトンというタイトルになっているわけですが、冒頭で柴さんが曲を選ぶのに時間がかかりましたと。そうやって調べていくんだから時間かかりますよね。で、今日の3曲目もそんな曲です。1992年平成4年で選ばれてたのはこの曲です。森高千里さん「私がオバさんになっても」。

田家:「あ、これか!」と思いましたね。

柴:この曲は実際ヒット曲ではあるのですが、この年にヒットした曲ってもっともっとたくさんあって。この曲、実は年間100位以内には入っていないのですが、あえて選びました。

田家:ウィークリーで15位という。こういう曲を選んでいるのが奇をてらったわけではなくて、なぜ選んでいるかということの展開が実に説得力があった。女性論ですもんね。

柴:そうですね。これもこの本の裏テーマの1つで、平成というのがどういう時代だったのかを位置づけるときに、昭和の時代に人々を縛り付けていた価値観とか、そういうものが少しずつ解けていった時代だったんじゃないかと。その1つが女性の年齢。そこが変わっていった象徴として、この曲が書けるんじゃないかと。

田家:「私がオバさんになっても」の章の見出し、「昭和のオバさんと令和の女性」というタイトルがついていますね。平成という時代を経て、女性がどう変わったのか。「私がオバさんになっても」の歌詞の中に〈女盛りは19だとあなたが言ったのよ〉という一行があって、これについて検証されている。

柴:はい。これは当時のインタビューを読み返して、実際に森高さんの周りのスタッフの方がこんなことを軽口でどこかの現場でおっしゃっていた。それにちょっとカチンと来たっていうのが、この曲が生まれたきっかけらしいんですよ。

田家:いろいろな資料を引用されているんですけど、1996年の週刊文春の阿川佐和子さんとの対談も引用されていて、当時阿川さんが42歳、森高さんが26歳。で、阿川さんが「私はおばさんだから」って言っているんですよね。42歳と26歳で今おばさんって誰も言わないですよね。

柴:あまり言わないですよね。

田家:こういう1曲がいかに時代を象徴しているかのとてもいい例として、この「私がオバさんになっても」を選ばれていたわけですが。本は一部、二部、三部と分かれておりまして一部が平成元年から10年。ミリオンセラーの時代。二部が11年から20年。これがスタンダードソングの時代。第三部が21年から31年。ソーシャルの時代。これはいい括りでしたね。

柴:ありがとうございます! 最初にミリオンセラーの時代だけは決まっていました。当然90年代は100万枚ヒットがたくさん出た時代なんだと。ただ、そうすると次の10年、最後の10年をどうするか。最後の10年をソーシャルの時代にするというのも決まっていました。真ん中の10年って実は2つ言うことができて、1つはインターネットが出てきたことによって、CDが売れなくなっていく。音楽業界が迷走する時代ということも言えると思うのですが、曲をいろいろ紐解いていくと、やっぱり歌い継がれていく名曲が多いなとも思ったので、そういう意味でスタンダードソングの時代にしました。

田家:10年間の象徴的な1曲がこれですね。SMAPで『世界に一つだけの花』。

世界に一つだけの花 / SMAP

田家:2002年平成14年で選ばれていたのがこの曲です。章の大タイトルは「SMAPが与えた赦し」。

柴:「平成を象徴する曲は何ですか?」って訊かれて、1曲だけ選べと言われたらこれを選ぶと思います。ただヒットしたということだけではなくて、社会といろいろな意味で結びついていた時代の象徴になった曲だと思います。

田家:この曲が反戦歌としていろいろな形で語られたことについても、柴さんの見解をお書きになられていますね。

柴:2003年3月にシングルとして発売されたんですけれども、当時アメリカとイラクの戦争が始まったばかりで。だからニュース番組とか、「紅白歌合戦」でも、戦争と絡めてこの曲を位置づける言説が多くて。歌詞をあらためて聴くと、戦争と結びつけて反戦歌と捉えるかどうかというのはちょっとどうだろうなと思うところはあるのですが、それ以上にSMAPというグループそのものが阪神淡路大震災、そして9.11からイラク戦争、何より東日本大震災と、日本の社会が平成の中で大きく揺れるときに歌を通して何ができるかということにその都度その都度向き合っていたグループだったんだなと、調べていく中で痛感したのがすごく大きかったです。

