世界が見た日本代表(後編)

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 日本に対する世界の評価は、さらに一歩先へ進んでいる。「強いチーム」という評価だけではない。

今、多くの名将たちが日本を「学ぶべきチーム」として語り始めているのである。象徴的な言葉を残したのが、元オランダ代表監督のルイス・ファン・ハールだった。彼はオランダのテレビ番組でこう語っている。

「日本は自分たちの戦術的アイデンティティーを非常に明確に示した。規律ある組織とチームワークが個人の能力を上回ることを証明した。彼らのプレッシングと素早い切り替えは、多くの国が手本にすべきものだ」

 かつて世界のサッカーは、「個」の力が勝敗を決めていた。もちろん、今でもスーパースターの存在は大きい。しかし、現代サッカーではひとりの天才だけでは勝てない。11人が同じ絵を描き、同じタイミングで動くことが求められる。その意味で、日本は世界でもっとも完成度の高いチームのひとつだと、ファン・ハールは評価したのである。

【ワールドカップ】サッカー日本代表を名将たちはどう見たか フ...の画像はこちら >>
 その考え方は、ドイツ代表の新監督に就任するユルゲン・クロップとも共通している。レッドブルのグローバル・サッカーで責任者を務めていた当時、彼はスタッフたちにこう語っている。

「私はこれまで何人もの日本人選手を指導してきた。彼らは誰よりも学ぼうとし、誰よりも努力する。チームのために自分を犠牲にすることをいとわない。今の日本代表の強さは、決して偶然ではない」

 香川真司や遠藤航を身近で見てきたクロップが語ったのは、戦術でも技術でもない。日本サッカーを支える文化そのものだった。

 新しいことを吸収する姿勢、細部をおろそかにしない真面目さ、そして自分よりもチームを優先する価値観。そうした積み重ねがあるからこそ、日本は監督が代わっても、選手が入れ替わっても、大きく崩れることなく成長を続けてきたのだろう。

 現在バルセロナを率いているハンジ・フリックは、日本のプレーにかつてのドイツ代表の面影を見ると言ったという。そのことを筆者に教えてくれたのはバルサのレジェンド、元ブラジル代表エジミウソンだ。

【カフー「欠けている小さなディテール」】

「今の日本は、かつてのドイツ代表を思わせる。無駄がなく、効率的で、相手の小さなミスを見逃さない。私はそういうサッカーが好きだ」

 ドイツサッカーは長年、組織力と規律の象徴だった。

その国の名将が、日本をかつてのドイツ代表になぞらえた意味は決して小さくない。

 つまり、日本は「アジアで一番のサッカー」をしているのではない。世界最高峰のサッカーが求める原則を、最も忠実に体現する代表チームのひとつとして見られ始めているのである。

 かつて日本は、世界から研究される立場ではなかった。しかし今はその育成システム、選手教育、戦術、そしてサッカー文化そのものを、多くの国が参考にしようとしている。これは日本サッカーにとって大きな転換点と言っていい。日本はもはや世界を追いかける立場ではなく、「研究する価値のある存在」として見られ始めているのである。

 これほど多くの賛辞を集めた日本代表だが、もちろん、世界のサッカー人たちは決して手放しで称賛して終わったわけではない。むしろ、その評価が高いからこそ、誰もが同じ問いを口にする。

「なぜ、このチームは決勝トーナメントの壁を越えられないのか」

 そしてその答えもまた、不思議なほど共通していた。

 ブラジル代表のレジェンド、カフーは筆者が問うと、その差はそれほど大きなものではないと言った。

「ワールドカップのような大きな大会で、いいチームと優勝するチームとの差は、本当に小さなディテールなんだ。

そして、まさに日本にはそれが欠けている」

「ディテール」のひと言には、多くの意味が込められている。試合の流れを読む力、勝負どころで時間を使う冷静さ、一瞬の判断、相手の心理を見抜く経験、そして苦しい時間帯でも試合を自分たちのものにしてしまうしたたかさ......。

 日本に必要なのは、大きな改革ではない。世界はすでに、日本が世界最高水準の組織力と戦術を持っていることを認めている。だからこそ求められているのは、その土台の上に積み重ねる「最後の数パーセント」なのである。

ザッケローニ「少し狡猾に」】

 その「あと一歩」を最も率直に語ったひとりが、元日本代表監督のアルベルト・ザッケローニだった。彼はイタリアの名物記者イヴァン・ザッザローニにこう話した。

「フェアプレーはもちろん大切だ。しかし国際舞台では、いつもフェアプレーだけで試合が進むわけではない。少し狡猾に戦うことは、フェアプレーを捨てることではない。相手の"ずる賢さ"にも対応できるようにならなければならない」

