©Lemino/SECOND CAREER/NAOKI FUKUDA
東京ドームでの激闘から一週間が過ぎた。WBA/WBC/IBF/WBOスーパーバンタム級タイトルを防衛した"モンスター"井上尚弥。
稀に見る好ファイトに、東京ドームを埋め尽くした5万5000人の多くは、恍惚として会場を後にした。
その余韻が残る5月5日、中谷潤人のセコンドとして大舞台に上がった岡辺大介は、実家のある岡山へ向かっていた。羽田空港に移動中の彼に、電話インタビューした。
幼い頃からボクシング中継を見て育った岡辺は、兄の後を追うように高校でボクシング部に入部。卒業後に渡米し、現地のコミュニティカレッジで学んだ。そのままアメリカに残り、トレーナーの道を歩み始める。何人もの日本人選手を指導しているルディ・エルナンデスの門下生となり、サブトレーナーとして活動するようになった。15歳の中谷潤人がアメリカ修行を始めた頃からの付き合いである。
「大きな試合でしたから、潤人は興奮していました。計量時に雄叫びを上げるなんて、見たこともない姿でしたよ。
ジムで練習中の中谷潤人選手と岡辺大介氏(写真:林壮一)
確かに、花道に現れた中谷は「やるべきことをやった」表情だった。ゴングが鳴っても、滑らかに身体を動かし、硬さは見せなかった。
「試合開始から4ラウンド終了まで、お互いにクリーンヒット、ゼロでしたね。でも、ポイントは向こうに流れるなと感じました。試合をコントロールしていたのは、やはり井上尚弥だと。
潤人の立ち上がりは最高でした。ポイントを失っていたとはいえ、頭を振って、膝を折って、重心を低くして、自分の距離でジャブを出すという、尚弥に対して立てた作戦通りのことをやっていました。
僕たちは尚弥の右を警戒していたんです。序盤に一発をもらってしまったら危ないと。右ボディにしろ、右ストレートにしろ、要注意だって何度も潤人に言いました。初回が終わってコーナーに戻ってきた潤人には『素晴らしい出来だよ』と声をかけました」
2ラウンド終了時点でも岡辺は、このままでいい、と感じた。
「とにかく、出だしで殴られて、効かされるのが一番怖かったんです。
ならば前に出て、打っていかないと勝てないですよね。生き残るためにリングに上がったわけじゃない。勝つためにやっているのですから。5回からは多少被弾してでも『出ろ』『倒しに行け!』と指示しました」
中谷は信頼するコーナーの声を受け、アグレッシブになる。オープニングから4ラウンド終了までの闘い方も、決定打をもらわず、自分の距離を保ち、細かくジャブを出す自分のボクシングが出来ていた。が、ポイントを奪うボクシング、あるいは相手を倒す闘いをしなければベルトは奪えない。
「潤人の攻撃も良かったと感じます。でも、相手のバックステップの速さが、予想を超えていました。潤人が捕まえようとしても、もうそこにいないんですよ。また、井上尚弥という選手は絶対に突っ込んで来ない。
頭を下にして、相打ちのタイミングで打ち下ろしを浴びせろ、と僕は言っていました。ただ、尚弥は今回、2発しか打ってこなかったんです。3発、4発、5発ってコンビネーションを出してくれば、どこかで潤人は合わせられたかもしれません。2発でカウンターを打つのは難しかったですね。
5ラウンドに潤人がペースを掴みかけると、尚弥はもっとバックステップするようになりました。出入りの頻度が増えたんですよ。ルディも僕も『GO』と言っていましたが、潤人は行きたくても行けなかった部分があるでしょう。的がいないんですから。で、無闇矢鱈に出てしまうと、カウンターの餌食になります。あれが、井上尚弥の技術なんですね」
それでも挑戦者は追い上げる。
「いい感じでした。ですが、終盤さらに尚弥はギアを上げました。もう、潤人を倒しには来なかった。勝ちに徹して、ポイントアウトする策でしたね」
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第10ラウンド1分50秒過ぎ、中谷は偶然のバッティングで眉間の左側を割る。
「影響は無かったと感じています。WBOスーパーフライ級王座に就いたアンドリュー・モロニー戦(2023年5月20日)でも、同じような負傷をしました。潤人は、ああいうアクシデントで動揺するようなタイプじゃありません。
それより深刻だったのは、11ラウンドに井上の右アッパーを左目に喰らって、眼窩底を骨折したことです。焦点の合わない左目をグローブで隠し、片目でのファイトを強いられました。相当の痛みがあったと思います」
追い上げていた挑戦者だったがダメージは深く、失速する。
「最終12ラウンドの前、ルディが『倒さないと勝てないから、ノックアウトしてこい!』と告げて送り出したんです。
116-112、116-112、115-113のスコアでチャンピオンが4本のベルトを守った。
「総合力で、向こうが上でした。尚弥にコントロールされましたね。技術、経験、スピードは向こうに分があるのは分かっていました。でも、我々は本気で勝ちに行ったんです。両者の差が8-2とか7-3なら、勝負にさえならなかったでしょう。まぁ、6.5-3.5くらいで、埋められる範囲だと計算していました。
最初の4ラウンドでポイントを失ったのが響いたかなと思います。僕らが慎重になり過ぎたかなと。もっと早くエンジンをかければ良かったのかもしれません。でも、チームで立てた策は間違いじゃなかったと考えます。
今振り返れば、井上尚弥のステップイン、バックステップの速さは想定外でした。潤人が打ちに行っても、もうそこにいなかった。スゲエな、と舌を巻きましたね。あれほど速いとは思いませんでした。想像を超えていましたよ。流石、井上尚弥です」
中谷はプロ生活初の負けを味わった。しかし、自分をとことん出し切った。
「僕も悔しいです。目のケガもありますし、潤人には『とりあえず、ゆっくり休め』と声を掛けました。練習の段階から並々ならぬ覚悟で、すごく頑張りました。
印象的だったのは、今回、潤人が楽しんで闘っていた点です。作り笑いじゃなく、心から笑みを浮かべていましたよね」
岡辺はこんな言葉で、筆者との会話を締め括った。
「尚弥との再戦に辿り着くことができるように、一戦一戦やっていきます。『井上尚弥を超える』という、新たな目標ができたわけですから、勝ち続けていくだけですね。もっともっと強くなると思いますよ。潤人は、誇張なしにボクシングに人生を懸けていますから」
取材・文/林壮一



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