熱戦が繰り広げられている夏の甲子園。野球を中心に取材を進めるスポーツライターの田中仰氏(34)の著書「監督、神になる 池田高校 記憶の衝突」(文藝春秋、2090円)が発売中だ。
1980年代、圧倒的打力で甲子園を席巻した池田高。82~83年の夏春連覇を含む甲子園3度のVを導いたのは、「攻めダルマ」蔦文也監督だった。在任40年で甲子園に通算14回出場して37勝。数々の金字塔を打ち立てつつ92年に勇退、2001年に鬼籍に入った。
本書の著者・田中仰氏は、92年生まれ。全盛期を知らないからこそ興味を引かれた。「当初は高校自体への関心。なぜ山間部の公立高が強くなり、90年代から急に甲子園から遠ざかったのか。で、実際に現地に行くと『池田=蔦さん』なのが分かってくるんです」。
蔦監督は本当に名将だったのか、それとも…。取材の決定的な動機となったのは、蔦監督への批判をつづった野球部生徒の告発文だった。「鉛筆で書いているのですが、ボールペンのような強い筆圧で、丁寧に書かれていた。世間の『愛された名将』とのギャップに強く引きつけられました」
25年夏、告発文を取り上げたウェブ記事を公開すると、大きな反響と批判を呼んだ。「コメント欄は『故人を利用して金を稼いでいる』とか炎上状態」。ここまで読まれたのなら、自分が書いたことに対する責任がある。「書き逃げはやらない…といった、カッコいいこともやらなくちゃ」。
多角的な蔦監督像を描くための再取材は、驚きと戸惑いの連続だった。「関係者からはいい話も悪い話も両方出てくる。『いい人だ』と思った次の週には『いや、そんなことなかった』みたいな。取材続けながら心が揺れてて、印象も次々に変わっていくんです」。本書は読み進めるたびに蔦監督のナゾが解き明かされる「ミステリー仕立て」なのだが、誰よりも著者本人が謎解きに挑んでいた。
池田は、甲子園に出た際の寄付金を野球部の活動資金に当てていた。自転車操業的構造は、カリスマたる蔦監督がいないと成り立たなかった。田中さんは、現代の高校野球も当時と本質的には変わっていないと指摘する。「甲子園が決まった瞬間に応援のためのお金集めが必要になり、応援グッズ、バス会社などのビジネスが一斉に動き出す」。割り切って寄付金を集めない…というのも難しい。「同調圧力がありますから。NHKが必ずスタンドを映すので、応援がいないと『どうなっているんだ、この県は』って必ずなる」。
盛り上がる甲子園の魅力と表裏一体と言えるお金問題。「高野連は選手らの滞在費など一部のみを負担し、それ以外は学校任せ。筋は通っているんですけど、日本的ですよね。見て見ぬふりというか…」。
◆蔦 文也(つた ふみや)1923年8月28日、徳島市生まれ。徳島商で投手として40年に春夏甲子園出場。49年に東急に1年だけ在籍したのち52年から池田高監督に就任した。74年に部員11人で挑んだ「さわやかイレブン」で春準優勝。82年夏、83年春と夏春連覇し、86年春も優勝。春夏通算14回出場で37勝し、優勝3回、準優勝2回。92年に勇退。2001年に肺がんのため死去した。
◆田中 仰(たなか・あおぐ)1992年、千葉県生まれ。34歳。上智大学卒業後、ソニー・ミュージックに入社し、1か月で退職。










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