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【昨年から見せ始めた安定感】

 ガールズケイリンで活躍する鈴木奈央(静岡・110期)は、笑顔が似合う。

 今回のインタビュー中も、照れ笑いなのか、無意識なのか、何度も朗らかな笑い声をあげ、聞いているほうを自然と笑顔にさせてくれた。そんな彼女の人柄から、イベント出演や自転車競技の解説者を務めるなど、活躍は多方面にわたる。

 昨年は4開催あるGⅠすべてに出場を果たすと、今年4月のオールガールズクラシックで自身初となるGⅠ決勝に進出。8月のGⅠ女子オールスター競輪では準決勝を走るなど、本来の実力を発揮しつつある。その理由を本人はこう明かす。

「(2023年に)GⅠができてからモチベーションをキープしやすくなって、2025年はGⅠにすべて出場することを目標にしたら、それをクリアできました。今年は準決勝突破を目標にしていましたが、それもクリアできたので、少しずつ前進してきた感じです」

 鈴木は現在29歳。ガールズケイリンのデビューから今年で11年目だ。ただ、数年間はナショナルチームの中距離選手としても活躍してきた。

 主戦場とした種目は、4人1組でトラックを4km走る「チームパシュート」で、得意な種目はトラックを10km走る「スクラッチ」。短距離のケイリンとは必須とされる能力が異なるが、ガールズケイリンでも中距離で鍛えたレースの読みや自在な立ち回りは生かされている。

「(どの選手の後ろにつくか)切り替えていくレースは得意で、並走もすごく得意です。ガールズケイリンで1着を狙うために自分がどうしたらいいかと考えた時に、中距離で学んだことを生かせたほうが自分の強みになるんじゃないかと思ってから、走り方が変わりました。今は切り替えながら立ち回るレースを心がけています」

 そう笑顔で快活に答える鈴木は、ファンからの人気も高い。

心底楽しそうに笑うその表情や、若くして才能を発揮し常に注目を集めてきたその道のりから、これまでずっと日の当たるところを歩んできたように感じる。

 しかしその笑顔からはうかがい知れない苦難も経験してきた。

鈴木奈央の笑顔に隠された素顔「もう願書は出したから」と強行突破し入学も「泣き崩れた」過去、オリンピック断念の苦悩も明かす
ガールズケイリンを彩る選手のひとり photo by Manabu Takahashi

【高校から華々しい活躍】

 小学生時代から自転車に興味を持ち始め、地元の大会で結果を出していた鈴木。中学生時代もバレーボール部に所属する傍ら、自転車は続けていた。そして高校から自転車競技部に入り本格的に始めると、いきなり才能を発揮する。

 1年生ながら全国高校選抜自転車競技大会でケイリンで頂点に立ち、500mタイムトライアルでは大会新記録で優勝。ジュニアのナショナルチームにも所属し、将来を嘱望される選手となった。

 海外遠征にも行くようになり、2年時にはアジアジュニア選手権のスクラッチで優勝。3年時には同大会でケイリン、チームパシュート、スクラッチの3冠を達成するなど、世界の舞台でも好成績を連発した。鈴木は「高校の時は楽しかった」と当時を振り返る。

 夢は東京オリンピックへの出場だった。鈴木が1年時の2013年に、東京での開催が決定。自転車競技トラックの開催地は、地元・静岡にある伊豆ベロドロームだった。

富士市出身の彼女にとって、伊豆は「地元中の地元」という感覚。「オリンピック出場だけを目指していた」と好成績にも満足することなく、日々努力を重ねた。

 その夢の最短コースとして選んだのが、日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)。しかし父親の反応は芳しくなく、「初めて言い合いになった」という。

「大学に行かないのが心配だったと思いますが、オリンピックに出場するためには、わざわざ関東の大学に行って練習をするよりも競輪学校に入ってずっと伊豆にいたほうがベストだという感じで納得させました。『もう願書は出したから』と強行突破しました」

