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『師匠、御乱心!』で始まった落語協会分裂騒動から40年。先代円楽は談志は志ん朝はどう動いたのか

2018年5月26日 09時45分 ライター情報:近藤正高
いまから40年前の1978年5月24日、落語家の三遊亭円生、橘家円蔵(7代目)、古今亭志ん朝、三遊亭円楽(先代)、月の家円鏡(のちの8代目円蔵)らが東京の赤坂プリンスホテルで記者会見を行ない、所属していた落語協会を脱退し、新たに「落語三遊協会」を旗揚げすることを発表した。

事の発端はその約2週間前の5月8日に行なわれた落語協会の定例理事会だった。この日、理事会には、協会長の柳家小さん(先代)、顧問の円生と林家正蔵(先代。のちの林家彦六)、常任理事の三遊亭円歌、三遊亭金馬、春風亭柳朝、理事の円蔵、蝶花楼馬楽、金原亭馬生、林家三平、柳家小せん(円蔵以下、いずれも先代)、柳家さん助、志ん朝、円楽、立川談志、円鏡が出席。この日の議題は真打昇進問題だった。
32年ぶりに復刊された三遊亭円丈の問題の書『師匠、御乱心!』(小学館文庫)

真打昇進問題から脱退騒動へ


真打とは落語家が前座、二つ目を経て昇進できる最高の資格である(ただし現在、上方落語界にはこの制度はなく、東京落語界のみに存在する)。しかし昭和30年代以来のテレビの演芸ブームをきっかけに落語協会所属の落語家たちに入門者が殺到し、寄席の楽屋には、師匠や先輩を世話する前座が入りきらないまでになる。二つ目も飽和状態となり、従来どおり毎年春と秋の2回、単独かせいぜい二人ずつ真打に昇進させていたのでは、40代、50代になっても真打になれない落語家が続出しそうな異常事態になっていた。そこで落語協会は1972年、翌年の春と秋に10人ずつまとめて真打に昇進させる。

これを主導したのは、その前年、円生から会長を禅譲された小さんだが、顧問となっていた円生が異を唱える。「真打とはトリを取れる実力者だけがなるべきで、1年で20人も昇進させるのは真打の粗製乱造である」というのがその言い分だった。

結局、このときは円生が小さんに譲る格好となったが、両者のあいだにはわだかまりが残った。そして6年後の理事会で、真打昇進問題が再燃したのである。このときも10人の真打昇進が多数決で可決された。これに対し、円生は常任理事3名を更迭し、代わりに円楽、談志、志ん朝の3名をヒラの理事から昇格させて、大量真打の白紙撤回を求める議案を提出するも否決される。

主張が聞き入れられなかった円生は、ついに落語協会を脱退する決意を固めた。作家・吉川潮の『戦後落語史』(新潮新書)によれば、当初、円生は弟子たちは協会に残して、自分だけフリーになればいいと考えていたというが、その後、弟子の円楽のほか、円生の意見に同調した志ん朝などが加わり、新団体の結成に向け動き出す。

ライター情報

近藤正高

ライター。1976年生まれ。エキレビ!では歴史・科学からドラマ・アイドルまで手広く執筆。著書に『タモリと戦後ニッポン』(講談社現代新書)など。愛知県在住。

URL:Culture Vulture

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