◆スポーツ報知・記者コラム「両国発」

 ブンッ。静まりかえった部屋に、バットが空気を切り裂く音と息遣いが伝わる。

松井秀喜氏がヤンキースに在籍時、素振りの様子を取材する機会があった。大きな鏡や窓に全身を映して、一心不乱にバットを振っていた。そこに巨人時代からマンツーマン指導で素振りの特訓をして球界屈指の打者に育ててくれた恩師、長嶋茂雄さんの姿はなかったが、いつも張り詰めた雰囲気だった。

 松井氏は「素振りは思い立った時に、バットを振るスペースさえあればいつでも一人でできるのがいい。頭の中で投手や状況などを設定しながらバットを振って、ビュッとかピッとか高い音が出たら、それはいいスイング。ブォンとかブンとか低かったり鈍かったりしたら、良くないスイング。集中して音を聞いていたら違いが分かると思う」と解説。私は“素振り取材”をする度に耳を澄ませた。だが、全て「ブンッ」にしか聞こえず、一度も音の違いは分からなかった。汗だくになった松井氏の耳だけに「ピッ」などの高音が届くと、素振りタイムは終了となった。

 松井氏は6月4日早朝に長嶋さんの都内の自宅を弔問。「長嶋監督は素振りを通じて、松井秀喜という野球選手に最も大切なことを授けてくださいました」とあらためて感謝し「今後、どういう形で次の世代に継承していくか、はっきりとした形は見えませんが長嶋監督と生前、約束したこともあります」と明かした。

「ブンッ」と「ピッ」の判別が、師弟だけにしかできない特殊な技術となってしまうのはもったいない。松井氏には野球教室などを通じて、子供や野球指導者らに正しい素振りを継承してほしい。(野球担当・阿見 俊輔)

◆阿見 俊輔(あみ・しゅんすけ) 2020年入社。芸能担当から始まった記者歴は約30年。

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