 当然のように日本競輪学校には一回で合格。高校卒業後に入学した。

 ちなみに彼女の進路に難色を示していた父親は「今は一番応援してくれています」(鈴木)と、娘の活躍を誰よりも喜ばしく思っている。

 次世代を担う大器として日本競輪学校に入学した鈴木だが、彼女を待っていたのは過酷な毎日だった。

「私は中距離がメインだったんですが、競輪学校では短距離の練習ばかりでした。ナショナルチームに所属しているなら(短距離も)できるだろうという印象で見られていました。(ナショナルチームの)海外遠征には連れて行ってもらえましたが、遠征から帰ってきて、時差ボケの状態でT教場(※)で練習してと。

もうきつすぎて部屋で泣き崩れていました」
※当時の校長・瀧澤正光氏が将来有望な候補生たちを直々に指導した教場

 救いとなったのは同期の候補生の存在。「ジュニア世界選手権の前には、激励の寄せ書きを贈ってくれたり、出席できなかった学科のノートを見せてくれたり」と、多大なるサポートを受けた。日本競輪学校とナショナルチームの両立も仲間たちの支えで何とか乗り越えることができ、見事成績1位で卒業。これも「仲間に恵まれた」と本人は強調する。

 そして2016年、19歳の時に、晴れてガールズケイリンデビューを果たした。

鈴木奈央の笑顔に隠された素顔「もう願書は出したから」と強行突破し入学も「泣き崩れた」過去、オリンピック断念の苦悩も明かす
「自転車が大好きだったので、唯一ずっと続けられた」という鈴木 photo by Noto Sunao(a presto)

【失意からの決断】

 鈴木はガールズケイリンデビュー後、しばらくはナショナルチームと並行して活動していたが、東京オリンピックが近づくにつれて徐々に競技のほうにシフトしていった。

「オリンピックを本気で狙うのであれば、競技だけに集中しなくてはいけないという覚悟が出てきました。遠征も頻繁にあって、オーストラリアで3カ月半くらいの合宿をしたり、スペインでのロード合宿では崖みたいな山を登ったりしていました」

 この本気度が成績にも表れ、2017年にはUCIトラックワールドカップ第2戦のチームパシュートで銅メダルを獲得。翌年にも同シリーズで銅メダルに輝いた。チームのメンバーも「本当に出場できるかもしれない」と感じ始めていた。

 しかし「他の国もオリンピックに向けて仕上げてきて、タイムをどんどん伸ばしてきた」ため、日本は苦戦を強いられてしまう。

「東京オリンピックの出場枠は8チームで、日本は(五輪出場資格ランキングで)9位とか10位の位置。なかなかそこに入れませんでした。

だから2019年の時にもう出場は厳しいと判断されてしまいました」

 ランキングを常に意識していた鈴木は、チームパシュート強化終了の判断についても驚きはなく、受け入れざるを得なかった。ただ東京オリンピック出場の夢が絶たれたことで、気持ちが沈み、数日間は何も手につかなかったという。

 それでも鈴木は前を向こうと意識を切り替え、競技を続けるつもりでいた。しかしその気持ちに水を差したのが、新型コロナウイルスのまん延だった。

「レースも海外遠征もほぼなくなってしまったので、何のために競技をやっているんだろうと思っていました。次のパリ大会まで続けたほうがいいのか、ガールズケイリンに専念したほうがいいのか迷っていました」

 外出もままならず、コーチから与えられたトレーニングメニューをひたすら自宅でこなす日々。「モヤモヤした期間が2年くらい続いた」と話す。

 2021年夏の東京オリンピックが終了し、モチベーションの維持に苦慮していた頃、決断せざるを得ない状況が訪れた。

「オリンピックの数か月後に世界選手権があったんですけど、コーチからオムニアム(※)でひとりだけ連れていくと言われたんです。そこを目標にしていたんですが、私は補欠になってしまいました。その時にもう無理かなと思いました」
※4つの異なる種目で総合成績を競う複合競技

