弘前学院聖愛流「ノーサイン野球」の本質(前編)

 今年春の選抜で、初出場のエナジックスポーツ(沖縄)がノーサイン野球で話題になった。「ノーサイン」という言葉によって、相手は「何をやってくるかわからない」と警戒する。

実際、走者が出ると牽制球が増え、相手投手は打者に集中しきれていなかった。そうした揺さぶりも奏功し、エナジックは至学館(愛知)を破って、甲子園初勝利を挙げた。

 そしてこの夏も「ノーサイン野球」を掲げるチームが甲子園にやってくる。それが弘前学院聖愛(青森)である。

【夏の甲子園2025】ノーサイン野球は自由じゃない! 弘前学...の画像はこちら >>
 じつは、聖愛がノーサイン野球を取り入れたのは2019年。4年前の夏に甲子園出場した時もノーサインだったが、コロナ禍による取材制限と初戦敗退によって、大きく取り上げられることはなかった。

 昨夏の青森大会開会式で披露した笑顔で帽子を振りながら入場行進するパフォーマンスをはじめ、さまざまな取り組みで高校野球界に新風を吹き込んでいる弘前学院聖愛の原田一範監督だが、ノーサイン野球を取り入れたのは、試合に勝つためではない。そのきっかけは、ビジネスセミナーだった。

【野球型人間はいらない】

「これは、自分に向かって言っている」

 大人数の参加者がいるセミナー会場で、原田監督はそう思った。2018年3月に行なわれた倫理法人会主催の経営者対象の講演会。講演者のYouTube講演家・鴨頭嘉人(かもがしら・よしひと)さんはこんな話をした。

「これからの時代は、一回、一回監督の指示を見て動くような野球型のような組織はダメだ。トップが指示を出して、指示待ちで動くようなメンバーでは組織は立ち行かない。

これからはサッカーのように、試合中に監督はサインを出さずに選手が判断したり、試合中に監督がグラウンドにいないラグビーのように、選手が自主的に判断するようにならないとスピードが上がった時代には勝てない」

 経営者向けのセミナー。鴨頭さんは「上司の指示待ち社員ばかりだと状況判断のスピードが上がらない」というたとえ話で言ったのだが、原田監督にはこう聞こえた。

「野球型人間はいらない。自分で動くようなサッカー型、ラグビー型人間でないとダメだ」

 2001年の創部から聖愛を率い、就任以来ずっと一から十まで自分で指示を出してきた原田監督にしてみれば、思いっきり頭を殴られたような感覚だった

「鴨頭さんは野球をやっている人を否定しているわけではないんです。これからは今よりも情報が多くなってくる時代ですよね。それに惑わされないで自分で状況判断できる人間が必要だよと。自分に対して言われているような衝撃がありましたし、素直にそうだよなと思いましたね。野球は、スポーツのなかで一番状況判断が多いスポーツじゃないですか。状況は無限だと思うんですよ。

 そのなかで、プレイボールと同時に一球一球、監督のサインを見るのはどうなのかなと。以前の自分は、『打て』や『待て』のサインも出しているんですよ。『カーブ狙え』とか『ストレート狙え』とかも。

もちろん、キャッチャーのサインも一球一球出していました。それだと将棋にしか見えないですよね。試合をしているのは監督で、選手たちはただの駒でしかない」

 子どもたちの成長を邪魔しているのは自分だ。そう思った原田監督は、驚くべき決断をする。なんと、試合中にサインを出すのをやめたのだ。

【ノーサイン=自由ではない】

「鴨頭さんからは『今後はAIが主流になって、AIが全部やるようになる。情報過多の時代になって、たくさんの情報があるなかで、自分でベストの選択をしないといけない世の中に絶対なっていく』という理由も説明されたので。それでノーサイン野球をやってみようと」

 無死で走者が出た。以前はバントか盗塁か監督がサインを出していたが、選手に考えさせるようにした。盗塁ができそうなら盗塁をするし、盗塁が難しそうなら進める方法を考える。「どうしたらいいですか?」という指示待ちから、「こういう理由でこうします」と自分で考えて動く野球に変えたのだ。

 当然のことながら、「何をすべきか」は状況によって変わる。決めるためには、「なぜ、その選択をするのか」という明確な理由がなければいけない。

状況を考え、自信と根拠を持って、自分で決断することが求められる。攻撃でも守備でも1球1球考えなければいけないため、選手たちは集中するし、気づき力も高まる。何より事前の準備も怠らなくなる。
 

「考えさせる野球をすることによって生徒が育つんです。これは間違いないです。ただ、勘違いしてほしくないのは、決して自由ではないということ。みんなノーサイン野球だから自由にやっていると思っているんですよ。でも、そんなことはない。めちゃくちゃデータを取って、めちゃくちゃ打ち合わせをして、試合中にもめちゃくちゃ会話をしています。

 試合後は、『本当にその選択でよかったのか?』をすり合わせる振り返りをします。ノーサイン野球になって変わったのは、ゲームの前のミーティングの時間と、ゲーム後のミーティングの時間が長くなったこと。それと、ゲーム中の会話が圧倒的に増えたこと。

2倍とか3倍じゃないです。圧倒的に、です」

【ノーサインは本質を覚える最高のツール】

 ノーサイン野球はすぐにできるものではない。野球には無数の状況があるからだ。イニング、点差、ボールカウント、アウトカウント、走者の有無、打者が誰で走者が誰か、相手投手、打者の力量はどれくらいか、風向き、グラウンド状況、相手の守備力......。それらをすべて加味して、何をすべきかを選択しなければいけない。当然のことながら、野球を知らなければ考慮すべき条件を見落としてしまう。

 たとえば、聖愛にはアウトカウントによってどうすべきかを明確にするための 「アウトの定義」(攻撃は一死三塁、二死二塁をつくることを目標にする)がある。これを理解していないと、二死二塁から三盗するような選手が出てくる。

 たとえ相手のクセを見抜き、100%セーフになるとわかっていたとしても、この場面では自重しなければならない。なぜならその走塁によって、のちの勝負どころである「一死二塁」の場面で盗塁ができなくなるリスクがあるからだ。

 ノーサイン野球とは、選手が好き勝手にプレーすることではない。事前に徹底した教育を行ない、チームで定めたルールに基づいて判断・行動することが前提なのだ。

「打席での役割は『出る、進める、還す』。これがわからないとノーサインにならないです。アウトの定義がわからないとノーサインにならないです。状況中心のポジショニングなのか、バッター中心のポジショニングなのか。その理屈もわからないと、ノーサインにならないです。配球もピッチャー中心の配球なのか、バッター中心の配球なのか、状況中心の配球なのかわからないとノーサイン野球にならないです。

 でも、ノーサインにしたら、アウトの定義も何もない走塁なんて普通にありますからね。要は(野球を)わかってないんですよ。だから、ノーサインは本質を覚えるのに最高のツールだと思います。ただ、デメリットは圧倒的に時間がかかるということです。秋には間に合わないですね。ひと冬かけて攻略本(※原田監督がまとめた聖愛野球の基本マニュアル。

教科書のようなもの)をもとにミーティングして、ミーティングして、ミーティングして......。春になって答え合わせして、答え合わせして、答え合わせして......という感じですかね」

 もちろん、どれだけミーティングをしても、どれだけ事前教育をしても大丈夫ということはない。

つづく

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