連載第101回
サッカー観戦7700試合超! 後藤健生の「来た、観た、蹴った」
現場観戦7700試合を達成したベテランサッカージャーナリストの後藤健生氏が、豊富な取材経験からサッカーの歴史、文化、エピソードを綴ります。
北中米大会でじつに14大会連続のW杯観戦になる後藤氏。
【観戦スケジュールを立てる】
W杯というのはとても大規模な大会だ。とくに、2026年大会からは出場国数が48に拡大され、なんと104もの試合が行なわれる。アメリカ、カナダ、メキシコの16の会場は北米大陸全体に散らばっていて、長距離移動や時差、気候の違いが各チームのパフォーマンスにも大きな影響を及ぼすに違いない。
選手たちにとって、この長丁場の大会をいかにいいコンディションで戦い抜くかは成功の鍵と言っても過言ではない。事前の準備や暑熱対策など、その国のサッカー協会のサポート力も試される。
僕たちも、大会中はいいコンディションを保って観戦を続けたいものだ。
4年に一度のW杯のたびに、僕たちは試合の日程表や地図を片手にスケジュールを立てなければいけない(実は、これこそが最も楽しい作業なのかもしれないが......)。
2026年大会について言えば、日本代表がダラスで2試合を戦うことで移動を少なくできる。ダラスにずっと滞在していれば2試合観戦できるのだ。しかも、ダラスにいればイングランド対クロアチアという好カードも見られるし、アルゼンチンの試合も2試合ある。さらに、同じテキサス州内のヒューストンまで足を延ばせば、ポルトガルの試合も観戦可能だ。
僕の知り合いのなかにも、「メキシコのモンテレイで行なわれるチュニジア戦はパスして、ずっとダラスに滞在する」という人が何人かいる。
【夜間の移動】
僕が人生で最初に現地までW杯を観戦に行ったのは1974年の西ドイツ大会だった。当時、僕は大学生で、もちろんサッカー観戦が仕事になるわけでもないので、ひたすら倹約を心がけてプランを作った。
宿泊費を浮かすために「なるべく夜行列車を利用しよう」と考えたのだ。
ただ、西ドイツ(ドイツ連邦共和国)というのはそれほど大きな国ではなかった。
ドイツは第2次世界大戦後、東西に分断されていて、東部は東ドイツ(ドイツ民主共和国)という別の国だったので、西ドイツの国土は南北に細長かった。
寝台列車を利用しようと思っても、近距離では列車はすぐに目的地に着いてしまうから、なるべく南北に行ったり来たりしながら観戦したのを覚えている。
中部のフランクフルトで開幕戦(ブラジル対ユーゴスラビア)を観戦してから、2日目は北西部のドルトムントに移動してスコットランド対ザイール(現コンゴ民主共和国)。3日目は南部シュトゥットガルトでアルゼンチン対ポーランドといった具合である。
それから52年が経過したのだが、今年の大会でも僕は宿泊費や飛行機代を浮かすために、モンテレイでのチュニジア戦のあとはダラスまで深夜バスで十数時間かけて移動するつもりだ。半世紀も経ったというのに、同じようなことをいまだにやっているわけである。
【ベースキャンプを作る方法】
最も楽なのは、大会中、1カ所に宿を取ってベースキャンプにする方法だ。
たとえば2006年のドイツ大会の時はフランクフルト中央駅近くの部屋を借りて、そこから列車に乗って各都市を行ったり来たりした。欧州では鉄道網が発達していて利用しやすいし、なんと言っても少ない荷物で移動できるのはありがたい。
2018年のロシア大会の時も、モスクワ市内にアパートを借りた。
とても古い建物だった。
旧ソ連時代に共産党政府は労働者向けに大量のアパートを建設した。とくに、1950年代から60年代にかけて指導者(第1書記)だったニキータ・フルシチョフは数多くのアパートを建てたことで有名だ。僕が泊まったアパートも、おそらく、その当時のものだったのだろう。ガタガタと揺れる、鋼鉄製の重たそうなエレベーターが付いていた。
