連載第100回
サッカー観戦7700試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
現場観戦7700試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
北中米大会でじつに14大会連続のW杯観戦になる後藤氏。
【1974年大会でとても新鮮だった「3本線」】
僕が初めてW杯を見に現地に行ったのは1974年の西ドイツ大会だったが、大会で目を引いたのが選手たちのユニフォームだった。肩から腕にかけて袖にアクセントとして「3本線」が入っていたのだ。
あれから半世紀以上が経過したものの「3本線」はいまだ健在。今では古典的なデザインのようにも感じられる。2026年W杯に出場する日本代表のユニフォームにも青地に白く、くっきりと「3本線」が描かれている。
しかし、1974年W杯で初めて「3本線」のユニフォームを見た時は実に新鮮だった。
というのも、それまでサッカーのユニフォームというのは極めてシンプルなデザインばかりだったからだ。
クラブレベルではインテルやミランのような縦縞のユニフォームは珍しくなかったし、セルティックはグリーンと白の横縞で背番号がなく、パンツに大きな数字が描かれているユニークなものだった。あるいは、アーセナルは名将ハーバート・チャップマンが1930年代に考案したという、胴が赤で腕が白の独特のユニフォームを着用していた。また、1973年まで欧州チャンピオンズカップ(現チャンピオンズリーグ/CL)で3連覇したアヤックスの白と赤のユニフォームも目を引いた。
だが、ナショナルチームのユニフォームはほとんどが無地の単色で、左胸に各国協会の紋章が付けられているだけのきわめてシンプルなものだった。
イングランドは白で、スコットランドは紺。
そこにはなんのデザインも装飾もないのが普通だった。サッカー大国で単色でないのはセレステ・イ・ブランコ(青白縦縞)のアルゼンチン、赤襷のペルーくらいのものだった。
だから、袖に「3本線」が付いているだけでとても新鮮だったのだ。
【「3本線」と「2本線」】
「3本線」は、もちろんアディダス社のトレードマークだ。
1950年代以来、シューズには各社独特のデザインがほどこされており、とくにアディダスの「3本線」は有名だった。
僕がサッカーを始めた1960年代には、日本にも「3本線」を模倣したシューズが出回っていたし(現在では許されないことだろうが......)、サッカー専門誌にはアディダスの広告も載っていた。
しかし、プーマのシューズはまだ見たことがなかったので、1966年W杯イングランド大会の記録映画『ゴール』のなかで得点王になったエウゼビオが履いていたプーマのシューズを見て、「あの波のようなラインはどこのメーカーなんだろう?」と不思議に思ったことがある。
アディダスは、1974年大会ではその「3本線」をユニフォームの袖およびパンツの側面、ストッキング上部に付けてしまったのだ。そのことによって「W杯出場国の大半がアディダスのユニフォームを着用している」という事実を世界中に知らしめた。
ただし、例外がふたつあった。
ひとつは、見事に開催国優勝を果たした西ドイツ代表のユニフォームには「3本線」が付いていなかったのだ。トレーニングウェアなどにはたしかに「3本線」が付いていたのに、白と黒のユニフォームには付いていなかった。
つまり、アディダスは自らのルーツである西ドイツ代表に関しては(「無地の白」という)伝統を守ったのだ(西ドイツのユニフォームに「3本線」が付けられたのは1982年のスペイン大会から)。
もうひとつの例外は、この大会を象徴するオランダのスーパースター、ヨハン・クライフだった。
この大会のオランダは守備ラインを高く上げてオフサイドトラップを仕掛け、ポジションに関係なく攻撃に参加し、前線から相手ボールに対してプレッシャーをかけていく革新的なサッカーで世界を魅了した。いわゆる「トータル・フットボール」だ。
そのオランダもアディダス製のユニフォームを着用していたから、オレンジのユニフォームの袖には黒い「3本線」が付いていた。ところが、キャプテンのクライフだけは「3本線」でなく「2本線」だったのだ。
掲載の写真でも、右のヨニー・レップ(背番号16)が「3本線」なのに対して、中央のクライフは「2本線」なのがわかる。
これは、クライフが個人的にアディダスのライバルであるプーマと契約していたからだ。
【アディダスとW杯】
アディダスは靴職人だったアドルフ・ダスラーによって設立されたドイツのシューズ・メーカー。アドルフの愛称「アディ」にダスラーの「ダス」を加えて社名としたのだ(ちなみに、アドルフの兄のルドルフが設立したのが「プーマ」社)。
アディダスのシューズを一躍有名にしたのは、1954年のスイスW杯だった。
当時、自他ともに認める世界最強だったのは、国際試合で4年間無敗を誇り(28勝4分)、1953年には聖地ウェンブリーでイングランドを6対3で破ったハンガリー。「マジック・マジャール」の異名を取り、W杯でも絶対の本命視されていた。
しかし、西ドイツとの決勝戦が行なわれたベルンのヴァンクドルフ・スタジアムは豪雨に見舞われた。そして、ハンガリーの選手たちは緩んだピッチに足を取られて苦戦したのに対して、アディダスが開発したばかりの交換式ポイントのシューズを履いた西ドイツ代表が優位に立ち、結局、西ドイツが3対2で逆転勝利してW杯初優勝を遂げたのだった。
アディダスはサッカー界で圧倒的なシェアを誇る存在となっていく。また、アドルフ・ダスラーはFIFAとの関係も強化してオフィシャル・サプライヤー的な存在となり、1970年のメキシコ大会以降、W杯では常にアディダスのボールが公式球として使用されることになった。
さらに、1970年代以降はアドルフの息子であるホルスト・ダスラーが実権を握ってスポーツ広告代理店ISLを創設。IOC(国際五輪委員会)のフアン・アントニオ・サマランチ会長やFIFAのジョアン・アヴェランジェ会長との人脈を生かして、世界のスポーツ界の商業化を進めた。
あれから半世紀が経過して、サッカーのユニフォームはますます多彩になっており、今年のW杯ではアメリカ代表が赤白ストライプという奇抜なデザインを採用。メーカーも伝統のアディダス、プーマに加えて、アメリカ発祥のナイキが3大勢力をなして競い合っているようだ。
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