田家:実は2001年に選ばれているのがMONGOL800の「小さな恋のうた」なんですよ。大タイトルが「21世紀はこうして始まった」。小見出しが「9.11と不意のブレイク」というマンハッタンのテロと沖縄について語られている。

柴:そうですね。実は反戦歌という意味で言えば、むしろMONGOL800のアルバムに入っている他の曲の方が直接的な反戦歌なんですね。

田家:アルバム『MESSAGE』ね。

柴:沖縄である種の理想主義を込めて、これから平和な世の中がやってくるといいな、戦争なんてなくなればいいのにという歌を入れたアルバムを出したのが2001年9月。そのときに9.11が起こっているので、比べるとモンパチはブレイクにもすごく驚いたでしょうけど、変なふうに時代とリンクしてしまったと、すごく戸惑ったみたいで。当時、振り返ったインタビューでもいろいろなところで語っている。なので、21世紀の始まりには9.11のテロとその後の戦争と、動乱の中でヒット曲が作用して、人々に届いていたということもあらためて思いました。今から考えると20年前のことが何か繰り返されているような気もしなくもないですが。

田家:第三部「ソーシャルの時代」の曲をご紹介します。第三部は平成21年から31年、2009年から2019年までなのですが、平成22年で選ばれていたのがこの曲です。いきものがかりの「ありがとう」。大見出しは「ヒットの実感とは何か」。

柴:この曲は2010年のオリコン年間ランキングで言うと決して上位ではない。

田家:ね。33位ですってね。え、もっと売れたんじゃないのって思いました。

柴:調べてみると、2010年のオリコン年間チャートトップ10はAKBが6曲、嵐が4曲、つまりCDの売上で流行が測れなくなっていく時代です。この曲を聴いて「懐かしいな」と思う人は多くてもCDとしてはそんなに売れていない。そこの乖離が2009年頃から顕著になっていって、その状況をある種象徴する曲です。

田家:第三部「ソーシャルの時代」の中に2011年というのが入ってくるわけですが、何を選ばれたんだろうと思ったらレディ・ガガでしたね。「ボーン・ディス・ウェイ」。

柴:そうなんです! 実は最初は『平成 J-POP史』っていう仮タイトルで考えていたので、日本の楽曲から選ぼうとしていたのですが、そうするとすごく苦労した。もちろん震災があったので、それを受けてのチャリティソングもたくさんあったんですけれども。洋楽に目を広げてその年に沢山聴かれた曲、時代を象徴する曲ってことを考えるとレディ・ガガなんじゃないかと。

田家:ね。2011年レディ・ガガを取り扱った章の見出しは「震災とソーシャルメディアが変えたもの」。

柴:今振り返ると、Twitterなどのソーシャルメディアが広く人々に普及したのは2011年頃だった。LINEも2011年なので、スマートフォンを使って多くの人がコミュニケーションをするという、今みんなが当たり前にやっていることが始まったときにどんな社会の変化があったのか。実はそれを1番体現している人って、やっぱりレディ・ガガだったと思うので。そういう意味でも時代の象徴になったなと。

田家:2010年がいきものがかりの「ありがとう」で、2011年がレディ・ガガの「ボーン・ディス・ウェイ」。2012年が初音ミクの「千本桜」。これは大見出しが「ネットカルチャーと日本の”復古”」。このへんは柴さんしか書けない(笑)。独壇場ですね。

柴:『ヒットの崩壊』を出す前、2014年に『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』を書いてまして。

