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追悼・星野仙一「ファミリーヒストリー」と誰も知らなかった「あー、しんどかった」の真実

2018年1月11日 11時00分 ライター情報:大山くまお
プロ野球の中日、阪神、楽天で監督を務めた星野仙一氏が1月4日に亡くなった。70歳だった。現役時代は気迫あふれるプレーで“燃える男”の異名を取り、監督時代も闘志を剥き出しにした指揮で“闘将”の名をほしいままにした。監督として3チームを優勝に導いたのは、プロ野球史上、星野を含めて3人だけである。

NHKでは追悼企画として、2015年5月に放送された『ファミリーヒストリー』星野仙一の回を1月10日に再放送を行った。そこで語られていたのは、仙一が生まれる前に亡くなった父・仙蔵と、夫の死後、女手ひとつで家族を支え続けた母・敏子の足跡と生き様だった。

星野仙一と名古屋の深い縁


仙一は母子家庭で育っているが、父と母のルーツのことはほとんど知らないようで、自身の著書にも間違った記述がいくつか見られる(「父は神戸の出」「母親が浅草の古い紙問屋の娘」などと書かれていた)。これは母がほとんど過去のことを語らなかったことに理由があるようだ。

岡山県倉敷市出身の仙一がプロ野球選手として入団したのは、名古屋を本拠地に置く中日ドラゴンズ。巨人からドラフト指名を受けるはずが約束を反故にされ、「打倒巨人」を誓ったというエピソードは有名だ。だが、実は仙一は名古屋と大きな縁があった。仙一の両親が出会った場所が、名古屋だったのだ。

母の敏子は、愛知県幡豆(はず)郡饗庭(あいば)の出身。現在の愛知県西尾市吉良町にあたる。「星野」という姓は母方のものだ。ちなみに星野監督時代に中日に入団し、プロ野球の最多登板、最多セーブ記録を持つ岩瀬仁紀投手も西尾市の出身である。

仙一の高祖父(4代前)の星野玄道は幕末の医者だった。玄道の父、浅野春道は尾張藩の藩医を務め、尾張本草学の創始者としても知られている。敏子の父にあたる嘉一は東京で呉服屋を営んでいたこともあった(それが仙一の誤解につながっているのだろう)。敏子自身は勉強を重ね、戦前は看護師として名古屋の病院で働いていた。仙一は母が看護師だったことをまったく知らなかった。

実はよく似ていた仙一と父・仙蔵


仙一は父・仙蔵のことをほとんど何も知らない。

仙一の著書には「神戸の出」と書かれていたが、仙蔵の生まれは定かではない。11歳のとき、岡山県瀬戸内市にあった正田家の養子になっている。その後、飛行機乗りを志して家を出て、名古屋にあった三菱重工の工場で働くようになる。当時、ここが航空機製作の中心地だった。

ライター情報

大山くまお

ライター。著書に『野原ひろしの名言』『野原ひろしの超名言』(双葉社)、『名言力』(ソフトバンク新書)、『中日ドラゴンズあるある』(TOブックス)など。

URL:Fire Stone and Water

「追悼・星野仙一「ファミリーヒストリー」と誰も知らなかった「あー、しんどかった」の真実」のコメント一覧 13

  • 匿名さん 通報

    >彼が地獄に堕ちることを心から望みます。 よくこんなことが書けるな。百歩譲って星野氏に何か後ろ暗い過去があったとしても「死ねば仏」というのがこの国の共通した価値観でしょ。品性を疑うよ。

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  • 匿名さん 通報

    良い家柄の方だったのですね、だから暴力をふるっても慕われていたのですね

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  • 匿名さん 通報

    恨みのある相手の遺骨を砕いて、食って始めて恨みを、はらしたと喜ぶ、特アの思想そのものですね。大変、気持ち悪いです。

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  • 匿名さん 通報

    選手が顔から血を流していてもまだ殴り続けた狂気の暴力主義者のことを「死んだら仏」とはちゃんちゃらおかしい。刑務所にぶち込まれるべきだったクズ野郎。

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  • 匿名さん 通報

    死者に鞭振るう、お里が知れますね❗

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