関節技の鬼 藤原喜明のプロレス人生(17)
(連載16:「旅館破壊事件」の記憶 殴り合った前田日明と武藤敬司の翌朝のやりとりを明かす>>)
プロレスラー藤原喜明はサラリーマンを経て、23歳で旗揚げ間もない新日本プロレスに入門。アントニオ猪木、カール・ゴッチの薫陶(くんとう)を受け、道場で関節技の技術を磨き、新日本プロレス最強伝説の礎を築いた。
そんな藤原が激動の人生を振り返る連載の第17回は、前田日明の「顔面襲撃事件」と解雇、自身の異種格闘技戦について語った。
【猪木が私生活で揺れるなかで起きた事件】
1987年の秋、長州力が掲げた「世代闘争」は約3カ月で消滅した。当時の藤原は、新日本プロレスと敵対するUWFに所属していたが、アントニオ猪木への敬意は不変だったという。
猪木は同年に、妻で俳優の倍賞美津子と離婚した。美津子は新日本の旗揚げ当時から公私にわたって団体をサポートし、選手とも交流があった。藤原も、猪木と美津子の夫婦は「ベストカップルだよ」と明かすほど仲睦まじかったようだが、離婚について当時はどう受け止めたのだろうか。
「私生活は私生活。俺らは組まれた試合を一生懸命やるだけ。ほかのことはどうだっていいんだよ」
そう言って一度は口を閉ざしたが、記憶を思い起こすように離婚の理由を予想した。
「本当のところは知らないけど、猪木さんは美津子さんに愛想をつかされたんだと思うよ。猪木さんのやることが、あまりにも常識外れだからな。普通の会社なら『本当に儲かるのか?』って思いとどまるところを、金の勘定をしないで次から次へとやり続けただろ? まぁ、猪木さんに『なんで別れたんですか?』って聞いたこともねぇし、今となっては確かめようがないけど、俺はそう思うな」
リング上でもある事件が起きた。
11月19日の後楽園ホール大会。
【新日本を解雇された前田がUWF再興へ】
前田に顔面を蹴られた長州は右目が大きく腫れ上がり、前田に食ってかかった。前田も挑発し、両軍が入り乱れる異様な状況となった。最終的には、長州がリキラリアットで髙田を倒して試合を終わらせたが、不穏な空気は残ったままだった。
長州は試合後、病院で全治2週間の診断を受けた。一方の前田は、看板選手にケガを負わせた責任を問われ、新日本から無期限の出場停止と、自宅謹慎の処分を通告された。そして翌年に、前田は新日本を解雇された。
この「顔面襲撃事件」について、藤原はこう捉えていた。
「試合ではよくある事故だよ。俺に言わせれば、ごく普通の出来事だ。だけど、前田を嫌いな連中たちが大きく騒ぎたてて、『アイツをクビにしちまえ』ってなったんじゃねぇかな」
当時、猪木はこの事件について「卑怯千万。プロレス道にもとる」と断じた。かつてグレート・アントニオの顔面を蹴り上げてKOした猪木が発した言葉に、藤原は違和感を抱かなかったのだろうか。
「猪木さんは社長だったからな。前田を辞めさせる口実みたいなものを言わなきゃいけなかったんだろう。俺は団体の経営にはまったく関わっていないし、事務所でどんな話し合いが行なわれたかも知らない。ただ俺が思うには、あの時の猪木さんは、何かを言わなければいけない状況だったんだろうなって思うよ」
前田の解雇が決まった時、藤原は猪木、副社長の坂口征二に直談判した。
「猪木さんと坂口さんに『なんとかなりませんか』って言ったんだけど、『ならない』の一点張りだったな。『じゃあ、しょうがねぇな』って思うしかなかったよ。俺らプロレスラーは個人事業主だからな。それ以上、構っている暇はなかったんだ」
新日本を解雇された前田は、UWF再興へ動く。UWFに所属していた髙田、山崎一夫、中野龍雄(現・巽耀)、安生洋二、宮戸成夫(現・優光)と新日本を離脱。ユニバーサル時代から行動をともにしてきたフロントスタッフと一緒に、新生UWFを設立した。藤原にも、前田から誘いの声がかかったという。
「前田から『来てください』って言われたよ。
【流血の異種格闘技戦】
選手が少ないままスタートしたUWFだったが、1988年5月12日に後楽園ホールで旗揚げすると、チケットは即完売、8月13日には有明コロシアムでの興行を成功させるなど時代の寵児となった。
