日本球界初のトレーニングコーチとして1965年に巨人へ入団した鈴木章介さん(88)は、長嶋茂雄さん(享年89)の現役から監督時代まで支え続けた。64年東京五輪の陸上十種競技代表から転身し、巨人のV9を陰で支えた功労者が、ミスターとの思い出を2回に分けて語った。
鈴木さんは長嶋さんのプロ8年目の65年から巨人に加わり、第1次長嶋政権の79年までトレーニングコーチを務めた。招へいしたのは川上哲治監督。V9が始まる前年の64年は3位に終わり、選手の肉体変革を求めた。そこで、あらゆる運動能力が求められ「キング・オブ・アスリート」と呼ばれる陸上十種競技のオリンピアンに白羽の矢を立てた。
「それまでの春、秋のキャンプで(別の)陸上コーチを招き、選手たちに筋力強化などの指導を行ったところ良い影響が現れた。シーズンを通して継続すればさらに強くなると考え、正式に(私を)チームに招いたのではないかと思います」。当時の練習は軽いジョギングとトス打撃などで終わるのが主流。「体を鍛えるとか、練習前に準備運動をしっかりやるという意識がほとんどなかった。『腹いっぱいご飯を食べなきゃ力が出ない』という時代でした」
選手からは「オリンピック選手になるわけじゃないし、走る必要はない」という声も出ていた中、多摩川グラウンドで就任後最初の練習を迎えた。足腰の強化と心肺機能を高めるために30~40分の集団走を行った。「途中で力尽きる選手がいて、堀内(恒夫)なんて近道していた。その中で(ONは)最後までやりきっていた。
長嶋さんの印象は「初めて会ったときから、全身がバネのような筋肉をしていた」と明かす。特に力が強いとか、握力があるというわけではないが「インパクト時の力の出し方がうまかった。王はネクスト(バッターズサークル)でタイミングをとっているけど、ミスターは立て膝で相手投手を見ているんです」
鈴木さんは各選手に合ったメニューを考案し、体を見続けてきた。長嶋さんに対しては「調子が落ちた際に、短距離選手や跳躍選手のトレーニングを取り入れるよう勧めた」という。王さんは「野球のことだけを考えてしまう人だから長距離走を中心にやらせた。最後は走るのが苦しくて、自然と頭がそっちにいくからね」。ONは体格も性格も対照的だった。「調子が悪くなると王は考え込んでしまうけど、ミスターは逆にすごく明るくなる。だからこそON」
革新的な指導で79年までの15年間、巨人の黄金期を支えた。当時監督を務めていた長嶋さんに退団の意向を伝えた時、思わぬ出来事があった。
◆鈴木 章介(すずき・しょうすけ)1936年11月11日、静岡・浜松市生まれ。88歳。中学2年から陸上を始め、浜松商では棒高跳びで日本一に輝く。早大入学後に十種競技へ転向し、64年東京五輪15位。文子夫人(旧姓・伊藤)は女子走り幅跳びで60年ローマ五輪に出場。次男・望さんは89年ドラフト5位で巨人に入団し、日本ハムでもプレーした。