 日本は正しく戦う。それは世界中が認める長所である。しかし、ワールドカップの決勝トーナメントでは、正しさだけでは勝ちきれない場面が必ず訪れる。

時間の使い方、ファウルのもらい方、試合の流れを断ちきる技術、感情を揺さぶる駆け引き......。そうした勝負の機微を知っている国ほど、大舞台では一歩先へ進んでいく。

 そういえば日本のサッカーを知り尽くすアルシンドも、以前、筆者と対談した際に同じことを口にしていた。

「日本のサッカーは、プロフェッショナルとしても、フィジカル面でも、本当に驚くほど成長した。技術的な土台も非常に高い。でも、世界の頂点を目指すなら、それだけでは足りない。南米の選手たちが持っているような"ずる賢さ"や"したたかさ"を、ほんの少し身につける必要がある」

 興味深いのは、彼らが求めているのは「日本らしさ」を捨てることではないという点だ。規律も誠実さもフェアプレーも、日本サッカーの財産である。それを失うことなく、勝負師としての一面を身につけられるか。世界は、日本がそこまで到達できると信じているからこそ、その課題を指摘するのである。

 この問題を、何年も前から見抜いていた人物がいた。日本代表監督も務めた故イビチャ・オシムである。

「日本のサッカーは、技術も戦術も驚くほど成長している。しかし、本当に苦しい時間帯には、もっと勇気を持たなければならない。規律を守ることばかりを考えるのではなく、自分で状況を変える勇気が必要だ」

 オシムが語った「勇気」とは、無謀なプレーという意味ではないだろう。決められた形が通用しなくなった瞬間、自らの判断で流れを変える覚悟である。ブラジル戦の後半、日本は自陣に押し込まれ、自分たちのサッカーを見失った。あの90分を思い返せば、オシムの言葉が今なお色あせていないことに気づかされる。

【日本の課題は主としてふたつ】

 監督や選手たちが語った「あと一歩」を裏づけるように、今大会を取材した世界各国のジャーナリストたちも、日本について共通した分析をしていた。筆者は大会期間中、ブラジルのメディア関係者はもちろん、オランダやポルトガル、アルゼンチンといった国々の記者たちと日本について話し合う機会があった。彼らが挙げた課題は、主にふたつある。

 ひとつは、「本物の9番」の不在だ。

 日本は近年、優秀なミッドフィルダーやサイドアタッカーを次々と輩出してきた。ボールを動かし、試合を組み立て、相手を崩す能力は世界でも高く評価されている。

しかし、ペナルティーエリアのなかで一瞬のチャンスをゴールへ変える絶対的なストライカーとなると、まだ世界のトップレベルと肩を並べる存在は現れていない。

 ワールドカップのような大会では、内容で上回りながら、一度の決定機だけで勝敗が決まる試合が少なくない。だからこそ各国のジャーナリストたちは、「日本にひとり、試合を決められる9番がいれば......」という言葉を何度も口にした。

 もうひとつは、セットプレーへの対応である。

 流れのなかでは互角以上に渡り合えても、コーナーキックやフリーキックという一瞬の局面で相手にチャンスをつくられ、失点してしまう。今大会でも、特に高さで勝る相手との対戦ではそんな傾向が見られた。

 もちろん、これは日本だけの問題ではない。体格差のある国々が長年向き合ってきた共通の課題でもある。とはいえワールドカップの決勝トーナメントでは、その一度のセットプレーが国の運命を左右する。だからジャーナリストたちは「最後は空中戦が勝敗を分ける」と指摘するのである。

 ただ興味深かったのは、こうした課題を挙げたジャーナリストたちが、決して日本のこれからを悲観していなかったことだ。彼らは口をそろえて、「ここまで完成されたチームなら、このふたつを克服すれば、世界一も夢ではない」と語っていた。

 世界は日本に興味を持ち、期待している。かつての日本は、「世界との差」を指摘される代表だった。しかし今、世界が論じているのは、「どうすれば日本は優勝することができるのか」という議論なのである。それだけでも、日本サッカーが歩んできた道のりの大きさがわかるだろう。

 次に世界が待っているのは「よくやった日本」ではない。これまで集めたリスペクトを、本当の意味で世界一へと変える瞬間なのである。

リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon

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