田家:いやー、名著ですよ。

柴:あれを書いたときは個人的には「この新しい動きってなんだろう」と思っていたんです。ボーカロイドって最初はアニメキャラのブームのように扱われていたけれども、曲を聴いてみるとものすごく切実な作り手たちがたくさんいる。この文化現象ってなんだろう? というところからスタートしていたので、今振り返るとそのときボカロに気づいていてよかったなって自分でも思いますね(笑)。

田家:70年代のフォークソングは音楽に疎い人たちが発信側に回ることができた。ラップがそうだったという流れの中に書かれていましたもんね。

柴:そうですね。時代、時代で新しいテクノロジーが出てきたときに、新しいカルチャーが生まれる。これはある種ちょっと暴論ではあるんですが、僕の見立てとして60年代のサマー・オブ・ラブがあり、80年代のセカンド・サマー・オブ・ラブというクラブカルチャーがあった。ちょうど20年置きなんだったら、2007年にサード・サマー・オブ・ラブがある。それが初音ミクなんだ! という(笑)。

田家:いや、目からウロコでした(笑)。

柴:ただ、当時は初音ミクをアニメとかゲームとかそういったオタクカルチャーの文脈で語るようなものしかなかったので、無理やりにでも音楽に紐付けて語りたいと思ってました。で、そういう本を書いたことが『平成のヒット曲』で「千本桜」を書いたことにも繋がっていると。

田家:そういう流れの中で今日の6曲目、2017年平成29年の曲をお聴きいただきます。星野源さんで「恋」。

田家:大見出しがついているのは「新しい時代への架け橋」です。

柴:時代がちょうどこの頃に変わっていった。それまではCDが何枚売れるかというのがヒット曲の基準だったのが、どれだけ聴かれるかになった。そして、YouTubeやTikTokで、どれだけ曲を使って楽しまれるか。例えば、ダンスを投稿したり、歌ってみたり。そういうふうに曲のヒットの仕方が変わる。時代が変わっていくちょうど境目にある曲だなと思って選びました。

田家:平成28年の曲で選ばれているのが、ピコ太郎の「PPAP」だったんですね。「バイラルヒットと感染症」というタイトルがついておりました。

柴:これも今考えるとすごく示唆的な曲だなと。当時、ピコ太郎がすごくブームになって、世界中でセンセーションになっていく。お笑いの話題として見ていた人がほとんどだと思うのですが、僕はあれこそが新しい時代のヒット曲なんだということを書いていて。その理由として枚数が売れるというより、いろいろな人たちがカバーしたり、アレンジしたり、踊ったりして遊んでいる。その状況こそが、所謂ソーシャルがヒット曲を生むという新しい回路なんだと思いました。

田家:こういう文がありました。〈もはやヒットは法則や方程式では語れない。感染症と同じように数学や物理学を使った数理モデルで解析すべき現象なんだ〉。

柴:これはコロナ禍で書いていたのもあるんですけど、Spotifyのバイラルチャートという存在を知ったことから考えたことです。ソーシャルメディアでどれだけ話題になっているか、世に言う「バズる」ということを示したそのランキングでも上位になって、ピコ太郎の曲は広まっていった。僕なんかも音楽ジャーナリストとして「これからの時代はバイラルだ」ってよく言っていたのですが。

田家:この頃から言われてたんだ(笑)。

柴:そうなんですが、実際にパンデミックになって、英語記事を調べると「バイラル」という言葉が「ウイルス性」という意味で使われている。知ってはいたんですけど、あらためて結びついてしまって。感染症のように人を介して広がっていくという意味では、ヒット曲も感染症も同じなんじゃないかみたいな、ちょっと怖い話。

田家:そういう後に星野源さんの「恋」。ここに「新しい時代への架け橋」、どんな架け橋なんですか?

