◆報知プレミアムボクシング ▽激闘の記憶 第13回 WBC世界スーパーバンタム級(55・3キロ以下)タイトルマッチ12回戦 〇オスカー・ラリオス(判 定)仲里繁●(2003年4月26日、両国国技館)

 沖縄の豪腕・仲里がけんかに勝って勝負に負けた。WBC世界スーパーバンタム級5位・仲里繁(沖縄WR)が、WBC世界同級王者のオスカー・ラリオス(メキシコ)に挑戦。

スピード、パワーを兼ね備える王者に勇敢に立ち向かうが、5回にダウンを奪われる苦しい展開。それでも、沖縄ボクシング界の期待を一身に背負いリングに上がった仲里は、ハードパンチを武器に中盤以降に猛反撃。ラリオスにロープを背負わせるシーンを何度も作り、会場はヒートアップ。判定負けに終わるが、ファンの心に刺さる魂のファイトは、2003年の年間最高試合に選出された。

 仲里にはファイティングスピリットという言葉がそのまま当てはまる。アマチュア経験がなくボクシングを始めたのは22歳。ラリオス戦のチャンスをつかんだ時は30歳。スピード、テクニックが優れていたわけではないが、パンチ力と気持ちの強さは並外れたものを持ち合わせていた。試合直後のコメントは、今でも鮮明に覚えている。

 「逃げられた。もっと打ち合いたかった」

 序盤はラリオスがペースをつかんだ。仲里は打ち合いを待っているかのように、じっくり王者を見ていた。

3回になると前に出て距離をつめる。5回だ。連打を受けキャンバスに崩れ落ちるが、レフェリーはスリップと判断。だが、仲里のダメージは誰の目にも明らかだった。再開後に再び連打をもらいダウンを取られる。「生まれて初めてクリンチした」とプロ29戦目にして初のクリンチでピンチをしのぐが、流れは大きくチャンピオンに傾き始めていた。

 夢をあきらめずにようやくつかんだ世界戦の舞台。簡単にあきらめるわけにはいかなかった。そして、故郷・沖縄の期待を背負いリングに上がった。沖縄返還から4年後の1976年10月、「100年に一人の天才」具志堅用高(協栄)がWBA世界ライトフライ級王座を獲得し、沖縄から初の世界王者が誕生した。以降、上原康恒(協栄、WBAスーパーフェザー)、渡嘉敷勝男(協栄、WBAライトフライ)、友利正(三迫、WBCライトフライ)、浜田剛史(帝拳、WBCスーパーライト)、平仲明信(沖縄、WBAスーパーライト)と計6人の王者が誕生するボクシング王国となった。

 しかし、平仲以降は王座から遠ざかり、仲里には11年ぶりの王者誕生が期待されていた。

先輩王者たちも黙ってはいられなかった。浜田、平仲は特別コーチとなり打倒・ラリオスで共闘。上原はセコンドに入り、リングサイドには具志堅もかけつけた。7人目の世界チャンピオン誕生での王国復活へ、一致団結して後輩をリングに送り届けた。

 そんな思いがパワーを与えたのか、うそのようによみがえった。6回になるとダメージは残っていながらも、前に出て距離をつめ打ち合いに出る。8回、2分30秒過ぎ。左フックがヒットするとラリオスがふらつく。このチャンスに一気に襲いかかるが、不運に見舞われた。ラスト10秒で鳴る拍子木をラウンド終了と勘違いしたラリオスのセコンドがエプロンに上がるハプニングが発生。レフェリーが試合を止めたため、仲里は絶好のチャンスを逃す形となった。

 9回、仲里は自慢の強打でラリオスのアゴの骨を砕く。

手負いの王者は打ち合いを避けようとジャブをつき、足を使い距離を取った。何とか捕まえたい仲里は前に出てパンチを打つが、クリーンヒットはできなかった。ジャッジの採点は3ポイント差が1人、残る2人は6ポイント差でラリオスを支持。結果は判定負けとなったが、この日、気高いリングゼネラルシップを証明したのは、勝者よりも敗者だった。それは終了後に響き渡った仲里コールがすべてを物語っていた。

 ファンを魅了し年間最高試合に選ばれた仲里は、翌年3月に再びラリオスに挑むが、判定負けした。2005年4月にはフランスでWBA王者マヤル・モンシプール(フランス)に挑み、らしさ全開で初回から攻めていったが6回TKO負け。これがラストファイトとなった。現在は地元・沖縄でジム会長として故郷からの世界王者誕生を目指し、息子の周磨(東洋太平洋ライト級王者)を筆頭に、後進の指導にあたっている。

 ◆仲里 繁(なかざと・しげる) 1972年6月13日、沖縄県宜野湾市生まれ。アマチュアの経験はなく、94年12月にプロデビュー。97年2月に全日本新人王(バンタム級)を獲得。

2002年5月に東洋太平洋スーパーバンタム級王座を獲得。世界挑戦は3回経験するも、いずれも失敗。引退後の07年6月にボクシングクラブオキナワを開設。プロ戦績は24勝(18KO)8敗1分け。身長164センチの右ボクサーファイター。

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