弘前学院聖愛流「ノーサイン野球」の本質(後編)
    
「ノーサイン野球」で青森山田、八戸学院光星の2強を撃破し、4年ぶり甲子園出場を果たした弘前学院聖愛。原田一範監督が実践する「ノーサイン野球」は、徹底的な準備と対話を重ねたうえで、選手に判断を委ねている。

ただ「自由にやらせる」のではなく、「自由に判断できる力を育てる」のが狙いだ。たとえば練習試合では、逐一確認作業が必要になる。

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【ノーサインの特長は思考力の向上】

「『今のは何を根拠に走ったの?』『なんで走らなかったの?』『今の場面は、たとえアウトになっても勝負するべきランナーでしょ?』『何を根拠にバントしたの?』『なぜ一塁側にバントしたの?』とか。子どもたちは、私からこういうふうに細かく突っ込まれて聞かれるので、すごく苦痛だと思いますよ」

 公式戦の試合中も監督がやるべきことは山ほどある。事前の打ち合わせと違うことがあったら話をして修正しなければいけないし、気づきを与える言葉も送る必要がある。

「ネクストバッターには『ランナー出たらどうする? 出なかったらどうする?』とかずっと話をしています。ランナーが出た瞬間、『ここは送るところだぞ』とか。盗塁も一回走ったら『またクセがあるか見てみよう』とか『クセではもう行けないぞ』とかいう話をベンチでするんですよ。完全に監督のサインでやる野球だったら、そうした会話はないと思います。子どもたちもそこまで考えることもないだろうなと思います」

 ノーサイン野球に取り組んで3年目の2021年。聖愛は夏の県大会で八戸学院光星、青森山田を破って優勝を果たした。

「2030年にはVUCA(=物事の不確実性が高く、将来の予想が困難な状況を意味する造語)の時代になると言われています。今よりも、より厳しい時代だということです。

そこで生き抜いていくための力というのは、自分で課題解決する力です。

 ノーサインのいいとことは、考えるようになること。思考力は間違いなくつきます。やり始めた時は、当然、バカにされました。『ノーサインで勝てるわけねぇべ』って。何をやっても、常に『原田はついに勝つことをあきらめたのか』と言われます(笑)」

【ノーサインだからこそ監督の仕事は増える】

 ここまでの話を読んで、「なるほど。自分もやってみよう」と思う指導者の方がいるかもしれない。だが、事はそう単純ではない。一筋縄ではいかないのが高校生だからだ。ノーサイン野球で結果を出したことが、逆効果になったこともあった。

「ノーサイン野球だと思って入学してくる子どもたちは話を聞かないんです。『聖愛はノーサイン野球だ。指示待ち人間ではないんだ』と思っているので、指示に従うことよりも、自分で考えることを優先しようとする。

いわゆる自意識過剰ですね。入ってきた段階でのシステムエラーです。まずは教えこまないといけない」

 高校野球がどういうものか、聖愛野球がどういうものかもわからないのに、ノーサイン野球などできるわけがない。

「結局は"守破離"なんですよ。守からやらなければいけない。そう言うと『子どもたちは指示待ち人間なのか?』と勘違いされるんですが、そうではありません。最終的には離にしたい。離になるためには、段階があるということなんです」

 聖愛だからノーサイン野球ができるのではない。野球を教え、価値観教育をして、判断基準を明確にする作業をしているからできるのだ。この土台づくりをおろそかにしたり、守破離の順番を守らない限り、永遠にノーサイン野球はできない。

 ノーサイン野球をやろうとすればするほど、監督の仕事は増える。サインを出さない分、選手たちが自分で考え、自分で動くために教えこまなければいけないからだ。

【彦根総合の"ノー監督野球"に刺激】

 今やノーサイン野球が当たり前になった聖愛だが、今年の夏、原田監督が大いに刺激を受けたニュースがあった。それは、ノーサイン野球ならぬ"ノー監督野球"。彦根総合(滋賀)の宮崎裕也監督があえてベンチに入らず、スタンドから観るという決断をしたことだ。

「あれって、理想ですよね。自分もやってみたいと思っています。ベンチにいると見えないこと、わからないことが多いんです。ネット裏の方が圧倒的に見えるし、いろんなことに気づけますから。まずは練習試合でやってみようかなと」

 そう言う原田監督だが、じつは昨年夏の青森大会で"ノー監督野球"を経験している。3回戦のむつ工業戦の前に体調を崩し、発熱。ベンチに入ることができなかったのだ。ベンチ入りした大人は西中裕也部長だけ。原田監督は自宅で静養しながらネット中継で試合を観た。

「ベンチにいないからこそわかることがたくさんありました。あれもやってない、これもやってないって。試合後のミーティングでも、ベンチにいたら言えなかったことをたくさん言えましたよ。まぁ、一番の収穫はベンチに監督がいなくてもいいんだとわかったことなんですけど。自分がいなくても普通にできるじゃんって(笑)」

 エナジックスポーツ(沖縄)の神谷嘉宗監督は「選手に任せて、監督は笑って見守っているだけ」と言っていたが、聖愛のノーサイン野球は、徹底したミーティング、打合せをしたうえでの"準備野球"。

 そのうえで、試合中にもヒントや気づきを与える助言をし、間違っている選手がいれば声をかけて修正を促す。春のエナジックとは違ったノーサイン野球のかたち。聖愛流ノーサイン野球に注目してほしい。

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