柴:いろいろな伏線が実はありまして。この本には裏テーマがいくつかあるんですが、その1つのテーマが、まず森高千里さんのところで言った女性。つまり、人の生き方が性別に縛られない、自由になっていく時代。もう1つがダンス。これは小室哲哉さんの「EZ DO DANCE」などの曲を取り上げて平成という時代って実はみんなが踊るようになった時代だったと。

田家:AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」もそういう視点でしたもんね。

柴:よくよく考えると昭和の時代には、ここまでみんなが踊って参加する、それも動画サイトに投稿するようなムーブメントが出てくる曲ってなかったぞ、と。そういう意味で、「恋」は恋ダンスが流行ったということからも、ダンスの裏テーマを引き継ぐ曲でもある。歌詞では星野源さんが「恋」という言葉に男女にとらわれない多様性の関係の意味を込めているので、そういう意味でも、裏テーマの伏線を引き受ける存在でありますよね。そして、もう1つは、さくらももこさんで語ってきたクレージーキャッツを引き継ぐのは誰か問題。その裏テーマの伏線も実は星野源さんが回収するのではないかと。

田家:多幸感の象徴として選ばれていましたね。多幸感というのは?

柴:「おどるポンポコリン」のときに植木等さんが「紅白歌合戦」に出てきて、みんなが一緒に踊ってるあの光景が昭和の終わり、平成の始めの多幸感の象徴だったという記述がありまして。それとなぞらえるように、恋ダンスの平成29年の「紅白歌合戦」で星野源さんが歌って、出演者みんなが恋ダンスを踊っていた。この光景もすごく後々振り返ると、あ、このとき幸せだったなって。

田家:ね。この後みんなが集まって踊るなんてとんでもなくなっちゃいましたからね。

柴:集まって踊るって本当に幸せなことだし、楽しいことで。それが笑顔でできていた時代の最後。ちょっと切ない話になっちゃいますが、そういう意味でも平成の終わりの象徴だと思います。

田家:そういう本の最後が冒頭でお聴きいただいたこの曲なんですね。2018年平成30年発売、米津玄師さんの「Lemon」です。

田家:平成最後の大晦日「紅白歌合戦」に出場しました。CDダウンロード合わせて300万枚突破。2018年、2019年と2年続けて年間チャート1位だった。いろいろな象徴がこの曲には込められていますね。

柴:そうですね。何よりヒットがこのときに戻ってきた。

田家:ヒットの復権という言葉を使われていましたね。

柴:ヒット曲がそのときの世の中を代表する、たくさんの人たちの心の有様とか、考えていたこと、社会の流れなんかとリンクしていく。そのことが本当にあるんだということを示して終わるというのができた。そして、米津玄師さんはデビュー当時からずっと取材させていただいて、個人的にも思い入れのあるアーティストが金字塔的なヒット曲を出した。これも絶対に選ぶ1曲です。

田家:この「Lemon」についてお書きになっている中で、「Lemon」が死を扱った曲である、この指摘が的を得ていましたね。

柴:これはドラマ『アンナチュラル』の主題歌なので、ドラマの制作陣から親しい人が亡くなった悲しみを癒やすような曲を作ってほしいみたいな依頼をもらって書いたそうなのですが、書いている途中に米津さんのおじいさんが亡くなってしまって。なので、肉親を亡くした立場で書いた。しかも、歌詞には死ぬとか命とか、亡くすってことは一切書かれていないんですよね。なのですが、これを聴いたら、みなそういうことを歌った曲だと思う。本当に素晴らしい曲です。

田家:平成最後の大ヒットが死を扱った曲だった。いろいろお書きになっている中にこんな文章があったんですね。〈300万という数字は社会現象やブームに押されたわけでなく、歌が描いた悲しみがそれぞれ1人1人の胸の内に深く刺さることで成し遂げられたものだ〉。これを読んだときに拍手しましたね。