 その時、鈴木は24歳。15歳の時から9年間、オリンピック出場だけを目指してナショナルチームで血のにじむようなトレーニングを積んできたが、とうとう決断の時がきた。

 競技からの引退――。

 2021年12月に行なわれた全日本自転車競技選手権大会を、競技での最後の舞台とした。そこで鈴木はエリミネーション、オムニアム、スクラッチ、マディソンと4つの種目で優勝。美しいフィナーレだった。本人も「やりきった」と感じ、以降、ガールズケイリンに専念することになった。

鈴木奈央の笑顔に隠された素顔「もう願書は出したから」と強行突破し入学も「泣き崩れた」過去、オリンピック断念の苦悩も明かす
ガールズケイリンでも存在感を発揮しつつある鈴木 photo by Manabu Takahashi

【まずはGⅠ決勝確定板】

 ガールズケイリンに専念して4年半が経つが、当初は「中3日のレースがすごくきつかった」と話す。

「競技は世界選手権などの大会に向けて調整をして、大会が終わったら1~2週間オフが入る感じでリフレッシュ期間があったんですが、ガールズケイリンは次から次にレースがきて、しかもモーニングやミッドナイトもあって時間帯にばらつきがあるので、それをうまくこなせなかったです」

 さらに練習環境の変化も成績に影響を与えていた。

「高校からすぐにナショナルチームに入ったので、食事も含めて、練習やウエイトトレーニングも与えられたメニューをやるだけで、自分で考えて練習をすることがなかったんです。ガールズケイリンの選手はコーチがいるわけではなくて、自分で練習メニューを考えなくてはいけないんですが、その環境が自分にとっては初めてでした。それが難しくて......」

 それでもガールズケイリンのリズムに少しずつ適応していくと、成績も上向き始め、前述のように昨年はすべてのGⅠ開催に出場できた。GⅠ決勝を経験した今、今後はさらに高みを目指していく。

「目標は、ガールズグランプリ出場と言いたいところですが、コツコツやるのが自分には向いているので、まずはGⅠ決勝で確定板に乗ることを目標にしています」

 今はガールズケイリンでも上位を狙える位置におり、充実期に入ろうとしている。

安定して成績を残せるようになってきているのも、競技での経験とオリンピック落選の悔しさ、そしてコロナ禍という霧の中でもがいてきた過去があるからだ。

「(コロナ禍での自宅練習は)孤独な時間でしたけど、いろいろと考えた時間もありましたし、ひとりで練習することもなかなかできないことなので、その部分でも少しは成長できたかなと思います。遠回りになってしまったかもしれませんが、ひたむきに頑張ることは間違いではないし、今に生きているのかなと思えます」

 インタビュー中、辛い過去の話をしていても、最後には微笑み、ポジティブな気持ちを表していた鈴木。厳しい現実にも常に前向きで、そして笑顔で――。そんなガールズケイリン人生を彼女はこれからも歩んでいくような気がした。

鈴木奈央の笑顔に隠された素顔「もう願書は出したから」と強行突破し入学も「泣き崩れた」過去、オリンピック断念の苦悩も明かす
さらなる飛躍を誓う鈴木 photo by Noto Sunao(a presto)
【Profile】
鈴木奈央(すずき・なお)
1997年2月9日生まれ、静岡県出身。小学2年から自転車競技を始め、高校から自転車競技部に入る。1年時にケイリンと500mTTで優勝し、ジュニアのナショナルチームにも選ばれる。3年時にはアジアジュニア自転車競技選手権のケイリン・チームパシュート・スクラッチで3冠を達成した。高校卒業後に日本競輪学校(現日本競輪選手養成所)に入学し在校成績1位で卒業。その後はガールズケイリンで戦いつつ、競技では中距離選手として活躍。2021年末に競技から引退し、22年よりガールズケイリンに専念している。

text by Sportiva

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