ひとつは『劇場アニメ ルックバック展 ―押山清高 線の感情』。
どの展示も非常に興味深く、見応えがあった。しかし同時に「いま自分は、何を見ているのだろうか」と考えずにはいられなかった。この感覚は、どこから生じたものなのか。今回は、その感覚を少し整理してみたい。
「展示」というものを考えるうえで参照したいのが、やはりこれまで積み重ねられてきた展示を巡る議論である。
1904年、前田不二三は「學の展覧会か物の展覧会か」という論文を発表した。
さらに同書は、前田の問題提起を「(前田は)当該問題に関し逡巡する中で『情的展覧會』と『智的展覧會』なる呼称を持って展示を区別し、前田は情的展覧會であるところの美術資料の展示を除いては、『學の展示』でなければならないと決定づけている。」とまとめている。つまり前田は、「ものを見せる展示」を“情的展覧会”、「もので語る展示」を“智的展覧会”と二分したわけである。
この考え方は、その後の展示研究にも受け継がれていく。たとえば1990年、佐々木朝登は『展示』の中で、展示をその意図によって3つに分類している。
ひとつは「提示型展示(鑑賞展示)」。これは美術館の展示をイメージするとわかりやすい。作品そのものを鑑賞させる展示である。
次が「説示型展示(学術還元展示)」。研究成果などを資料を通じて伝える展示である。博物館の多くの展示はこちらである。そして最後が「教育型展示(体験学習展示)」である。
こうした分類を念頭に、先に挙げた3つのアニメ展覧会は、どのように位置づけられるだろうか。
『攻殻機動隊展』では、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』を筆頭にに、レイアウト、原画、背景などの中間制作物が大量に展示されていた。展示の冒頭ではワークフローが説明され、この会場にある“絵”が制作工程のどの段階で描かれたものなのかはわかるようになっていた。その点で、『攻殻機動隊展』は作品の完成までの過程を視覚的に示す「説示型展示」の側面があるといえる。
しかし実際には、多くの来場者はそうしたワークフローの理解を深める以上に、展示された絵そのものの力に圧倒されていたように見える。つまり来場者の体験としては、美術館的な「提示型展示」として楽しまれていたといえる。
この「提示型」と「説示型」のバランスに注目すると『ルックバック展』と『太田晃博展』の立ち位置も見えてくる。
『ルックバック展』は、掲示されている絵の量が非常に多いが、それが「アニメーションを成立されるためにこれだけの絵が必要である」という形で意味を持って迫ってくる内容で、「提示型」に見えつつ、実は「説示型」の度合いが高かった。展示の最初のエリアが、「雨の中をスキップするシーン」を取り上げ、絵コンテ、レイアウト、映像を展示するだけでなく、あるカットの原画をすべて重ね合わせて壁にプリントして、動きを視覚化し、展覧会で伝えたいことを象徴的にプレゼンテーションしていた点でも「説示型」といえるだろう。
そしてより「説示型」の度合いが高いのが『太田晃博展』である。
3つの展覧会の掲示型と説示型のバランスの違いは、展示コンセプトの違いである。しかし同時に、そこには「アニメを展示する」という行為そのものが抱える問題もまた浮かび上がってくる。
アニメ展で展示されるものの多くは、中間制作物である。完成作品であれば、それ自体が鑑賞のために作られている以上、「作品を見ればいい」「そこに言葉はいらない」という考え方が成立しうる。だが中間制作物については、一般の来場者は決して制作工程に詳しいわけではない。すると、どうしても何らかの「説示」が必要になる。逆にいえば、「説示」がなければ、その中間制作物がなぜ選ばれ、なぜ展示されているのかは伝わらないのである。しかし「説示」が前に出すぎると文章ばかりが多くなり、眼の前の中間生制作物を「楽しむ」ということからは遠くなる。
また、中間制作物を「美術品」として鑑賞するために掲示するというスタイルも可能だろう。今のアニメ関係の展示の何割かは、これに近い形で受け止められている、だが、それはそれで不徹底な点がある。それは「画材」「描かれた時期」「描き手」といった、美術品として扱われるならあって当然の情報が抜け落ちているという点である(『攻殻機動隊展』は図録に、どの作品の展示された素材、そのサイズについては目録を掲載している)。中間制作物「だから」クレジットがないという建付けで、しかし美術品と同じ「掲示型」として鑑賞されるという、やはり「矛盾」がそこにはある。
こうした矛盾が先述の「何を見ているのか」という感覚を生んだ原因のひとつである。 さらにもうひとつ大きな問題がある。それは展示される資料がデジタルで制作されている場合に展示はどうあるべきか、ということだ。
『攻殻機動隊展』では、アナログ作業の時代の資料が大量に残されていた。観客は、実際に制作現場で使われた「実物」を見ていたことになる。
しかし現在、作画工程の多くはデジタル化されている。
ここで観客が見ている「プリントアウトされたデジタルデータ」は「本物」と呼ぶことは難しい。マンガもデジタル化が進んでいるジャンルだが、マンガのデジタル原稿の場合、限りなく「印刷されて流通したもののオリジナルに近い存在である」ということはできる。だが完全に中間制作物であるアニメに場合は、どうなるのか。もちろん「偽物」かというとそうでもないわけで、強いて言うならそれは「コピー」なのだが、このコピーをプリントアウトして、美術品のように鑑賞するとしたら、ここにもまた一つの「矛盾」が生まれることになる。これもまた「何を見ているのか」という問いが浮かび上がる一因といえる。
アニメの展覧会はまだ「正解」と呼べるほど明確なスタイルは出来上がっているとはいえない。先述の通り、それは完成品がムービーであるのに、それを静止画中心で表現しなくてはならないという「矛盾」があり、その問題をどのように解くかは、展覧会ごとに戦略が異なるからである。そして「掲示型」としてとらえるにしても、「提示型」としてとらえるにしても、どちらもアプローチが十分とはまだいえない。
さらにいうと各展覧会では、その作品が成立した時期の大きな時代背景の説明などももっと触れていいと思う。個別の作品だけを切り出して取り上げるのではなく、その作品そのものが歴史の大河の一部を構成しているということを広く啓蒙する必要もまたあるはずだ。
「掲示型」と「説示型」がよりよい形で融合したアニメの展覧会が、いつか現れることを期待している。
【藤津 亮太(ふじつ・りょうた)】
1968年生まれ。静岡県出身。アニメ評論家。主な著書に『「アニメ評論家」宣言』、『チャンネルはいつもアニメ ゼロ年代アニメ時評』、『声優語 ~アニメに命を吹き込むプロフェッショナル~ 』、『プロフェッショナル13人が語る わたしの声優道』がある。最新著書は『ぼくらがアニメを見る理由 2010年代アニメ時評』。各種カルチャーセンターでアニメの講座を担当するほか、毎月第一金曜に「アニメの門チャンネル」で生配信を行っている。
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