芸能事務所やイベント会社などと協力し、月1回の試合を開催した。選手の入場式ではレーザー光線を使った斬新な演出を取り入れ、チケット販売方法はチケット販売代理業を活用。さまざまな取り組みのおかげで、人気コンサートにも匹敵するプラチナチケットとなった。解雇されたマイナスをプラスへ転化させた前田と、UWFの盛り上がりについて、藤原は「うれしいなと思ってたよ」と振り返る。
一方で、前田を解雇した新日本は人気が低迷。興行は苦戦が続いたが、藤原は変わらぬ存在感を発揮していた。なかでも7月29日に有明コロシアムで行なわれた、キックボクサーのドン中矢ニールセンとの異種格闘技戦は壮絶な激闘になった。
ニールセンは、1986年10月9日に前田と対戦して敗れはしたが、その名前はプロレスファンの間で浸透していた。88年5月8日には、山田恵一を相手にKO勝ち。その山田の仇を討つ形で、藤原が対戦に名乗り出たのだ。
3分7ラウンドの一戦で、藤原はニールセンの容赦ないパンチ、蹴りを顔面に浴びた。そうして顔面から流血しながらも、アキレス腱固めなどの関節技で追い込んだ。最後は、5ラウンドに左ハイキックを顔面に浴び、おびただしい流血によるレフェリーストップ。藤原はTKO負けを喫した。
「異種格闘技戦というのは、相手がどんなことをするかわからないんだ。慣れてないから、勝つこともありゃあ負けることもある。今思えば、もうちょっと早くタックルに行ければよかったなとは思うよ。だけど、終わってからどうこう考えてもしょうがねぇ。勝負には"たられば"はないからな。最後にいいハイキックを入れられた。それだけだよ」
ニールセンとの激闘を終えた翌年、時代は昭和から平成に移った。その年に、藤原は新日本を退団し、再びUWFへ合流したのだ。
(敬称略)
つづく
【プロフィール】
藤原喜明(ふじわら・よしあき)
1949年4月27日生まれ、岩手県出身。1972年11月2日に23歳で新日本プロレスに入門し、その10日後に藤波辰巳戦でデビュー。カール・ゴッチに師事し、サブミッションレスリングに傾倒したことから「関節技の鬼」として知られる。1991年には藤原組を旗揚げ。現在も現役レスラーとして活躍するほか、俳優やナレーター、声優などでも活動している。陶芸、盆栽、イラストなど特技も多彩。



![[アシックス] ランニングシューズ MAGIC SPEED 4 1011B875 メンズ 750(セイフティー イエロー/ブラック) 26.0 cm 2E](https://m.media-amazon.com/images/I/41dF0gpSbEL._SL500_.jpg)
![[アシックス] ランニングシューズ PATRIOT 13 1011B567 メンズ 010(ブラック/デジタルアクア) 25.5 cm 3E](https://m.media-amazon.com/images/I/41ZS3Bh2dVL._SL500_.jpg)
![[アシックス] ランニングシューズ GEL-KAYANO 31 1011B867 メンズ 001(ブラック/ブラック) 27.0 cm 2E](https://m.media-amazon.com/images/I/418iZuXV-tL._SL500_.jpg)




![【日本企業】 ぶら下がり健康器 懸垂バー 懸垂マシン [コンパクト/10段調節/日本語説明書/2年保証] 筋トレ チンニングスタンド (ブラック)](https://m.media-amazon.com/images/I/41B0yIoAZrL._SL500_.jpg)
![[Xiyaoer] 靴下 メンズ くるぶし 10足セット夏用 【吸汗 防臭 綿】 カラフルソックス カジュアルソックス 綿 24-27cm 靴下 おしゃれ スポーツ くつした メンズ 男性用 ビジネス クルーソックス くつ下 通気性 吸汗速乾 リブ柄 (10足セット6)](https://m.media-amazon.com/images/I/51dJIW6OMFL._SL500_.jpg)