柴:ヒット曲ってどうしても数字で書くことになりますし、そのときの社会の風潮、メディアのプッシュ、人気とか、いろいろな状況論をずっと書いてきた本でもあるので。やっぱり最後に1人1人のところにあるんだという、そこに着地したかったという想いもありました。いろいろな曲の中で1番力強くそのことを心から言える曲がこの曲だったと。書いているときにヒット曲を語ったり、ヒット曲から何か物事を見出したりするのはとても意味があるんだ、おもしろいことなんだ。そして、ちょっと泣けることなんだ。そういうところに辿り着くだろうなという確信を持って書き始めました。

田家:なるほどね。でも、この曲が書かせてくれたみたいなところがありますね。

柴:そうですね。それは本当に感謝しているところです。

田家:この本であらためて1番伝えたかった、書けたらいいなと思っていたことはなんだったかという話で終わりましょうか。

柴:伝えたかったことというより書き終わって思ったことなのですが、平成を総括するような文章は、ちょっと自虐的というか、あまり良くない時代だった、停滞の時代だった、失われた何十年だったと位置づける文章が結構多かったんです。

田家:経済的にはそうだったかもしれないけど。

柴:実際、経済はそうですし、政治も社会も停滞していた、震災もありましたし、いろいろな意味ですごく暗い時代だったとまとめる論調が多く。それに反発を覚えたというほどではないのですが、音楽から見ていくとこれだけヒット曲があり、そしてそれが人々の記憶に残っていき、ある種の平成は豊かな時代だったと。文化から見たら決して悪い時代ではなかったぞと言いたいなというのは書き進めている途中から思ってました。

田家:僕は「平成ってどういう時代でしたか?」って訊かれたら、「あんなに楽しい時代はなかった」って言いますからね。

柴:本当ですか。それはうれしいですね。

田家:そういう本だなと思いました。

柴:ありがとうございます。

田家:「J-POP LEGEND FORUM 最新音楽本特集2022」パート4、柴那典さんがお書きになった『平成のヒット曲』、この本のご紹介。ゲストは柴那典さんでした。流れているのは竹内まりやさんの「静かな伝説」です。

平成がどんな時代だったのか、毎年1曲ずつその年のヒット曲を選んで語っていく本、おもしろいんですよ。タイトルには”ヒット曲”とついているので、割と軽い本と思われるかもしれないのですが、それは入口なんです。先程本人の前で触れ忘れてしまったのですが、まえがきに〈歌は世につれ、世は歌につれ―。 改めて、この言葉の意味を実感できるような30曲の物語になっているはずだ〉って書いてあるんです。歌は世につれという言葉が死語になっていないんだということが、この本を読むとよく分かります。どんなヒット曲にも、背景や物語がある。

特に平成はアナログがCDになって、配信になって、SNSになる。音楽の聴き方、伝え方、作り方も激変しちゃった30年なわけです。その間に二度の震災があって、なおかつ海の向こうの戦争もいろいろな影を落としている。音楽と時代という意味では永遠不変のテーマがこれだけ凝縮された30年だったのか。最後に彼も言ってましたけども、平成の多幸感を表現したかった。音楽、エンターテインメントにとっては、やっぱりいい時代だったんですよ。経済的には失われた何十年になるわけですが、こんなに音楽が世の中に広まって、みんなに歌われて、親しまれていろいろな生活が反映されている。音楽を語ることは世の中、人間を語ることなんだという、平成はその宝庫だなと、あらためて思いました。

令和になってソーシャルメディアというものが力を持つようになってきて、今までの方法論が通用しなくなっている。柴さんはそのソーシャルメディアに関しての分析や解釈という意味でも独壇場なので、令和という時代がどうなっていくか、彼にバトンタッチしたいなと思いながら、今日お送りしておりました。音楽ジャーナリズムは死なないという本であります。

<INFORMATION>

田家秀樹
1946年、千葉県船橋市生まれ。中央大法学部政治学科卒。1969年、タウン誌のはしりとなった「新宿プレイマップ」創刊編集者を皮切りに、「セイ!ヤング」などの放送作家、若者雑誌編集長を経て音楽評論家、ノンフィクション作家、放送作家、音楽番組パーソリナリテイとして活躍中。
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