築60年で室内もボロボロ。洗濯物を干そうと思って窓枠に手を懸けたら、木が腐っていたのか窓枠が壊れてしまったこともあった。
ただ、大きな冷蔵庫とガスコンロがあり、大きなバスタブがあったのはありがたかった。
試合はロシア各地で行なわれたが、ロシア大会では記者団だけではなく、チケットを購入したサポーターも無料で利用できる夜行寝台列車が大量に運行された。
モスクワから夜行寝台に乗れば試合当日に現地に到着。試合後は再び夜行寝台列車でモスクワに帰るのだ。
日本がセネガルと対戦したエカテリンブルクやポーランド戦があったヴォルゴグラードは距離が遠いのでチケットを買って飛行機を利用したし、ヴォルゴグラードの試合のあとはモスクワに帰らず、直接次の試合開催地のカザンに向かったので、そういう場合は料金を払って飛行機や列車を利用したが、基本的には都市間移動は無料で済んだ。
そして、夜行列車でモスクワに帰ってきたら、地下鉄とバスを乗り継いでアパートに戻って、バスタブにたっぷりの湯を張って入浴して疲れを癒し、昼寝をしてから次の試合会場に向かうことができた。
アパートの窓からの眺めは空が大きく、緑が豊富で、遠くには有名なテレビ塔も見ることができ、1カ月もいると本当に我が家のような気がしてきたものである。
【W杯観戦の理想的な環境とは】
ベースキャンプ探しに苦労したのは2010年南アフリカ大会だった。
なにしろ、南アフリカ共和国は治安が悪いので有名だった。「アフリカーナー」と呼ばれるオランダ系白人たちの政府が長年、悪名高い「人種隔離(アパルトヘイト)政策」を実施してきたため、民主化された今でも人種間の対立は根深く、アフリカ最大の経済規模を誇る一方で、不利な状況に置かれている黒人たちは貧しい生活を送っている。
最大の都市ヨハネスブルグにはそんな黒人居住区が点在し、都心部も非常に犯罪が多いので有名だった。
安全な地域もあるのだが、そういう場所のホテルはどこも高い......。
そこで、僕はヨハネスブルグ郊外の宿泊施設に目を付けた。
塀に囲まれて、24時間警備員が巡回している宿泊施設だ。ヨハネスブルグと首都のプレトリアの中間付近のミッドランドという町にはそんな施設が点在していた。
僕は「ビッグツリー」というゲストハウスを見つけた。
問題は交通だった。
鉄道やバスなどの公共交通機関で都心に向かうのはちょっと(いや、かなり)危険そうだった。自動車を利用するのがいちばんいいのだが、僕は自慢ではないが運転免許を持っていない......。
そこで、僕は運転が好きそうな同業者(ジャーナリストやフォトグラファー)に声をかけたのだ。約10人が参加した。そして、大会中は3台のレンタカーを借り切りにして、試合会場まで往復した。近くのヨハネスブルグやプレトリアだけでなく、日本が初戦(カメルーン戦)を戦ったブルームフォンテーンやデンマークと対戦したルステンブルクまでは自動車で往復可能だったし、ケープタウンのような遠隔地に行く時も空港まで自動車で行き来することができて、とても便利だった。
「ビッグツリー」(僕たちは「大木旅館」と呼んでいた)という施設は、敷地内にコテッジが立ち並んでいる構造で、名前の通り芝生の庭の真ん中には大きな木が立っている緑豊かな施設だった。経営者の家族もいい人たちばかりだったし、いつも帰ってくると大きな犬が出迎えてくれた。また、緑豊かな庭ではブライ(南アフリカ式のバーベキュー)パーティーをすることもできた。
気候的に寒くて、電力不足で暖房が十分でなかったことを除けば、「ビッグツリー」ではとても楽しい1カ月を過ごすことができたのである。
しかし、W杯観戦のための理想的な環境は2022年大会が開かれたカタールだったのではないだろうか。
なにしろ、試合はすべてドーハかその近郊都市で行なわれた。
参加チームにとっても移動距離は短くて済むし、気候的な違いがないので公平な大会となった。
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