東急8500系の「沼」

 東急では、2023年に引退した8500系電車が動態保存車両として復活し、こどもの国線で2026年5月2日に臨時列車として運行を開始しました。東急8500系は地下鉄半蔵門線への直通運転に備えて1975(昭和50)年に登場し、田園都市線(当時の新玉川線を含む)の主力として活躍した車両です。

こどもの国線の沿線には、カメラを構えた大勢のファンが詰めかけていました。

【もちろん赤帯も】8500系「色違いの顔」と車内を見る(写真)

 8500系が製造された頃は、東急線の利用者が増え続けていた時代でした。特に田園都市線の伸びが大きく、4両編成で登場した8500系は、編成が5→6→8両とどんどん長くなり最終的には10両編成、合計400両を数えるまでになりました。

 8500系の製造が終わった1991(平成3)年時点で、東急は電車を約1000両保有していましたが、その4割弱を8500系が占めていた時期もありました。

 また、製造期間が16年にわたっていたため、初期と後期では車両の形状や構造に違いがあります。さらに後年の改造や内装の手直しも加わり、たくさんの細かな違いを生む事態を招きました。同じ電車だけど、何かが違う――これが8500系の「沼」として、ファンの心に響くものとなりました。

 8500系は走行音が大きい電車としても知られています。乗り入れ先の東武線(東武スカイツリーライン)では隣の駅までの距離が長く、スピードが出ることで電車の音を楽しむにはうってつけの区間でした。8500系は現在のようにデジタル化されておらず、アナログの要素が多い車両です。電車が走る仕組みを知る上で「良い教材」となるため残された一面もあります。

 今回復活したのは、8500系の8637編成です。

田園都市線基準で渋谷方の先頭車の車号から8637Fとも呼ばれています。8500系は車体がステンレスで造られ、前面に赤帯を添えています。8500系は運転台の位置を上げた都合で前面の窓が小さくなったため、窓の下に赤帯を入れたとされています。

 8637編成も当初は赤帯でしたが、沿線のケーブルテレビのPR車両として側面とともに青帯に変わりました。後にPR車両としての役目を終えますが、引退まで青帯のままでした。今回の復活にあたり、こどもの国(田園都市線では中央林間)方の先頭車は赤帯に戻し、側面は片方だけ帯を剥がして往年の8500系の姿に戻っています。

 復活に際し10両編成から4両編成に短縮され、8500系登場時の組み合わせに戻っています。8637編成が製造された1986(昭和61)年時点では、8500系もすでに10両編成が基本で、この編成も当初から10両編成でした。しかし、後に編成を組み替えた経緯があり、4両編成に短縮された今も、3号車(8980号車)は1987(昭和62)年製の車両が連結されています。3号車は製造時に仕様変更があり、例えば客室の天井にある送風機の吹き出し口の形が異なります。

乗客に「古い電車」はどう映る?

 今回、こどもの国線で8500系が臨時列車として運転されましたが、こどもの国線に臨時列車を運転した理由は「こどもの国」の利用者の利便を図るためです。こどもの国では、イベント開催時や大型連休などに多くの利用があり、主に家族連れに利用されています。

 8500系の臨時列車も乗客の多くは家族連れで、ロングシートの座席の前にベビーカーを置いて家族団欒(だんらん)を楽しむ、といった様子でした。8500系の車内には広告がなく、広告枠には8500系が「動態保存車両」になっている旨を解説したポスターなどが掲示されています。

 多くの乗客は会話に夢中でしたが、「これって古い電車なんだね」と気付く家族連れが見られました。と言っても、沿線にはカメラを構えた多くのファンがいて、車内もファンが歩き回っているとなると、「異変」に気付くのが自然なのかもしれません。

 こどもの国線は普段、2両編成でワンマン運転が行われています。しかし、臨時列車が走る際は4両編成に増強され、後ろには車掌ではなく運転士が乗務して扉の開閉や放送を行っています。

 こどもの国線と田園都市線が接続する長津田駅では、こどもの国線の列車が短時間で折り返し作業を行っていました。これも、運転士が前後に乗っているからこそ可能なのかもしれません。長津田駅では駅係員が乗客の整理にあたっていましたが、沿線の踏切では撮影するファンに対応するべく、警備員が配置されていました。

 8500系は「古い電車」、といっても引退したのは3年前で、ファンの年齢層も比較的若い方が目立っていました。今後も、こどもの国線で8500系が臨時列車として運転されるのかもしれません。

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