セ・リーグの理事会が4日、2027年から指名打者(DH)制の導入を正式に決めた。鈴木清明セ・リーグ理事長は「新たなセ・リーグの野球に挑戦する時期が来た」と話した。
日本でのDH制採用は1975年。セ・リーグに観客数で大差を付けられていたパ・リーグが人気回復のために採用した。その2年前の1973年にメジャーのア・リーグによる3年間の期限付き採用が決まると、日本でも開幕前にセ・パ両リーグの監督会議で議題に上がっている。同年1月に開催したパの会議ではほとんどの監督が「現状では疑問がある」と反対していた。
続いて2月5日に行われたセ・リーグの会議は議論が伯仲した。西鉄で3連覇を果たしていた当時のヤクルト・三原脩監督は「ルールを変えれば、これまでにない作戦が生まれてくる。野球はもっと面白くなる」。1960年の大洋(現DeNA)の日本一の際には、予告先発がない時代の偵察要員の起用や、ワンポイントで投手を一時的に一塁や外野などに就かせるなど、奇策にもたけていた名将らしい賛成理由だった。
一方、「もし投げるだけ、打つだけという制度を認めたらどうだろう。一つしかできない選手が続々と出てくる。
この会議ではオープン戦でのDH制が両軍監督の合意で採用OKとなったため、3月2日からの太平洋(現西武)・広島3連戦で試験的に採用された。初戦で広島の深沢修一外野手がDHに座って2ランを放ったこともあり、観戦したファンからは「野球は点が入らないと面白くない。そういう意味で大賛成」などの声が上がるなど、おおむね好評だった。
2年後にパ・リーグが採用したことで、「老舗」を自負していた当時のセ・リーグは、パ・リーグに先を越されたことと、当時は日本シリーズでも優勢だったこともあって、DH制採用を長く封印することになっていった経緯がある。
※参考資料 報知新聞
蛭間 豊章(ベースボール・アナリスト)